ヒマラヤ , 環境学校 , 私の進む道

2002/01/12

2002年 私の進む道

 

橋本龍太郎氏と何回目かの対談
川口順子環境大臣と
青森県知事,木村守男さんと
富士清掃登山の協力者コスモ石油の会長と
白神山地の又鬼(マタギ)の工藤さんと
チョモランマで清掃活動を行った韓国隊員の李さんと
チベッタンのみなさん
冒険スキーヤー三浦雄一郎さん(左)と冒険家 石川直樹さんと
冒険学校を開校した大場満郎さんと
海洋生物学者のジャック・T・モイヤーさんと
ラジオ番組で恵 俊彰さんと
「めれんげ」に出演して、おさるさんと久本雅美さんと
ネコの誕生とも出会いました(笑)

 2002年がスタートした。
 この一年間を振り返るとよくここまで走ってこられたものだと思う。同時に、我ながらよくがんばったとも思う。

 5月にチョモランマの清掃活動を終えるとすぐに講演のために全国を飛び回る日々がつづいた。半年の間に講演は50回を超えた。チョモランマで回収したゴミも北海道から九州まで全国で展示することができた。
 僕の事務所には毎日のように全国から講演の依頼を頂く。僕もできるならすべて引き受けたい。しかし、残念ながら体が1つしかない。それでも可能な限りしゃべり続けた。時にスケジュールに殺されるのじゃないかと本気で悩みもしたが、それでもやってこれたのは、僕の話しをみんなが一生懸命聞いてくれたからだ。きついなーと思ったときも、みんなの気持ちが僕を救ってくれた。だから、無理なスケジュールもこなせた。

 夏に実施した富士清掃登山には200人を超える参加者が集まった。印象的だったのが子供達のがんばりよう。中学生達と富士山に登頂し、下山中に清掃した。寒さと寝不足でフラフラになりながらもよくがんばってくれた。苦しみながらのゴミ回収に、ゴミに対する怒りを感じたと話していた子供達。怒る事は大切だ。僕の活動の原点は怒りだ。世の中の矛盾に腹をたて、いつも怒っている。その怒りがエネルギーになっている。怒る事はなにも悪い事ばかりじゃない。

 あちこち飛び回ったおかげもあって、素敵な出会いもたくさんあった。
白神山地で出会ったマタギの工藤さん。工藤さんといるだけで僕の汚れていた心がきれいになっていくのが分かった。都会の生活の中で、いつしか恨み、妬み、が僕の心を染めていくが、白神山地の自然と工藤さんの暖かさがフィルターのように僕の心を浄化してくれた。

 橋本龍太郎さんとの付き合いも素晴らしかった。環境問題という極めてデリケートで、時には逆風にあおられるテーマに取り組む僕が困っていると、僕を影で支えてくださり、いつも助け舟をだしていただいた。日本の政治家にもこれほどまでに自然を愛し、自然保護の為に日々勉強されている方がいる。
ただ、残念なのが橋本さんほど世間から誤解されている人も珍しい。これからも橋本さんと共に環境に対する意識改革を目指して戦っていきたい。

 政治家といえば川口環境省大臣との出会いもうれしかったことのひとつ。財界人らの抵抗に負けずに京都議定書の合意を成し遂げた。彼女の功績には地球人として心からお礼を言いたい。東大での討論会は生涯忘れないだろう。きっと東大の学生達も満足してくれた違いない。会場が環境問題という1つの議題をみんなで真剣に取り組めた僕にとっては素敵な時間だった。

環境問題はなにも専門家だけが取り組むものではない。僕らみんなのテーマだ。今年もまた全国を走り回りたい。

 今年のエベレストの清掃登山は以前とは逆のネパール側からサガルマータを清掃する。前年度と同様、再びアジアの仲間達と手を組んで地球のシンボルを美しくする。エベレストに散乱するゴミは人間社会の縮図であるといえる。世界で最も高いところから、世界中に環境保護を訴えていきたい。

 明日からは日本を離れネパールに行く。現地では橋本龍太郎さんも一緒だ。ネパールの山岳関係者と一緒にヒマラヤの自然保護をテーマに意見交換する予定だ。

 今年からスタートするシェルパ基金の準備として、シェルパ基金のカトマンズ事務所設立もしなければなるまい。2001年の暮れには3人のシェルパが来日し、彼らにシェルパ社会の裏を語っていただいた。僕のエベレストの清掃活動などは彼らの助けをなしではやり遂げることはできない。登山隊の栄光の陰で命を削ってきたシェルパ達。シェルパ基金は僕の長年の課題だった。

 今年の8月には青森の十和田湖湖畔に環境教育をテーマにした野外学校の開校を目指す。すべてが初体験。どこまで自分にできるのか未知数であるが、自身に課したこの課題を生涯の夢として、今年また一歩、前へ前へと進みたい。

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