
そしてもう1つ、私には大きな目標があります。シェルパ基金設立ですが、95年11月10日にネパール・クーンブ地方にて大雪崩による事故が発生しました。日本人13名、ネパール人12名の計25名が亡くなりました。その中に私が弟のように接していたナティー・シェルパー(当時18歳)が含まれていました。日本人の遭難者が多数含まれていたため、日本でも連日報道されました。しかし、テレビやどの新聞を探してもシェルパ族の遭難に関してはほとんど触れられていませんでした。私がナティーの遭難を知ったはナティーの兄デェンディーから「ナティーが日本隊にポーターとして参加し雪崩に巻き込まれ死にました」との連絡を頂いたからです。慌てて事故発生から数日後、ネパールヘと向かった機内では日本人遺族と報道陣で一杯でした。
しかし、日本の報道陣は日本人遺族を取材してさっさと帰国してしましました。日本人トレッカーに雇われ、そして死んでいった地元の人々のことはNHKの取材班が辛うじて取り上げていました。しかし、私は納得いくはずもなく、自分が持っていたビデオカメラでナティーの遺体発見から葬儀にいたるまで一部始終を記録しました。親友の亡骸や、泣き叫ぶ遺族にカメラを向けるのはなんとも苦痛でした。中には私がカメラを向けることに違和感を感じていたシェルパの方もいましたが、それでも兄のデェンディーに「日本ではシェルパ族の死は誰も知らない。僕が記録して事実を多くの人に知ってほしい。デェンディーがどうしても嫌なら撮らないけれど、どうかな」「いや、ケンがそうしたいならいいよ。信用しているから」というデェンディーの理解があったからこそカメラを回し続けられたのです。



新年あけましておめでとうございます。2000年が始まりました。昨年は1O年越しの目標でありました7大陸最高峰の最終目標でありますサガルマータ(エベレスト)に無事登頂できました。多くの方々のご理解、ご支援があればこその3度目の世界最高峰チャレンジでした。97年、98年と2年連続して失敗しておきながら、よく3度目があったとつくづく自分の幸運さを痛感せずにはいられません。特に、私の遠征費用の大半をご負担されたソニー株式会社の大木充常務は以前に「結果 のみをを急いではいけない。たとえ、途上の段階でなかなか結果が出せなくても、最終的に結果 がでればいい。失敗の中から次に繋げる努力が1番大切だよ。君は生きて帰ってきたんだ。まだまだ、チャンスはある」と失敗を繰り返しガックリしていた私におっしゃいました。「生きてさえいればチャンスはある」。この大木さんの言葉にどれだけ励まされたか、また、日本全国から応援のメッセージのお手紙が沢山私の元へ屈きました。人の暖かさ、そして社会の恩恵に恵まれ7大陸最高峰の挑戦を終えることが出来ました事、心から感謝しております。
