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2008年エベレスト清掃登山 , シェルパ基金 , 教育

シェルパ基金~子どもたちとの再会~

2008年エベレスト清掃登山 , シェルパ基金 , 教育

2008/05/08

シェルパ基金~子どもたちとの再会~

 緊迫状態のヒマラヤからカトマンズに戻り待ちに待った定宿のサウナに入ったら肩の力がガクンと抜けたのか、そのまま部屋のベッドに倒れこむかのように、そしてしばらく起き上がることが出来なかった。夜は日本レストラン「ロイヤル華」へ。ここのお鍋料理が大好きで、またお庭にお風呂があり、ヒマラヤで冷え切った体を温めるには最高だ。ガイドのアンドルジさん、そしてカメラマンの平賀淳君と「いや~お疲れ様でした!」とお風呂の中で乾杯!ヒマラヤから戻った最初の記念すべき第一回目のお風呂はなんとも形容しがたい気持ちよさ。こればっかりは経験しないとその感動は伝わらない。なにしろ一か月ぶりのお風呂である。エベレスト登山ならば二か月ぶりのお風呂となる。夢にまでみたお風呂にサウナに感激のカトマンズに夜となった。
シェルパ1

シェルパ2

シェルパ7

6日、私はカトマンズ郊外にある「マウント・カイラススクール」に向かった。チベット系の小中高一貫教育の全寮制の学校だ。2002年から始まったシェルパ基金。ヒマラヤ登山で外国人に同行し遭難してなくなったシェルパ達の遺児の養育を手伝わせて頂こうと立ち上げたシェルパ基金。きっかけは相棒のナティー・シェルパ(デェンディー・シェルパの弟)がパンガ村で日本のトレッキングツアーに同行し、遭難(宿泊していたロッジが雪崩に押しつぶされた)、日本人トレッカーと共に死亡してしまった。遭難のニュースを耳にし、慌てて日本から駆けつけ彼の遺体を発見しルクラで待つ彼の母親のところまで届けたが泣き崩れる老いた母にその兄弟たち。日本の報道陣のカメラは亡くなった日本人トレッカーの遺族ばかりにむけられ一緒に亡くなったシェルパ達に向けられることはなかった。
シェルパ6


シェルパ5

現場にてその一部始終を目撃した時からシェルパ基金を作り、ヒマラヤの遭難による遺児たちの育成に関わっていこうと心に決めていた。いま、このマウント・カイラススクールには私の子どもたちが沢山いる。年に一回、ヒマラヤから降り彼らのところを訪問することが習慣となっている。

一昨年は動物園、その前は美しい丘、今回は悪天候とうこともあり、ネパール山岳会会長のアンツエリンさんの弟さんのトゥクテンさん宅でお食事会パーティーとなった。来年はネパール第二の都市であり美しい湖がある「ポカラに遠足に行こう!」と盛り上がった。
シェルパ4

年々、成長していく子供たちの姿にどれほど励まされ助けられてきたことか。助けているようで逆に助けられているのだ。シェルパ基金によってマウント・カイラススクールに通う子どもたちを毎年数人ずつ増やしているが、最初は地方から一人やってくるのでホームシックやカルチャーショックなどを経験する。特にお父上を亡くされてからやってくるわけで、その表情が怯えているようであったり、曇っていたり。しかし、その翌年に再会する時には目をキラキラと輝かせた彼らの姿に安心させられる。
 
慣れない鉛筆を握るだけで幸せなそうな彼ら、学べる事に最大限の喜びを感じてくれている。厳しいヒマラヤから戻り彼らと再会するのが私の最大の喜びでもある。私もこの年であまりにもたくさんの子の父親になった。彼らの生き生きとした表情を眺めながら「またこれからの一年、頑張るぞ!」と気合を入れるのであった。
シェルパ3

2008年5月6日 カトマンズにて 野口健

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