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2000年エベレスト清掃登山 , ヒマラヤ

明日、ラサに向けて出発します(上)

2000年エベレスト清掃登山 , ヒマラヤ

2000/04/14

明日、ラサに向けて出発します(上)

◇あわただしく出発

 


ナムチェからの景色

 2000年3月22日、ロイヤルネパール航空に乗り込んだ私は隣に座る村口カメラマンと少々の会話を交わし、いつのまにか深い眠りについた。疲れていた のか約10時間のフライトはほとんど記憶にない。昨年、エベレストに登頂してからというもの、毎日毎日、めまぐるしく問い合わせに対応した。私も大変で あったが昨年まで私のスケジュール調整をしてくださった亜細亜大学の広報課の加藤さん、生駒さんのお二人は止まらぬ取材、講演依頼の対処に休日返上であっ た。頭が下がる思いであった。

 

 エベレストに登頂してから、突然回りの世界が急変し、人、人、人の渦の中で一体、自分がなにをしているのかさえ分らない日々であった。このロイヤルネパールに乗り込む直前までも関西空港で取材、そしてまた取材と乗り込むのに遅刻するほどであった。

 この10年間はひたすらに山の頂を目指してきたが、今回は初めて山頂を目指さない挑戦である。エベレストの清掃登山隊という日本隊としては初めての試みである。

 8000メートル以上での高所での清掃活動なるものがまったく想像すら出来ず、それでよくも数千万円の資金を集められたと我ながら、立派なペテン師の仲間入りしたかなと思わずにはいられなかった。

 ネパールに到着した我々は、トレーニングと高所順化のためネパール側のエベレストBまでトレッキングを行うことにした。3月27日、エベレスト街道の玄関口のルクラ村まで小型飛行機で飛んだ。そこから山歩きになるのだが、私には気になることがあった。

 ◇出発前に入院!?

 2月下旬、私は腹痛に襲われる日が続いていた。いつもの食べ過ぎか と思っていたが、ちょっと痛みが尋常でなかった。また、講演やスポンサー活動、出発前の挨拶周り等でなかなか病院にも行けずにいた。ある日、地元の小学校 に講演があったが、あまりの腹痛に立つことも出来ず、仕方がないのでキツイ痛み止めの薬を倍量飲み、なんとか小学生への講演を終了したが、その後また痛み で立てなくなり、さすがの私もこれには単なる食べ過ぎによるものではないと気がつきそのまま病院に直行したら、なんと盲腸であった。エベレスト遠征を3週 間後に控えての盲腸に私は動揺したが、即日手術になり心の準備も出来ないまま手術用の衣装に着替え、あっと思えば男の大事な場所の毛まで剃られてしまっ た。毛を剃られた私の息子もなんとなしか頼りなく見えたが、それ以上に放心状態の私の姿があった。

 手術の担当医は「盲腸なら30分で終わるから」と言っていたが、途 中で全身麻酔をかけられ、手術を終えるのに1時間30分を要した。17針のラインが私の腹に模様として残ったが、担当医が「腹膜炎を起こす寸前でしたよ。 簡単にいうと盲腸が破裂しそうでしたよ。我慢しすぎです。こんなんでエベレストに行っていたら死んでましたよ」と言われてしまった。つまり、どうやら危な かったらしい。

 手術が終わってからは、1日でも早く退院できるよう看護婦さんの前 では元気に振る舞い、傷口が痛くとも「もう全然なんともありませんよ」「ちょっと散歩してきます」といって痛い腹を我慢しながら歩きもした。通常の盲腸の 手術よりも倍ほどメスを入れたため、最低でも入院1週間と言われたが、そんなことしてしまったら出発の準備すらできない。また、地方の学校や地域の団体へ の講演も予定されておりキャンセルできない。苦労した私のパフォーマンスも立派なもので予想以上早さで5日間で退院できた。しかし、退院しても腹はあいか わらず痛み、このままヒマラヤにいっても大丈夫なのか大いに不安だらけであった。

 ◇清掃登山隊へのエール

 今年のエベレストは2000年という事が影響し登山隊が殺到した。 ネパール側、中国側の両方でなんと40隊を越すという。お陰でエベレスト街道には遠征隊の荷物を運ぶヤクやポータで渋滞している。どこの村の山小屋も部屋 がなくテントを張った。それだけこの街道が込み合うのは滅多にないことだ。歩いていると、日本人トレッカーが突然声をかけてきて「野口さんですよね、エベ レストの清掃頑張って下さい」。日本人トレッカーの大半は皆私のこのエベレスト清掃登山隊のことをちゃんと知っている。意外と有名なんだ!とビックリして しまったと同時にこれはちゃんと結果を出さなければ大変だと、覚悟した。

 だいたい、失敗するとそれみたことかと大騒ぎする輩こそ、なにかし ているのかといいたい。今回の清掃登山隊にもとやかくブーブ文句いう輩がいるという。「売名行為」「日本隊の過去の実績に傷をつけてけしからん」「日本隊 のゴミばかり強調して!」「あいつは派手にやりすぎだ」「勝手に清掃登山隊なんて聞いていないぞ」といった訳のわからないご意見には正直うんざりする。こ のヒマラヤに来てまでそのような噂をトレッカーや日本人登山隊の隊員から聞かされ、あきれ果ててしまった。

 それらの輩とは山岳関係者の一部であるから、いやはやである。日本 の社会ってどうしてこう若い人が頑張ろうとすると足を引っ張りたがるのか、情けなくなる。エベレストに日本隊のゴミがある、これを否定できる山岳関係者は いないだろう。それならば、我々日本人がエベレストに行って自分たちが汚した分、清掃すればいいと私は思う。

 確かに、70年代は酸素ボンベを置いてきても環境破壊につながると いう意識が無かっただろう。その事に対して私は過去の登山隊を批判するつまりは毛頭ない。しかし、時間の経過と共に登山隊が殺到し気がつけば登山隊のゴミ にまみれてしまったんだから、それならばこれからは気をつけましょうね!汚くしてしまった分は綺麗にしましょうね!でいいでしょう。

 間接的に聞く私へのやっかみに疲れることもある。なにが疲れるかと いえば、例外なくそれらのご意見にはなんらエベレストの環境問題に対する解決方法として参考に成るものが含まれていないからだ。それでもそれ以上にこの清 掃活動に理解してくれたり、応援のメッセージが沢山届くのでいつも励まされている。皆さんありがとうございます。これからも応援宜しくお願いします。

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