2006年マナスル清掃登山 , 富士山清掃 , 環境学校 , 私の進む道

2006/01/01

2006年 私の進む道

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 昨年も色々ありました。アフリカの旅から始まり久々にヒマラヤ8000M峰への挑戦、そして登頂、全国での環境学校開催に富士山での清掃活動に青木ヶ原樹海ごみゼロ作戦対策本部設置。一年があっという間に過ぎていきました。私の人生の中でおそらくもっとも忙しかった年だったんじゃないかなぁ~。おかげで11月以降、かなりバテました。

 年末年始は両親が住む京都で向かえ、この一年間をゆっくりと振り返りましたが、あまりにも慌しかったので細かく思い出せないほどです。それにしても多くの出会いがあった。その中でも印象的であったのがマータイさんだ。アフリカ人女性は初のノーベル賞を受賞されたマータイさんの植林にかける信念は凄かった。時のケニア独裁政権下で民主化運動を展開し、その象徴として植林を始めるのだが、時に警察に捕まり暴行されながらも最後まで逃げずに戦った彼女の姿に僕は目が覚めた。厳しい状況であればあるほど、続けなければならない。負けてはならないとの彼女の言葉は力強かった。俺もまだまだ頑張らなければいけないと心新たにしたものです。

 その影響が今年から再開するヒマラヤでの清掃活動に繋がった。今年で日本隊初登頂50周年のマナスル峰だ。この記念すべき年にマナスルで清掃活動を行えることに素直に喜びを感じるとともに極めて危険であり登頂率の悪いマナスルでの活動。雪崩多発地帯での清掃活動、そして最後には頂も目指す。生きて帰ってこその冒険活動。心して取り組みたい。私はアルピニストといてはまだまだ三流だ。山野井氏のような究極な世界には到底およばないものの、自分なりに精一杯努力したいし、8000M峰での清掃活動も困難極める。4年間のエベレスト清掃活動で疲れ果てもうヒマラヤでの清掃活動は続けられないと感じていたが、マータイさんは負けなかった。続けてこそ意味があることを彼女から学んだ。

 そして今回はマナスルと同時に富士山での清掃活動も予定していますが、僕の山仲間である女優の若村麻由美さんが富士山清掃隊長を快く引き受けてくれました。若村さんは98年にヒマラヤの5545mの頂に登ったことがあるだけでなく、トレッキング中にごみの多さに驚きそのごみを拾いながらの登山を行った方だ。過去にも富士山清掃活動参加してくれた彼女が隊長ならば、僕は安心してマナスルに専念できます。とても感謝しています。

 精一杯生きることは、楽じゃない。夢を持ってしまったがために傷つき苦しむこともある。しかし、一度夢に向かって走り出してしまったら走り続けるしかないのかもしれない。中途半端な夢なら持たないほうがいい。しかし、挑戦を続けるのも怖いけれど、途中で諦めてなにもない自分に戻ってしまうほうがよほど怖い。それならば、どうせ怖いのなら「前へ前へ」と突き進むほうがいい。

 そして今年の課題はできるだけ愚痴は言わない。どうも愚痴っぽいのがいけない。そして軸をずらさない事。目まぐるしく走っているとふと自分がなにに向かって走っているのか分からなくなる。気がつけばとんでもない方向に向かって走っていることがある。軸をずらさないことが実は難しい。人の意見をよく聞きながら時にふと立ち止まる勇気。そしてなにがあっても決して人のせいにしないこと。自分で決めたことには自分で責任をとる。この当たり前なことをちゃんとやっていきたい。私もまだまだ未熟だ。そんな事を痛感した2005年でした。

 昨年もそうですが、僕を支えているのは富士山清掃活動で一緒に汗をかいてくれている参加者や富士山クラブのメンバーや環境学校の生徒達。逆に彼らから学ぶべきことが多い。彼らには僕が忘れかけた初心がある。どれだけ救われてきたか。つい先日、高校一年生の生徒が「キリマンジャロに登ってきました!」と嬉しい連絡をくれた。遠征費用もアルバイトでコツコツ貯めながらトレーニングした。来年にはアコンカグア(南米最高峰)を目指すとか。また小笠原諸島の子供達が行った捨てられた車の撤去作業。

 みな、大人たちが分かっていて気がつかないふりをしていたことだ。奄美大島の仲間は島を縦断しながらゴミを拾った。地元の新聞にも大きく扱われ環境メッセンジャーとして大活躍してくれた。他にも多くの同士が全国で活躍した。その知らせを耳にする度に勇気付けられる。これからも一緒に目標に向かって走っていく仲間達です。俺もまだまだ負けないぞ!と今年も思いっきり最後まで走りぬきますので、応援よろしくお願いします。


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