2004年5月アーカイブ

東京都が募集した6名の都レンシャー隊員が決定した。競争率も23倍ほどであったそうで、マスコミにもさほど取り上げられない中にありながら、その注目度や人気には正直驚いた。私の元にある高校生から「大学を卒業したら都レンジャーになりたい。今から勉強します」といった内容の連絡を頂いたりもした。2年以上前から都レンジャーの必要性を東京都に提案し続けてきてやっと念願の都レンジャー制度が実現するのだが、私の中で1つの懸念材料が残っている。その懸念材料を少しでも払拭するために、断食明けに再び小笠原に向かったのである。

 この一年間で小笠原訪問は4回。地元の多くの方々と小笠原でのエコツーリズムのあり方や都レンジャーの役割や期待など協議を行ってきた。特に地元のNPO団体の意識の高さや高度な専門知識や情報量はとても貴重なものだった。しかし、多くの意見や提案が関係者から出されるのだが、まとまらない。それもそのはずで意見が異なる団体同士が面と向かって積極的な意見交換を行おうとしない傾向がある。そして対立した構図だけが残されていく。私の前では双方の批判合戦が繰り広げられる。時には批判もいいが批判に徹しているだけではそれは足の引っ張り合いであり、評論家にすぎないわけで、みんなで力を合わせて新しい志にチャレンジする姿勢ではない。私はもっと村の方々が腹を割って話し合ってほしいと、心底願っている。小笠原に対する熱い気持ちは充分すぎるほど伝わってくるだけに、もったいない。

 東京都が小笠原でのエコツーリズムを提案してガイドの認定制度を作ったり、また要綱によるルール作りを行ってきた。その延長線上に都レンジャーが誕生するのだが、やはりなんといっても小笠原の方々のエコツーリズムに対する思想が抜けてしまっては意味がないし、そもそも地元発のエコツーリズムでなければ定着していかないだろう。都レンジャーがその任務を展開する前に森下村長には村長の直轄の諮問機関を早急に立ち上げてエコツーリズムのあり方について村でその背骨(土台)を作ってほしいと要望した。



 環境保護といった大きな流れに異論は目立たないものの、各論になるとまとまらない現状の打開を森下村長のリーダシップに期待したい。村の将来の姿は村によって決められていくべきであり、そのサポートとしての存在が都レンジャーであると私は考えている。村と都レンジャーが連携し、一緒になって自然保護と活用を念頭に自然科学に基づいた根拠を明確にし誰からにも納得されるようなルールを作っていかなければならない。エコツーリズムのさらなる推進のためにも、是非とも村の明確な姿勢を示していただきたい。

 小笠原の夜、村の人々と酒を酌み交わしながら、ふと、都レンジャーの隊員達が私に代わってこの同じカウンターに座りながら、こうして熱く語り合っている彼らの姿を想像してみたら、よくここまできたものだと感慨深いものがあったが、まだまだスタートラインだ。思わず小笠原と都レンジャーの将来に乾杯していた。

ゴールデンウィークに日本にいるのも何年ぶりだろうか。この10年間でヒマラヤ遠征は27回を超えた。私にとってこの時期(3~5月)にエベレストにいないのがなんとも不思議で、今頃多くの登山家があのエベレストの過酷な状況の中で、果敢に登っている姿を想像してみればこそ、今こうして安全地帯で過ごしている自分がなんだか警察に追われている逃亡者のように感じられてしまうのが、いやはや、なんとも不思議な感覚です。

 実はこの春にヒマラヤ遠征を計画していた。しかし、昨年の秋ごろから体調不良が続き検査してみたら医師から「あなたの血は汚れてドロドロしていますね。これでは人に輸血することもできませんよ。タバコを吸っていませんか? ストレス抱えていませんか? アルコールを飲みすぎていませんか? 大病するまえに治さなければいけませんよ」と指摘された。そういえば昨年の秋ごろからタバコについ手を出してしまい、晩酌しなければ寝られなくなった。
 朝の起床もだるく、午前中は頭が重くて仕方がなかった。そしていつまでも続く疲労感。ストレスもなかったといえば嘘になるだろう。身の回りの状況が大きく変化したし、一気に色々なことが起こりすぎていた。嫁さんからは「最近、言葉が聞き取れない。どもりが酷い」と指摘されていたが、これは私の健康や精神状態を知る上でのバロメーターらしく、イライラや体調不良が続くと自分では気がつかないのだが、どもり始める傾向があると親にもよく言われていた。

 ちょうどその頃、ある雑誌に私の顔写真が掲載されたのだが、偶然それを目にした友人からメイルを頂き「酷い顔していた。生気がない。なんだか老け込んだなぁ~」と言われた。これは挑戦者として大ショックだった。今年は都レンジャーが始まる。全国での自然学校もスタート。また世界規模で環境を捉えるべく、できるかぎり世界各地に出かけたい。登山家として遣り残したことへの挑戦もある。この際、春のヒマラヤ遠征は中止し、思い切って転地療養を行うことにした。

 ある方の紹介で伊東市にあるヒポクラティックサナトリウムという断食を行う保養所に入った。院長はテレビでもよく見かける石原結實先生(イシハラクリニック院長)だ。
 石原先生は、にんじんジュースなど、東洋医学を取り入れた独自の食事療法を指導されることで有名。一日9杯のにんじんジュースと生姜湯、具なしの味噌汁1杯で過ごす。施設はゴルフ場に囲まれており、早朝にその周辺を散歩、午後にはスポーツジムで汗を流す。夕方は温泉にサウナ(保養所以外の温泉も使用)、そして体に生姜湯に漬かした湿布を背中とお腹に巻きつけることにより浄血器管である肝臓や腎臓の動きを活発化させ毒素を排除するといったメニューを毎日繰り返すのだ。

     

 石原先生のお話の中で印象に残ったのが「人間の歯は32本のうち、20本が臼歯(穀物食用の歯)、8本が門歯(野菜・果物・海藻用の歯)、4本が犬歯(魚・肉用の歯)であるところを見ると、人の食物は90パーセント近くは、植物性を食べるようにできている。」
 確かに、ライオンのような肉食動物は尖った歯しかもっていないため、草は食べられず、肉しか食べない。石原先生の話では「ヨーロッパではほとんど野菜が取れなかった。だから仕方なく狩猟をして肉食生活を始めた。そのヨーロッパ人の食習慣を基盤に作られた「栄養学」が戦後の日本で定着してしまった」とのこと。

 確かに北極圏に住むイヌイットがアザラシなどの生肉を食べるのは、野菜がないので、その代わりに生肉の中にあるビタミンを補給するためだ。以前、白人が北極圏を冒険し生肉を食べているイヌイットを見て野蛮人と決めつけ「生肉を食べる野蛮人」といったような意味合いでエスキモーと呼んだようです。しかし、皮肉なことに、野蛮人だと生肉を口にしなかったその白人らは、ビタミン不足で壊血病に犯され、歯ぐきから血を流しながら死んでいったそうな。イヌイットが生肉を食べるのにはちゃんとした意味がある。その土地で生き抜いてきたスペシャリストからなんら学ぼうとしなかったどころか、野蛮人だと差別した西洋人らのおごりが招いた哀れな結末でしょう。

 たかだか、4本しかない犬歯で毎日のように肉を食べるのはやはり無理があるのだろう。「この食い違いにより、血液中の成分の過不足や老廃物の増加を起こして血の汚れが酷くなる」との石原先生の指摘には素直に納得させられた。

 断食5日目を過ぎたあたりから自分の吐く息の臭さに驚く。尿の色も濃くなり、8日目には宿便の排泄、汗もベタベタし、口の中は唾液がネトネトとなり、舌が黄色っぽくなる。
 断食によって血液中の老廃物や汚れが分泌、排泄されていく過程だとのことらしいが、汚いものがどんどん自分の体から排泄されていく経験は毎日が驚きの連続だ。異臭が漂う自分の部屋にいると、いかに日ごろの不規則な生活で血液を汚してきてきたかを実感する瞬間でもある。

 そしてなかなか寝つけなかったのが断食中はびっくりするほど寝られた。よくお坊さんが悟りを啓くために断食を行うが、断食中は脳波にα波が出るからだという。α波が
出てくると、自律神経のうち交感神経(緊張の神経)の動きが抑制され、副交感神経(リラックスの神経)がよく働くとの説明。
 事実、東京にいるときは、休みの日でもどうしても仕事のことばかり考えてしまう。嫁さんにも「こんなに仕事人間だと思わなかった」と愚痴(?)られたりする。しかし、断食中は緊張感もなくなりボケーと、心底リラックスしていた。こんなに安らいだのはいつぶりだろうか。記憶にない。

 僕にとって「断食」のイメージは「ラマダン」だ。子供のころエジプトで過ごしたことがある。「ラマダン」とはイスラム教徒は毎年、行う一ヶ月間の断食のこと。断食といっても太陽が出ているときだけで、太陽が沈めば断食解禁となる。貧しい人の気持ちを理解するためだとか、食べ物のありがたみを感じるためだとか、エジプト人が僕らに説明してくれたが、しかし、まか不思議なことに食費が通常の時よりもラマダン中のほうが遥かにかさむ家が多いとか。夕方になると腹をすかせたエジプト人が急いで家に帰ろうとするため、交通事故が増える。そして太陽が沈めば、食えや飲めやで毎日のようにパーティーが開かれたりする。夜中までドンチャン騒ぎ。全てではないにしろ僕の目にはお祭り騒ぎとしか映らなかった。

 ラマダン中に、昼間にレストランに入ろうとすると、外国人証明書(パスポートなど)の提示が必要な場合がある。あるとき父が外国人証明書を忘れてしまい、レストランに入れてもらえなかった。「どうみても日本人だろ!我々はイスラム教徒じゃない!」と文句を言ってみても「証明書がなければダメなものはダメ」と頑なに入店を断られた。
 レストランを覗いてみたらサウジアラビアや湾岸諸国の金持ちアラブ人がエジプトに遊びに来て昼間からレストランでビールを飲んでいたので、短気な父がプッツンと頭にきて「彼らはアラブ人だろ! イスラム教徒だろ! なんで彼らが昼間からビール飲んでいるのに我々は食事もできないのか!」とけちをつけたら、「あれは外国人です」と言わた。
 「それでいいの?」とその金持ちアラブ人に声をかけてみたら、「旅人はラマダンを免除される」と嬉しそうに酔っていた彼らの顔が忘れられない。なんのことはない、ラマダンを免除されるための旅であったのだろう。そんな光景を毎年のように見せつけられていたのでアラブ全体の現象とは限らないものの、断食のイメージそのものがうさん臭かったものです。

 しかし、実際に断食を経験してみると 自分の体の変化なりがよく感じられ、いかに自身の肉体を理解せず無頓着であったかを気がつかされる。そして医学的なことはよく分からないが、朝目覚めたときの爽快感はなんともいえなく気持ちがいい。心身共に浄化されたことが感覚で伝わってくる。腕や股にできていた蕁麻疹がいつの間にか消えていた。そしてなによりも日ごろ無意味に必要以上に食べ物を口にしていたことを痛感させられた。
 「食事が始まったらゆっくりと何度も噛むようにしてくださいね」と指摘されたが、こればっかりはなかなかな治りそうもない。育ちが悪いのか食事のときも気がつけば自分の皿のおかずがなくなっていることがある。「あれ、俺ここにあったの食べたっけ?」と周囲の人が唖然と驚くことが多々ある。不思議なことに本人が自覚していないまま、食べているんだか、飲み込んでいるんだか分からないうちにちゃんと自分の胃袋に収まっているのだ。

 ただでさえ肉体を酷使してきた。エベレスト清掃登山でも一緒に頑張ってくれた仲間3名が清掃活動後に病で命を落とした。自分も入退院を繰り返した時期があっただけに低酸素や気圧の変化、そして極度の渇きから起こる脱水症状の怖さは理解していたつもりだった。日本に帰国して検査するたびに血液がドロドロしていた。時に顔色も土色になり、オイル交換をしないまま何万キロも走った車のように、体が重くだるく、体調不良と共に気力までもが衰えているのを把握しながら無理やりアクセルを踏みながら人前に出るのが正直辛かった。
 時間がとれないからとそのまま突っ走ってきたが、一つしかない体だ。我がままを承知の上で断食のために長期間スケジュールを空け、東京を離れ伊豆の山の中で過ごしたこのひと時はいままで感じたことのない時間の流れであり、余裕のなさからか今まで見えていなかった部分や新たな価値観が芽生えたような実に清々しく新鮮な体験であった。エベレストや富士山をきれいにするのもいいけれど、その前にまずは自分の体内をきれいに掃除しておけってことです。

 そしてきれいな体を作るためにはきれいな食物を摂らなければならない。きれいな食物を食べるためにはきれいな農業がなければならない。化学肥料や農薬の多投によって土壌が汚染され、また人体への危害が問題視されている。環境問題の中には当然「食の安全」が大きく関わってくる。口に入れる食物までが低価格競争の論理で繰り広げられ、その結果大量生産、大量消費が生み出した輸入依存症となっているが、本当にそれでいいのだろうか。
 農業に対してど素人の私でさえ首を傾げてしまう。人が生きていくうえで原点となる農作物がどのように作られていくのか、そしてどうあるべきなのか、伊豆の山中でふとそんなことを考え始めていた。

佐渡島写真集

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 先日、佐渡島を訪れた。観光客の激減で、経済的に大きなダメージを受けている佐渡島。なんとか観光客を呼び戻そうと「佐渡百選」というイベントを計画。私もその一部に参加する事となり、下見に行ってきた。僕の中での佐渡島のイメージは「島流し」。
 なんとなく日本海の暗さと島流しが結びつき実に暗いイメージがあったが、やっぱりイメージはイメージでしかなかった。とっても穏やかでノンビリした素敵な島だった。山に登れば花だらけ。湿地帯には水芭蕉。水温9度の寒い海にウエットスーツを着込み、潜ってみた。残念ながら潮の流れの影響で透明度は今ひとつであったが、珊瑚と色とりどりの海草が海の森を演出していた。ヤリイカの卵がツララのように海底の岩場からぶら下がっていた。

 そしてもっとも印象的だったのが宿根木(しゅくねぎ)という伝統的建造物郡保護地区。その一角に立ち並ぶ板壁の家は100~200年前に建てられたものが多く、石畳の路地に井戸、また集落は花一色というほど花に囲まれているとても美しい空間。ゴミ一つ落ちていない清潔な集落。景観を重んじていたかつての美しい日本の姿に大感動。日本人の美意識はいつから変わってしまったのだろうか。その集落から離れたくなく、しばしボーっと過ごした。

 そして素晴らしい出会いもあった。そろそろ帰ろうとしたそのとき、ある方に声をかけられた。「なにしにきたんだ」とあまりにもシンプルな質問に「佐渡百選の下見です」と答えたら「そうか、それならば家に上がっていけ!」と仰られる。
 「なんだかおっかないな~」と思いながらもその威勢のいいおじさんについていった。
 「島の若者がみんな逃げていく。爺と婆しか残ってない。仕事がないっていうけど、そんなことない。頭使えよ。自分たちの故郷を盛り上げなきゃダメだよ!」とすごい剣幕に我々は圧倒され一言も口を出せなかった。その風貌と迫力から只者じゃないことは瞬時に伝わってきた。

 芸術家の泉椿魚(いずみちんぎょ)先生であった。博多から日本海沿いに北上の旅を続けながら、訪れた先々の地元の人々と共に町おこし、村おこしを行っているのだ。今現在、この宿根木に滞在しながら書画や戯句の創作に励みながら、集落の復旧活動や若者を呼び戻そうと講演活動などを行っている。
 「日本の文化を残さなきゃ! このまま地方が廃れていってどうするんだ。若者よ、村に帰って来いよ」「飯は食っていける。文化を守って観光客呼んで来いよ。いくらでもアイディアなんかでてくるだろう」「都会なんかにいってなにやってるんだ」と一喝された。しばらくしゃべるだけしゃべってから「あれ、あんたどこの出身だ!」と聞かれ「東京です」と答えたら「そうか、そりゃしょうがないな。ハハハ」と仰られた。しかし泉先生の仰りたいことはよ~く分かる。

 日本には素敵な田舎がたくさんある。しかし、どこでも同じようなスタイルで観光地化されその個性が失われつつある。その結果、観光客からも見放され廃墟と化しつつある温泉街(全てではないが)など哀れなものだ。
 僕が力を入れているエコツーリズムはまさしく地元が自分たちの財産である自然を「自然保護」と「観光復興」とういバランスで新たな産業に繋げていくべきものだと感じている。地元の若者がエコツアーの専門ガイドやレンジャーとなり、徹底したシステムによって保護された美しい自然と文化が人々を魅了し、さらにお客さんの足が向いてくる。そうなれば民宿も旅館も賑わう。
今、取り組んでいる小笠原諸島とまったく同じことだ。そのためにも地元の若い人が集まり、爺さん、婆さんから知恵をもらい、自分たちで故郷を盛り上げなきゃいけない。泉先生の熱い情熱に圧倒されっぱなしであったが、久々に本物と出会い大きな刺激となった。

 

 泉椿魚先生のおっしゃる地域の活性化こそ今、僕が目指していることだ。地方の国に対する依存体質は相当なもの。自分たちの自然や文化に目を向けずに公共事業のための公共事業を繰り返している。佐渡島も美しい海岸線がテトラポットによって台無しだ。
 しかも、ほとんど人の住んでいない海岸までテトラポット。島の人は「いらないダムを造り続けている。本当はもう必要ない。でもね、公共事業だから。それしか収入源ないし。高校生が卒業して島に残るのは数パーセントだけ。仕事がないんだ」と僕に話していた。  
これからはハードじゃなく、ソフトに金とエネルギーを注ぐべき。公共事業も環境型公共事業に切り替える時期。あの汚く露出している電線を地中に埋めるのも、人材育成だって公共事業の一環で行えばいいのだ。あの「ふじみ湖」を繰りかえしちゃいけない。
 先日、茨城県のある自民党の県議から「ふじみ湖」について「報じるな!」などといった連絡が私のイベントを行った某新聞社に連絡が入ったそうだが、目先の公共事業の利権ばかりに寄生しなくても成り立っていく社会を目指さなければならないはず。

 別れ際に泉先生に「野口さん、わしゃ、あんたのことよく知ってるよ。アルピニスト! あなたのやってきたこと、ずっと見てきたよ。ありがとう。会えてよかった。若い人に諦めてほしくないんだ。それだけだ。日本はいいとこだろ。一緒に日本を元の姿に戻そう」と声をかけられ「俺も頑張るぞ!」と全身が熱くなるのがわかった。
 さりげなく素敵な佐渡島。素朴なよき時代の日本の田舎。山に海にそして人々の文化。
僕はまた一つ大好きな日本と出逢ったことに感謝した。

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