マナスルとは?

「ジャパニーズ マウンテン」

マナスルと野口隊
マナスルと野口隊

マナスルと野口隊

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マナスルとはヒマラヤにそびえる8000メートル峰の14座の1つ。
2回の失敗の後、1956年、槙有恒氏率いる日本山岳会登山隊隊員・今西寿雄氏により、世界で初めて登頂に成功しました。
戦後、復興に力を入れていた日本人にとって、日本隊によるマナスル初登頂のニュースは、大きな希望として人々に感動を与えました。
当時、神の山としてマナスルを崇めてきた村人たちにとって、人間がその頂上に立つということは、許されないことでした。過去2回の失敗には、マナスル登山を許してくれない村人との確執もありました。
しかし、その後、日本隊と村人との交流などを通し、マナスル登山の意味を理解してもらい、協力を得て、登頂成功へと結びついたのです。
それ以降、サマガオンの村人は、マナスルを「ジャパニーズ・マウンテン」と呼び、村を訪れる日本隊に対して、大変親しみ深く接してくれています。数あるヒマラヤ峰の中でも、特に日本人の登山家にとって、縁の深い山なのです。

子どもたちの夢は、彼らの村の未来を支えます。

エドモンド・ヒラリー卿
エドモンド・ヒラリー卿

エドモンド・ヒラリー卿

クムジュンスクール:ヒラリー卿が建てた学校、多くの
クムジュンスクール:ヒラリー卿が建てた学校、多くの シェルパの子どもたちがここを卒業していった

クムジュンスクール:ヒラリー卿が建てた学校、多くの シェルパの子どもたちがここを卒業していった

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エベレストに初登頂を果たしたエドモンド・ヒラリー卿は、エベレスト登頂後、「ヒマラヤ基金」を作り、ふもとのシェルパの村々の教育、福祉、環境保全活動を行い、村の生活を助けました。
橋、学校、病院などをつくり、また、自然環境の大切さも啓蒙してきました。 このように様々な点から、ヒマラヤのシェルパ達の生活を支えたのです。それにより、シェルパたちの生活水準は大変高くなっていきました。 ヒラリー卿のつくった学校を卒業した生徒の中には、パイロット、医者、看護師、教師となり、夢をかなえた子どもたちもたくさんいます。 彼らが夢をかなえたことが、さらに彼らの次の世代の子どもたちに影響を与えていきました。
私達は、ヒラリー卿のように、私達日本人に勇気と希望を与えてくれたマナスルへの恩返しとして、サマガオンのために活動していきたいと考えます。 教育を受けることで、子どもたちは将来に夢を持つことができます。子どもたちの夢は、彼らの村の 未来を支えます。