5月14日、20時45分、チョモランマ、アタック開始。満天の星空に天に感謝。
真っ暗闇の中、ヘッドランプの光を頼りに黙々と登る。聞こえるのは酸素マスクからの
「スースー」といった酸素の流れる音とピッケルの「ガツ ガツ」と雪を突き刺す音のみ。
一歩一歩登りながらこの10年間の重みをひしひしと感じていた。
「チョモランマ」この言葉の響きにいつも囚われていたような気がする。サガルマータ(エベレストのネパール側)に登頂を果たしてもそれは変わることはなかった。
チョモランマ登頂
5月15日、午前8時10分、ペンバドルジ、クリシュナ、カイラシュ、アンカジ、パルデェン、平賀淳、そして野口健とチョモランマ登頂!山頂から日本に衛星電話をかけ、仲間の声が聞こえてきたら不意に涙が流れてしまった。
永かった10年間。チョモランマ遠征前は周囲から「あの多忙なスケジュールで満足なトレーニングもできていない。「登頂は難しいだろう」といった声が聞こえてきた。確かにほとんどトレーニングができないでいた。しかし、そのことを言い訳にはしたくなかった。言い訳を言い出したらきりがない。また最後のチョモランマ挑戦と公言していたので、もし登頂に失敗したらどうしようと不安で一杯だった。そんなことを言わなければよかったのにと後悔したこともあったが、それもこれも自分で決めたことだ。当たり前のことだが、自分で決め、公言したことは実現しなければならない。自分に負けてしまったら、それこそ終わり。
30分ほど山頂で景色を楽しみすぐに下山へ。山頂直下からマスク内の酸素の薄さが気になり、登頂したときには頭がガンガンと痛んだ。酸素を吸っていながら何故?とシェルパに
「酸素が漏れていないかなぁ~」
と相談したものの分からず。下山は山頂で一緒になった他の日本隊員と行動を共にした。
しかし、下山開始して30分ほどで彼の様子がおかしくなり、時に自らの頭をピッケルでコツコツと叩いていた。そして山頂直下で座り込んでしまい、話しかけているうちに
「う~ん」
と小さくうなり声を上げたかと思ったら頭をコクッと垂れてそのまま眠ってしまった。
一瞬なにがおきたか分からずシェルパ達とシーンとしてしまったが、次の瞬間に
「しまった!」
と彼の名前を呼び体を揺すったが反応なし。人工呼吸したくてもこちらも極度の酸欠のために息がだせない。
「あ~あ~」
と焦っているうちに死後硬直が始まってしまった。
あっという間の出来事だった。
彼は私とシェルパの腕の中で息を引き取ってしまった。その現実に脱力感に襲われたが、しかし、その現場は急な雪壁。せめて彼の遺体を少しでも降ろそうと100メートルほど滑り降ろした。そこでルートから2メートルほど離れた場所に遺体を固定。それが我々にできる精一杯のことだった。彼のシェルパが泣くので「お前の責任じゃない。これがチョモランマの世界だ」と慰めてみたが私も泣きたかった。
もっとも身近なところにいながら助けることができなかった。遺族の方々に申し訳ない気持ちで押しつぶされそうになった。
しかし気がつけば1時間以上もその場にいたわけで、山頂直下という場所を考えればすぐに下りなければならなかった。すでに酸素の残量も減っており、また私の酸素マスクが故障しているんじゃないかとマスクに不信感を抱いていたのでとにかく最終キャンプへと急いだ。
最後は三歩歩いては倒れ、立ち上がり、三歩歩いては倒れた。雪まみれになりながら最終キャンプに着いたのは午後6時過ぎ。
先に下山していた平賀淳くんに助けられながらテント内に。
しかし、胃痙攣が始まり吐き続け、次に呼吸困難に。
「あ~俺ももうここまでかぁ~」
と諦めかけそうになった。
その時にシェルパに
「酸素マスクを変えてくれ」
ととっさに頼んでいた。酸素マスクを交換してみたら「スー」と濃い酸素が肺に入ってくるのが分かった。
やはり酸素マスクが壊れていたのだ。それから3時間ほど静かにジーと酸素吸入した。少しづつだか体温が戻ってくるのが分かった。
そのまま翌朝を迎える。
ABCに戻るため午前9時過ぎにキャンプ3を下る。その瞬間に真横のテントのチェコ人が突然立ち上がりクルリと回ったかと思ったら雪の中に倒れこみそのまま息を引き取ってしまった。
あまりの呆気なさにみな唖然。死因は分からないが脳血栓だったのだろうか?
フラフラしながらキャンプ2へ。そこで二次隊の谷口ケイさんとすれ違った。
「もう健さん、昨日は心配したよ!山頂直下で酸素が無くなったらどうするつもりだったの!でも登頂できてよかったね。おめでとう」
のケイさんの言葉が胸にジーンと響いた。
「次はケイちゃんだね。無事の登頂を祈るよ」
と別れた。午後7時過ぎ、なんとかABCにたどり着いたが、昨日のマスク故障による低酸素障害が深刻で一晩中、呼吸が安定せず、疲れて寝たくとも呼吸が止まっていることに気がつき慌てて起きる。
そしてウトウトするとまた呼吸が止まる。その繰り返し。
結局、ほとんど眠れず。苦しい夜だったが、ただこうして生きて生還できたことにひたすら感謝していた。チョモランマは遺体だらけの死の山だっただけに・・・。