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7大陸最高峰

七大陸最高峰~キリマンジャロ~(アフリカ)

7大陸最高峰

1990/12/28

七大陸最高峰~キリマンジャロ~(アフリカ)

 


キリマンジャロ頂上。高山病にかかり山頂で吐いてしまった

1990年12月中旬、私はケニアのナイロビまではるばるやってきた。モンブランでは他のメンバーが高山病に苦しんでいるのに、自分は何も症状がでなかったので、てっきり自分は高山病にかからない体質だと思い込み、自信に満ちていた。必ず登ってやると誓っていた。今振り返ると、素人の発想は怖いものである。

日本隊14人でキリマンジャロのあるケニアとタンザニアの国境まで向かった。植村さんの本では、猛獣におびえながら登山した様子が書かれてあったが、時代が随分と変わり、今ではすっかりとキリマンジャロも観光地化され、登山ルートも歩きやすく整備してあり、山小屋も綺麗だった。

ただ、そうはいってもジャングルの中を歩くというのは、決して気持ちのいいものではなく、どこかしらか蛇やらヒルが飛びついてきそうであった。

2日目には、高度も上がり、ジャングル地帯を抜け出し、高山植物の世界へと変わった。湿度もなくなり実に気持ちよかった。キリマンジャロの頂きが所々で見えたが、標高4000mクラスのモンブランよりも遥かに大きいのが分かった。でも大丈夫「何故って、だって俺は高山病にかからないもん」と、根拠のない自信はここまできても健在であった。

ところが、出発4日目、4700mの最後の山小屋を目前に突然頭痛に襲われた。なんとも表現できない頭痛に苦しんだが、それでもよっぽど能天気であったのか、「ああ、俺は風邪をひいてしまったのだ。これは高山病じゃない」と本気で思っていた。思い込みの世界は怖い。翌日の午前1時から頂上アタックだというのに、昼も夜も気持ち悪くてまともに食事も摂れない。寒気、吐き気、究極の頭痛、手足のむくみ、高山病の初期症状の全てが現れた。さすがに思い込みの強い兵隊さんも、自分が高山病に犯されていることを認めざるを得なかった。

でも、グループリーダーに、自分が高山病の症状が出ていることを伝えなかった。キリマンジャロに出発する前にリーダの人に「高山病を我慢して死ぬ人もいるから、必ず正直に伝えて下さい。症状がよくなければ下りてもらいますが、ご了承ください」と言われていたのだ。しかし、ここで終わるわけには行かない、冗談じゃない。アタックもかけられず敗退したらどのような顔して学校に戻ると言うのか。彼女とも別れたぱかりなのだ。自分にはもう何もない。せめてキリマンジャロに登ることだけが心の支えなのだ。高山病だがなんだが知らんが、自分は必ず登る。

 
 


山頂で他の登山パーティーと記念撮影

12月28日午前0時過ぎ、山頂に向けてアタックを開始した。歩き始めるとなんとなく頭痛も治まり、よし!と思ったが、永くは続かない。数時間したら再び、頭痛に襲われた。しかも以前よりもさらにパワーアップして...。慌てて頭痛薬を飲むが全然きかない。それどころか、空腹で強い薬を飲んでしまったせいか、今度は吐き気で歩けなくなるほど苦しい。ついに我慢できなくなりリーダには「ちょっとトイレに行ってきます」と告げて、岩陰にゲーゲーと吐いてしまった。

その後も同じ調子の繰り返しであった。頭痛も腹痛に負けじとさらに自己主張してくるここまでくると生き地獄である。胃に悪いと分かっていながらまた頭痛薬を飲む。効かないので何粒も口にほうり投げガリガリとかじった。その方が利くような気がした。

ルート自体はさほど困難な場所もなく、高山病にさえかからなければ、大半の登山者は登頂できるのだが、このキリマンジャロは標高差1000mおきにしか山小屋がない。テントの持ち込みは禁止されており、1000mずつ登るしかないが、1日に500m以上も高度を上げるのは危険とされている。低酸素の環境の中に、体がなかなか順応していかないからだ。

フラフラしながら、まるで夢遊病患者のように歩いた。次第に自分の体重さえもが軽く感じられ、また、気持ち良くさえなっていった。流れ星が頭上を流れる。午前5時30分、朝日が昇った。真っ暗な空に少しずつ色がついていく。濃い紺色から澄んだ青色、やがて黄色の光が混じり始め、次第に真っ赤な空へと世界を変えていく。しばし、呼吸を整えるために足を休め、移り変わるこの小宇宙に見とれる。



キリマンジャロに続いて登ったケニア山山頂で、ガイドとともに撮影。快晴に恵まれた

キリマンジャロの頂きの氷も空の光を吸収し、紺色から真っ赤に燃えるような色に変わった。頂上が見えた。午前6時30分、高山病と戦いながら、ついにアフリカ大陸量高峰を足下にした。登山を始めてちょうど1年目にして、ヨーロッパ大陸最高峰に続き、アフリカ大陸最高峰にも登れてしまった。山頂についたとたんに力が抜けてしまい、座り込んでしまった。そして、人の目をはばかることなくゲーゲーと胃液を吐き出した。もちろん、苦しいが、それ以上に堂々と吐ける事で解放感に浸っていた。

下山しナイロビについてもしばらく吐く日が続いた。胃が相当痛んでいたが、それでも満足感だけはあった。兵隊から下士官になれた。いつかは士官だ。素人の自分がここまで頑張れたのだ。経験さえ積めば、世界最高峰エベレスト(ネパール名サガルマータ)も夢ではない。

そうだ!植村さんが5大陸最高峰登頂者ならば、自分は7大陸最高峰を狙うぞ。あと5つ。吐きながら登ったキリマンジャロは私に大きな目標を授けてくれた。

 

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