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2008年冬ヒマラヤ , ヒマラヤ , 清掃活動

ネパール・ヒマラヤ入り 清掃キャラバン開始

2008年冬ヒマラヤ , ヒマラヤ , 清掃活動

2007/12/30

ネパール・ヒマラヤ入り 清掃キャラバン開始

12月25日、ヒマラヤに向けて出発(同行者・舟津宏昭[富士山クラブ]・平賀淳[自称山岳カメラマン]、羽月雅[友人])。今回の目的は昨年から 始めたエベレスト街道沿い(エベレスト山麓のシェルパの村々を繋いだ街道)の村々での清掃キャラバン、イムジャ氷河湖を含めた氷河湖の視察、アイランド ピーク(6198M)登頂、そして日本からの逃避。帰国予定は1月25日。
 

 タイ王国経由で26日にネパールの首都であるカトマンズ入り。久々のカトマンズ。日本を離れホッとする。今年も一年、日本全国を飛び回った。多く の出会いあり、発見あり、しかし今までになく目まぐるしい一年でもあった。チョモランマ挑戦から環境学校、講演活動、出版(確かに生きる)、参院選への出 馬要請、ヒマラヤ山域(ネパール・バングラディシュ・ブータン)を訪れ気候変動による氷河の融解による被害の調査や訪れた各国元首級へアジア・太平洋水サ ミットの参加の呼びかけ、そしてアジア・太平洋水サミット開催と追われ続けた一年。時に私ごときの知能を遙かに超えた職責に荷が重くプレッシャーに押しつ ぶされそうにもなったが、どれもこれも誰かがやらなければならないこと。それならば自分がやらなければと自身の尻を叩き続けた一年間。
アジア・太平洋水サミットを終えた頃、ふと気が抜けたのか、張り詰めていた糸がプツンと切れたのか、それとも水サミットで勝手に抱いていた明確な目標設定、解決策にまで至らなかったことなど、自身の無力感に襲われたのか、ガクッと落ち込んでしまった。
それは自分でもコントロールできないほどにもろかった。そんな時に夜中に千葉の自宅まで駆けつけてくれ、朝方まで語り合ってくれた仲間がいた。こうして仲間に支えられてきた一年間でした。
ブログでは水サミットや外務省についてついつい感情的になって愚痴を書き込んでしまった未熟さに反省。そもそも2日間のサミットで全てが解決するものでは ない。サミットとは世界に問題提議し、そこからアクションを起こすものでしょう。日本水フォーラムの方々はサミット開催直前から閉会まで徹夜の日々。さぞ かしご苦労が絶えなかったでしょう。小生如きが愚痴っていてはいけない。外務省に対しても同じです。皆それぞれ色々と事情を抱えながら活動しているわけ で、こちらの思いを一方的にぶつけてはいけない。求められるのは連携なのだから。確かに水サミットで開いた穴は小さい。しかしこの小さな穴をどれだけ大き くする事ができるのか、水サミットでチャンスを頂いた私たちに与えられた使命です。

  27日はICIMOD(国際総合山岳開発サンター・ヒマラヤの周辺8カ国でつくる研究機関で本部はカトマンズにある)のメンバーとネパール山岳協会会長の アンツェリン氏と水サミットを受けて今後の氷河湖対策についてミーティングを行った。ICIMODはアジア・太平洋水サミットの「ヒマラヤ地域における気 候変動」のセッションで一緒に発表した現場の仲間。来年春に大規模な氷河湖の調査を行うとのこと。「一緒に調査隊に参加しないかと」とお誘いを受けまし た。一致した意見は引き続き「現場からアクションを起こそう!」だった。

12月28日 カトマンズ~ルクラ(清掃キャラバン開始)

エベレストの玄関口であるルクラへ。ガイドのアンドルジ・シェルパ(39才)と合流。ナムチェバザール村で山小屋を経営しているアンドルジ・シェルパは北 アルプスの燕岳(つばくろだけ)の燕山荘で山小屋経営の勉強している。アンドルジ・シェルパは「日本の山小屋はゴミの処理などに熱心。私たちは日本の山小 屋から学ぶべきことが多い」と話す。


29日、ナムチェバザール村(3440m)に到着。30日、ナムチェバザール村での清掃開始。

 

昨年、ナムチェバザール村で清掃活動を行った時に村人に参加を呼びかけたがなかなか集まらなかった。最終的には村の子どもたちが6人集まっ て参加してくれたが、印象的だったのが「ゴミを拾っているところをお父さんに見つかったら叩かれる」という言葉だった。ここでもカーストの問題があった。 しかし、今回は呼びかけをしていないのに清掃開始と同時に子供たちが集まってくれた。そして大きな変化はナムチェバザール村の青年会のメンバーが清掃活動 に加わったこと。村の若人達が「日本人が私たちの村を奇麗にしてくれている。とても感謝しています。私たちも一緒にゴミを拾います」と嬉しい言葉だった。

偶然であった日本人トレッカーの星野さんも参加してくださった。

星野さんは岐阜県にある高校の教員。星野さんは「観光だけで来ていたら気がつかなかった。清掃活動に参加してみてゴミの多さに驚いた。高校に戻ってこの経験を生徒たちに伝えたい」と話してくださった。

半日で大よそ300キロのゴミを回収。しかし、村はずれのゴミ捨て場にゴミを運んで驚いたのがこの一年間で集められた大量のゴミが処理されずに広範 囲に散乱していた。空き缶などの燃えないゴミの山。村人のゴミ、それ以上に登山隊やトレッカーのゴミが人目につかない場所に溢れていた。ゴミ回収はできる が、ゴミの処理が追いつかない。清掃隊一同、しばし呆然とそのゴミ処分場で言葉を失う。


富士山クラブの舟津さんは「空き缶などアルミやスチール、また金属など日本などでは集めればお金になる。ネパールでもゴミを再利用するシステムを作ってみ たら。例えば集めたアルミをインドに売るとか。そうすれば空き缶などを回収する人が増えるのでは」と村人に提案していた。

 

明日はクムジュン村へ移動。年明けの2008年1月1日はクムジュン村での清掃活動。年末年始はヒマラヤでの清掃です!

 

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