2001年10月アーカイブ

10月29日、東京全日空ホテルで社会貢献支援財団による社会貢献者表彰式が行われた。この社会貢献者表彰は3部門に分かれている。まず、第一部門は「緊急時の功績」、第二部門は「多年にわたる功労」、第三部門は「特定分野の功績」である。何故か、僕がこの第二部門の「多年にわたる功労」に選ばれた。

チョモランマでの清掃活動や、日本の富士山での清掃活動、環境教育への取り組みが評価され、社会貢献支援財団から推薦された。会場には常陸宮殿下、常陸宮妃殿下がご臨席され、選考委員長の曽野綾子さんの挨拶から始まり、計26人の表彰が行われた。その中に亜細亜大学の後輩、横田宗さんも含まれており、彼は学生時代からフィリピンの孤児院の修復や設備の更新の実現の為にボランティアグループACTIONを設立した。

その後も着実に実績を積み重ね表彰された。彼も僕と同じく亜細亜大学に一芸一能入試枠で入学。ボランティアへの強い意志に大学側が期待したのだろう。この26人の中に2人の亜細亜大学OBが含まれただけではなく、亜細亜大入学当時にマスコミや大学内の教授会による一芸一能入試制度へのバッシングが展開されていただけに、一芸一能入学の仲間の活躍は嬉しい。また、僕も清掃活動での表彰は初めてで、着実に環境問題への取り組みが浸透しつつあることに喜びを感じた。

7大陸最高峰登頂から、やっと次のテーマであるチョモランマ清掃登山をきっかけにした日本社会及びアジア諸国への環境意識に対する問題定義を目的としたこの活動が評価され、その件での表彰は今後の活動の励みになる。世界最高峰の清掃活動は世界一過酷な清掃活動でもある。場所が場所だけに、多くのリスクを背負わなければならない。正直、逃げ出したくなる事もある。

それでも続けているのは、いつか必ずこの苦しい清掃活動が日本やアジア諸国の社会に役立つ、貢献できるだろうと、信じてのことだ。だから、この度の日本財団賞の受賞は本当に嬉しかった。

しかし、これからが本番です。まだまだ、超えなければならない壁はいくつも残されている。心を引き締めて前へ前へと進まなきゃ!

2001年5月26日、2か月間に及ぶチョモランマ清掃登山を終え、ようやく帰国できる。痩せこけた体もこの時ばかりは生き返ったように元気を取り戻し、カトマンズのトリブバン国際空港へと向かった。チェックインのためロイヤル・ネパール航空のカウンターを目指したが、どのカウンターにも人がいない。おかしいな~と思いきやロイヤル・ネパールのスタッフらしき人がやってきて平然と
「今日のフライトはなくなりました」
「エンジントラブル?」
と聞けば
「いや、違う ネパールの物価が跳ね上がり燃料が買えない。ガソリンがないのだから飛行機は飛ばない」
そりゃ、燃料がなければ飛行機は飛ばないだろう...。さらに、数か月に及びロイヤル・ネパール航空が石油会社への燃料費を滞納し、ついに燃料の差止めをくらっているという。「......。」
返す言葉もない。エンジン・トラブルならまだしもネパール唯一の国際便を飛ばしているロイヤル・ネパールが燃料費を滞納し、差止めをくらい飛ばせないとは...。あまりにも情けない経緯に愕然とし、お詫びの言葉どころか平然としているロイヤル・ネパール航空のスタッフに怒り、いや、そんなことよりも、チョモランマで苦しい時には残り何日で帰国出来ると自身を励まし続けていたのに、まさかこのような訳の分からない理由でキャンセルされ、しかも当分フライトの予定がないと宣言されては気持ちのもっていきようがない。

しかし、驚いた事にネパール人のお客様達が、欠航の経緯を聞くや素直に納得して飛行場を後にして帰っていくではないか。何故、驚かないの?何故、怒らないの?いつ飛ぶか分からないんだよ。近くにいたネパール人に
「何故抗議しないのか」
と聞けば、これまたなんともシンプルな答えが返ってきた
「十分にガソリンを積まないまま、飛ばして途中で墜落して死ぬより、最初から飛ばないほうがいいでしょ」
だって...。そりゃそうだけれど...。でも納得いかんでしょう。悪い時には悪い事が重なる。結局この日ホテルに戻ったのだが、翌日からネパールの過激共産主義勢力がカトマンズでストライキを宣言し、民衆は左翼ゲリラの襲撃を恐れ町中のレストラン、タクシーまで完全に営業を取り止め、カトマンズの町が死んだように静まり返った。この後、厳戒令がだされ、数日間ホテルで缶詰めとなってしまった。

常、ロイヤル・ネパール航空の本社までタクシーで20分ほどだが、一台のタクシーも走っていない。一日も早く帰りたい一心でこっそりホテルを抜け出しロイヤル・ネパール航空の本社に交渉のため向かった。途中、歩いていたら群衆がウワッと走って来て、何が起きたのかと身構えていたら、その群衆が救急車に向かって投石を始めた。

驚いていたらガードレールまで破壊しだし、国軍の兵士が機関銃を肩に担いだまま走ってこっちへ向かってくるではないか。急いでその場を逃げ出しながら、俺は一体全体ここで何をやっているんだと悲しくなった。そもそもロイヤル・ネパールが燃料費を滞納するからこんな目に合うんだ!と怒りが頂点に達した。死ぬ思いでなんとかロイヤル・ネパールの本社にたどり着いたが、まったく機能していない。
「何しに来た、危ないから早くホテルに帰れ」
と言わんばかりであったから、それならばこちらもと声を張り上げ、相手をぶん殴らんばかりに睨み付け、
「なんとかしろよ!」
と交渉に持ち込んだ。粘りに粘り、その数日後のタイ航空のチケットに代えてくれ、とりあえずバンコクまで確保した。再び、トリブバン空港にバスで向かったが、機関銃やショットガンで武装した兵士がバスの窓から銃口を外に向け、我々を警護しながらの道中であった。

命からがらネパールを脱出し、バンコクからはANAに乗り換え成田を目指した。ANAの機内に乗り込んだ瞬間にそこは日本の香りがし、またアテンダントさんの笑顔に一気に緊張感から解放された。思えば極限状態の中、肺炎にやられながらもチョモランマで清掃登山を行い、また悪天候が続き、他の登山隊が死者を出すなか我々は必死に清掃活動を続けた。そして清掃活動が終了した我々を待っていた数々のトラブル...。疲れ果てた体をシートにしずめホッと一息入れたらアテンダントさんが僕に近付いてきて一言
「チョモランマの清掃活動、お疲れ様でした いつも応援しています」
と声をかけてくれた。なんだろう、この暖かさは。思わず涙が出そうになった。
「ありがとうございます」
そう答えるのが精一杯だった。僕はあの暖かい言葉を生涯忘れない。そして一つ決めたことがある。来年のエベレスト行きはANAにしようと...。

 

青森テレビの企画番組『守るべき世界遺産 白神山地 ~ゴミと伝統と森は共存できるのか~』の番組撮影のために、この夏、僕は白神山地に通った。

又鬼(マタギ)の工藤さんと。偶然工藤さんは、僕の名前が刻印された腕時計をしていた?
ブナの幹から、水を吸い上げる音がする(らしい)
白神山地はブナの保水力のおかげか、滝があちこちに見られ、そのすばらしい景色のアクセントとなっている

僕と白神山地に40年以上も住むマタギの工藤光治さんが2人で白神山地を歩きお互いが感じたことを語り合うというものであった。

7月下旬、僕は青森空港に下り立った。そこで青森テレビがチャーターしたヘリに乗り込み白神山地の上空へと向かった。40分ほどで眼下には緑一色のブナ林が広がる。
「なんてモクモクした木なんだろうか」
と驚いた。つまり、上空から見ると木と木の間に間隔がなく、まるで羊の毛のようにフワフワしていた。カメラマンが撮影のためドアを開けたら、下からブナの甘い香りがプンプンし、これにも驚いた。これだけ木の匂いを嗅いだのは初めてであった。1時間弱、白神山地の上空を飛び回ったが、人工物がない。
「日本にもこれだけ深い森が残されていたんだ…。この森の中は一体どうなっているんだろうか…。」
僕は空から白神山地を眺めながらワクワクしていた。
ヘリからの空撮が無事に終り、いよいよマタギの工藤さん宅がある、白神山地の表玄関といわれている西目屋村へ向かった。車の中でマタギとは一体どのような人なのか、マタギとは熊を獲る人、狩人といった漠然としたイメージしか持ち合わせていなかった。

なんとなく野生的に怖そうに思えて、果たしてこれから一緒に数回に分けて白神山地を歩けるのだろうか。会話が通じるのかな~と正直不安であった。西目屋村が近くなると美山湖が現れた。

工藤邸の手前で車を下ろされちょっとした坂道を下っていくとお化け屋敷のような怪しげな家があった。スタッフに
「あれが工藤さんの家です」
といわれ、
「やっぱりマタギは怪しいよな~」
と弱気になった。ガラガラーと玄関を開け、
「すみませ~ん あの~野口です」
と声をかけても返事がなく、横にいるディレクターも知らん顔するし、トホホと思いきや、奥からヌーとついに工藤さんが現れた。ひと目見た瞬間にシェルパの顔だと感じ、不思議と親近感が湧いた。純朴でありながら、どこかしら目に強いものを感じさせる。そこにいるだけで存在感がある。暗い部屋の中には熊の頭付きの毛皮がいくつも敷かれてあり、夜1人でいたら怖いだろうな~と思った。でも工藤さんはニコニコしていて温かそうな人で良かった。

マタギを漢字で書くと「又鬼」となるという。つまり、「また、鬼になって獲物を殺す」とのこと。鬼になりきらなければ、熊など仕留められないと工藤さんはいう。ある時、兎を撃ちに山に入り、フッと木の下で昼寝している兎を発見したが、かわいそうと情がでたら弾が外れてしまったそうだ…。特に熊との戦いは命懸けだ。ちょっとした気の迷いが致命傷になる可能性もある。鬼になりきらねばならないマタギという不思議な職業。不思議で、神秘的でありながら、しかしどこかで自分と同じ匂いを感じる。

工藤さんと一緒に暗門の滝から白神山地に入った。滝を詰めていくと、ブナ林の中に入っていき、滝までは一般旅行者のツアー客の列があったが、滝から先は誰もいない。ブナ林を歩きながら工藤さんがブナの木の話をしてくれた。ブナという漢字は木へんに無と書く。杉に比べると曲がっていて成長に時間がかかる。つまり木材の価値がないのが由来で、人間のおごりがそのまま象徴されて漢字になっているのだそうだ。

そんなことから白神山地のブナ林も大量伐採が行われ、杉を大量に植えた。しかし、青森の極寒地に杉の成長は思わしくなく、結局はひ弱な杉しか育たなかった。それこそ木材の価値が無く、未だに放置したままであり、場所によっては再び杉を伐採して、ブナを植えているとのこと。既に他の植物や土の成分などの生態系がブナと密接な関係を形成していた林に杉からブナに植え直したからといってそう簡単に元に戻るわけではない。

白神山地の奥に入っていくと、小さな沢がいくつもあり、工藤さんが案内するマタギ道は道というより、ケモノ道にしか見えず、滝を上がっては下る。時には腰まで水に浸かり川を渡る。驚いたことに川の中にある足元を岩魚の群れが行き交う。工藤さんは
「やっと岩魚が戻ってきたよ!」
と嬉しそうに話す。密漁者によって乱獲され、一時期は岩魚を目にすることができなくなったが、マタギ仲間達が岩魚を放流し、なんとか戻ってきたとのこと。それでも密漁者は後を絶たない。その証拠にあちこちに焚き火の跡がある。それもけっして古くない。実際に焚き火の跡からは釣針、網、釣竿、岩魚を刺したと思われる串などがいくつも発見できた。さらに焚き火の煤の中からは缶や瓶などの燃えるはずもないゴミの燃え残りが出てきた。やれやれ。

青森テレビのスタッフも岩魚の群れをアップで撮影していたが、場所が特定できないように細心の注意を払う。心無い人がこの番組を見て、密漁者を生み出すことになるかもしれないからだ。

夜になりブナの木の真下にテントを張った。地面は腐葉土が敷き詰められて裸足で歩いてもフワフワして気持ちがいい。工藤さんの説明によると何百年以上ものブナの落ち葉が積もり、葉っぱの層が出来上がっているとのこと。

寝る時に使うテントマットなんか必要ない、フカフカの天然マット。しかも暖かい。夜中に大雨に降られ、水溜りができないか心配であったが、実際にその夜のスコールのような土砂降りでも腐葉土が雨水を吸い取ってくれ、テントの中に水が入ってこなかった。ブナの森は水を吸い取る。森が乾くことがなく、山火事になることが極めて少ないという。

また白神山地の水は本当に美しい。そして美味しい。どこの水でも飲むことができる。場所によって微妙に味が変わり、しばらく通い続けるうちに好みの味が分かるようになった。

関東近県の山では今や無防備に水が飲めるわけじゃない。上高地に流れる梓川でも見た目はきれいな水だが山小屋のし尿の影響で大腸菌にまみれ飲むことができなくなっている。富士山の天然水もあれだけ山小屋がトイレから垂れ流せば、汚染されるのも時間の問題だろう。せめて白神山地の美味しい水はずっと残しておきたいと思った。 ある日 白神山地の熊ゲラの森を歩いていたら、6人ほどの登山者と遭遇した。挨拶を交わすと登山者ではなく、白神山地担当の環境省の職員と学者らであった。環境の調査とのことであったがその彼がぼやいていた。
「白神山地の保護を目的に在中しているのにもかかわらずデスクワークが多すぎて肝心な白神山地をほとんど見てないんですよ~ 昨年まで3人いたのが、ついに1人まで減らされました。」
青森県サイドで環境省担当者が1人。白神山地は世界遺産であるのにもかかわらず。そして工藤さんが
「環境省の方と親しくなってこれからという時に他の場所に赴任してしまいます。2年弱で毎回交替ですよ。これでは白神山地のことを知ってもらえない。何のために来ているのか?」
と首を傾げていた。環境庁は環境省に格上げになってもさほど予算が増えていなければ、人員の増加もない。環境が既に世界的なテーマになっているにも関わらずあまりにも国の体制が不甲斐ない。環境省所属のレンジャーもたかだか200人。この200人のレンジャーが日本全国の国立公園に散らばっている。アメリカの国立公園では一か所分で200人いる所もあるという。不謹慎な意見かもしれないけれど、僕はふと思う。今や、既に余っているといわれる機動隊1000人ほどを警視庁から頂いてきて1年間の環境教育を行い、レンジャーに育て上げてみてはいかがだろうかと…。

環境問題や白神山地の魅力については話が尽きないが、テレビで紹介されなかった出来事をひとつ紹介しようと思う。

夏休みの時期の白神山地でいくつもの沢を越え、やっと深い樹林帯から抜け出した時、河原に水着を着た若い女性と男性が肩をくっつけるようにして座っているのを目撃した!!

ほとんど人と出会わない白神山地の奥深くに水着の女性。白神山地の大自然と水着のコントラストに目のやり場に困りながら、しっかりと拝見してしまった。

さすがに工藤さんも驚いていたようで、背後から近づくものの彼女らは2人の世界に入ってしまっているのか我々一行に気がつかない。工藤さんが気まずそうに
「あの~あなた方、入山許可書を持っていますか?」
と声をかけると、2人は飛び上がらんばかりに驚いていた。いきなり声をかけられ、振り返ったら真後ろに11人もの人がいて、テレビカメラが回っていたのだから、それは驚くのも無理もない。

彼女らは大学生で、工藤さんには入山許可書の存在すら知らなかったといっていたが、後でこっそり
「本当は許可がなければこの辺りに入れないの知っていたんでしょう」
と聞いたら、小さくコクリとうなずいていた。
その日の夜、偶然にも同じキャンプ地にテントを張ることとなり、ずうずうしくも彼らのテントにお邪魔し、お酒をご馳走になり、酔った勢いでいろいろな裏話を暴露してしまった…。

彼らには回収したゴミを持ち帰る手伝いもしてもらった。下山ルートは別々で彼女らとは次の日に別れたのだが、数週間後再びそのキャンプ地に訪れた際にきれいにごみが回収されていた。ありがとう。ただ、今度、白神山地に来る時には、ちゃんと入山許可をとりましょうね。

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