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私の進む道

安吾賞受賞にあたり

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2007/11/20

安吾賞受賞にあたり

*このたび野口健が「安吾賞」を受賞しました。「安吾賞」の詳細はこちらからご覧ください。

 「反逆者」「無頼派」「反権威」。新潟市出身の作家・坂口安吾を評する言葉は様々だ。神経衰弱になりつつも創作を続け、自身すらも壊しかねないような尖った感性で、時代や人間の本質を描いた安吾。その言葉は時代を超えてなお人々の心を揺さぶり、感動を与える。

 昨年、生誕100年を記念して創設されたこ の安吾賞は文学賞ではなく「安吾的な生き方」に対して送られる賞だと聞いた。安吾的な生き方とはどのようなものなのだろうか。それは私の解釈だと「既存の 価値観や旧弊にとらわれず、社会に警鐘を鳴らし、自らを生ききったもの」という風に思っている。

 それでは私自身がそういった生き方をしてきたかというと、正直なところ自分ではよくわからない。何故なら私はそのように生きてこようという意思は別になかったからだ。
 そもそも安吾は意図的にあのような波乱に満ちた生涯を送ったのだろうか。私はそれは違うと思う。安吾はただそのようにしか生きる事ができなかったのでは ないか。神経衰弱になりながらも、人間や社会を穴が開くほど見つめ、ペンをとり、書き続けることでしか自己の生命を維持する事ができなかったのでないかと 思う。

 エベレストをはじめて訪れたとき、ゴミの多 さに驚いた。様々な国のゴミがあったが、日本語が書かれているものが実に多かった。ヨーロッパのある登山家が散乱する日本のゴミを指差し「日本は経済は一 流だけど、マナーは三流だ」と言った。実際には一部の日本の登山家が捨てたゴミなのだが、日本という国自体を侮辱された事が許せなかった。またエベレスト での清掃開始後は、日本の山岳界の一部の方々からもご批判を受けた。要するに「黙っていろ」ということだった。

 2000年から4年連続で行ったエベレスト 清掃登山で結果として3人のシェルパ(ネパールの山岳民族。登山隊のサポートを主な生業とする)が命を落としてしまった。私自身も入退院を繰り返した。親 や友人から「ゴミ拾いで命を落としてどうする」と何度も注意を受けたが、私はやめるつもりなど毛頭なかった。

 今、思えばあのときの自分が何故、活動を続 けられたのか。わかるようでわからない。振り返れば、そもそも高校を停学になって山に出会い、今に至るまで何故、自分は山に登り続けているのだろうかとい うこともわからない。また日本の象徴である富士山で清掃活動を開始して約8年。最初は年間で100名たらずの参加者が今では年間6000名を超えるまでに なり、一種の社会的なムーブメントにまで発展した。でも私は何故、この活動を続けているのだろうか。

 それぞれの活動の動機に理由をつけることは できる。エベレスト清掃は日本を侮辱したヨーロッパの登山家と日本の一部の山岳関係者に対する怒りがそうさせたとも言えなくもない。登山は高校時代、落ち こぼれだった自分が何かで人に認められたいという欲求の表れだったのかも知れない。富士山の清掃は、不法投棄を繰り返す犯罪者たちへの怒りと言えなくもな い。

 でも正直、私はそれらの理由に真の意味での本当のものを感じない。人間がある行為をはじめ、それを維持していく理由はもっと混然としていて一言で捉えきれるものではないと思う。何が私をそうさせるのか。それはわかるようでわからないのだ。

 ただ一つだけわかることは、抽象的になる が、常に私の中には、ある乾いた穴のようなものがあることだ。そして私はその穴を埋めようとする自分を抑える事ができない。その穴を埋める行為こそが私の 活動であり、人生であるといえる。つきつめて考えると、結局、こういう風にしか生きる事ができないということになる。

 私は人生とは己を表現する、自己表現の舞台だと思っている。私はただ生きてきた。ひたすらに生きてきた。それが今までの自分の全てだと思う。

 今回、結果として私の生き様がこのような形で評価されることに喜びを感じています。今後もこの賞に恥じることのないよう生きていきたいと思います。ありがとうございました。

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