2008年8月アーカイブ

 いよいよ新潟県佐渡島にて9月25日にトキ(鴇)が放鳥される。トキの野生復帰に向けて地元のNPO団体、農家の方々と連携し、4年前からトキの餌場となる棚田作りに加わってきた。今回の野口健環境学校(主催・NPO法人セブンサミッツ持続社会機構 協賛・コスモ石油エコカード基金)はトキ放鳥を1つのテーマにし、高校生・専門学校・大学生の学生合計15人が集まり8月27~29日に佐渡島で行われた。

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 日本でのトキ絶滅に関しては様々な原因があるとされている。よく農薬などによる環境破壊によってトキが絶滅したと指摘されているが、「環境問題」の定義によるもの。そもそもトキは人間が手を加えてきた里山に多く生息してきた。棚田などがその典型であり、人が木を切り拓き炭や水田を作ってきた。この部分に関してみれば人の手によって自然環境が変化しているわけで、本来の自然環境の形、また生態系を変えたという観点で見れば、棚田作りは「自然環境の破壊」とも受け取ることができる。つまり人間による「環境破壊的行為」によってトキが生息してこられた一面がある。

 しかし、1970年代初期から農業の効率化が進み不便な山間部の棚田は放棄された。トキの餌場であった棚田の消失が、トキ絶滅の要因の1つになる。また米の減反政策によって二毛作が一毛作になる。水田の水抜きによって土壌が殺菌され、その結果、微生物が減る。これは野生生物にとっては農薬よりも脅威だと新潟大学の本間孝介先生は指摘する。また戦後になって鉄砲での猟が認められ、害鳥とされていたトキは乱獲された。トキの絶滅は農薬などによる「自然環境破壊」ではなく「乱獲」によるものだと指摘する専門家は多い。

 したがって「自然環境の変化」ではなく、「社会環境の変化」によってトキは絶滅したのだろう。本間先生によれば「トキの絶滅に関して自然環境の破壊は1~2割ほどの要因でしかない」とのことである。産業革命から始まったとされる環境破壊。つまり「社会環境の変化」から「自然環境の変化」が生じているのだ。

 特にこの環境学校で学生たちに伝えたかったのは、そもそも「誰のためにトキを守るのか」そのポイントである。トキ放鳥に向けて佐渡島では無農薬、減農薬、有機農法などの環境保全型農業への移行が徐々に進められているが、農家に与える負担は計り知れない。我々はあまりにも安易に「無農薬、減農薬にすればいいじゃないか」と意見をするが、そこには農家の人々の苦悩は含まれていない。環境学校では減農薬、無農薬などで生い茂った雑草むしりなどの作業を行ったのも、少しでもその作業の過酷さを体験してほしかったからだ。世間では単純にトキ放鳥を歓迎するものの、決して国策として取り組まれているわけではない。

 現状は農家やNPO団体におんぶに抱っこ状態だ。例えば中国政府は、トキ保護地域の農家に対して、棚田作りや、また無農薬などで生じた経済的な損失を補償している。同じくトキ野生復帰を目指す韓国は国をあげて取り組もうとしているとのこと。その一方、日本の状況といえばトキ放鳥に向け環境省、国土交通省、林野庁、農水省などがバラバラに財務省に予算請求している。いわゆる縦割り行政の弊害であるが、国が一丸となって取り組んでいるわけではない。(現在は2007年に環境省がレンジャーを佐渡島に派遣し、そのレンジャー隊員の情熱によって環境省が中心的な役割を担ってきたとのこと やはり現場に人員を配置する意味は大きい)
 
 また里山文化の復活が理想的であるが、現実的には里山で生活してきた以前の文化、社会の仕組みを完全に取り戻せるものでもない。したがって里山での棚田開拓はあくまでもトキの野生復帰のために用意され、維持されなければならない。一部の農家やNPO団体に頼るだけでは、この取り組みは継続せず頓挫するだろう。日本社会が本当にトキの野生復帰を目指すのならば、地元だけに負担を押し付けるのではなく、日本社会全体が加わった長期的なシステム、またそれにかかる財源を確保しなければならない。

 また私たち消費者が、減農薬、有機肥料で作られた佐渡島のお米やお野菜などに付加価値をつけ、いくらか高価であっても積極的に購入できるのかどうか。「安ければいい」では環境保全型農業は成り立たない。個人的には、あの中国による冷凍餃子事件などを1つの教訓にしなければならないと切に感じる。体内に入れるものが「安ければいい」で良いはずもない。これは農薬とは別件かもしれないが、そもそも食糧自給率が4割足らずでは有事の際の国防問題にも影響する。食糧の海外依存率が過ぎれば日本にとって弱点となる。
 
 そして、トキが生息できる環境が人間にとっても魅力的な環境でなければならない。大切なことは「トキのための活動」なのか、それとも「結果的に人間のためのトキ保護活動」なのかを、棚田作りを通して,また地元の人々との交流から、学生たちに感じてほしかった。トキ放鳥を1つのきっかけに、どのような社会を築いていくのかが問われている。環境問題は「自然が相手」ではなく「人間社会が相手」なのだから。

 とっ、偉そうに長々と意見させて頂きましたが、私自身棚田作りに関わったのはたかだか4年間。ただ驚いたのが昨年に復活させた棚田が今年、訪れてみたらドジョウからメダカ、カエル、ゲンゴロウ等がウヨウヨいたことだ。土壌を耕し水を入れただけで(地元の農家の方が肥料も入れた)これだけの生命が戻ってきた事に素人ながら感動していた。また泥にまみれる事がなんとも楽しい。そして恒例となったのが、棚田の中での相撲取り。

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今年はコスモ石油の鴇田さんと四番とり残念ながら1勝3敗。相撲は先に手を付けたほうが負けるので落ちる時は顔から落ちるもの。おかげで鼻の中も耳の中も泥まみれになる。2年前は鼻からバイ菌が入り急性蓄膿症にやられ、翌日から高熱と鼻から流れる膿に苦しめられ、佐渡の病院で治療を受けるはめとなった。それでも泥んこの中での相撲は楽しく、リスクを背負ってでも止められない。また棚田作りに必要なのが足で踏み固めること。つまり一石二鳥なのだ。

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相撲後にコスモ石油・鴇田さんと ちなみに左が私です


 9月25日、トキは放鳥される。果たして放鳥されたトキが生き残れるのかは、これからの取り組みにかかってくる。放鳥してから「もう知らん」ではあまりにも無責任だ。この棚田作りにこれからも積極的に関わっていきたい。

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 8月29日 東京に戻る 野口健

鴇田穂積さん、企業広報賞受賞!

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 白神山地から戻りいよいよ娑婆へ。今日は嬉しい事がありました。株式会社コスモ総合研究所・経済調査部CSR・環境グループグループ長(コスモ石油株式会社 前広報室長)の鴇田穂積(ときた ほづみ)さんが(財)経済広報センターによる大24回「企業広報賞」の企業広報功労・奨励賞を受賞。

経団連
経団連・御手洗冨士夫会長より授与(左より鴇田さん・御手洗会長)

鴇田さん

 エベレスト清掃登山を行ってこられたのも、また野口健環境学校をスタート出来たのも全て鴇田さんのおかげです。7大陸最高峰挑戦を終え次はエベレスト清掃活動に移ったが、当時はエベレストでの清掃活動に対して企業からその意義を理解して頂けず資金集めに苦戦していた。そんな時に出会ったのが当時コスモ石油・広報室長の鴇田さん。
 「エベレストの清掃活動は世界に対してごみ問題に対して問題提起できる。大変意義深い活動です。大いにやってください」と初めてお会いした際にその場でコスモ石油の協力を直結してくださった。

鴇田さん

鴇田さん

 そして2005年に行われたマナスル峰清掃活動では約5000メートルにあるベースキャンプにまで駆けつけてくださった。また今年3月には海面上昇で水没の危機を指摘されている南太平洋のツバルで一緒にマングローブなどの植林を行った。鴇田さんは徹底した現場主義。われわれ現場の人間と同じ感覚で、時に一緒に悩み、そして共に解決に向けて取り組みここまで一緒に歩んできました。

鴇田さん
マナスル・ベースキャンプにて(右が鴇田さん)

鴇田さん
ツバルにて(左から野口、ツバル・イエレミア大統領、鴇田さん)
 
 野口健環境学校もまずは鴇田さんにご相談。登山家などいつ尽き果てるか分からないもの。未熟でありながらも今、子どもたちに伝えるべきことは伝えなければならないと2003年からコスモ石油・野口健環境学校を開始。明後日から開催される佐渡島での野口健環境学校にも鴇田さんはボランティア・スタッフとして参加してくださります。私の最大の理解者であり最大の環境仲間です。

 その鴇田さんの企業広報賞受賞は自分のこと以上に嬉しい。本当におめでとうございました。
 

8月25日 野口健

マタギの工藤光治さんと白神を歩く

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 先週、環境学校、清掃キャンペーンと富士山にこもっていたが、人人人の渦にもまれそんな時にふと白神山地が頭をよぎった。「そうだ白神山地に行こう!」と急きょ決定。僕が世界で最も好きな自然がその白神山地。2000年からほぼ毎年のように白神山地に通ってきた。そしてマタギの工藤光治さんとの出会い。僕にとって白神山地と工藤光治さんはセット。「ヒマラヤとシェルパ」と同じように「白神山地とマタギ」は一括りだ。白神山地を守ってきたのもマタギ。環境保護といった名目でマタギを白神山地から追放してはならない。今年の一月にマタギの文化を守ろうと青森県で工藤さんと座談会を行った。

マタギの工藤光治さんと
マタギの工藤光治さんと

座談会の様子はこちらからご覧ください。

白神

白神


今回は秋田県側の二つ森登山口から白神山地の核心地域を超え青森県の「暗門の滝」に抜けるコースを予定していた。しかし、8月21日、12時過ぎに二ツ森登山口で工藤さんと合流したら「野口さん、雨を持ってきましたね。昨日から豪雨さぁ。今朝なんかずっと雷だぁ~ これでは沢を超えることができねぇ」と豪雨の影響で白神山地は荒れに荒れているとのこと。いくつもの沢を超える「マタギ道」で最も気をつけなければならないのが豪雨などによる河川の増水だ。

増水し勢いが強い暗門の滝
増水し勢いが強い暗門の滝


これから暗門の滝を超える

                      これから暗門の滝を超える

昨年も増水による数件の遭難がありヘリによってレスキューされている。とりあえず様子を見て次の日に判断しようと二つ森登山口にテントを張った。夜までたらふく時間があるので小林君と二ツ森山山頂(1062㍍)を目指した。幸いに雨は上がっていた。霧の中で景色は望めなかったが、それでもブナの森を歩きながら空気の美味しさ、そしてブナの表面を流れる滴やコケ、どれもこれも素晴らしく、そして心底癒してくれる。「あ~白神に帰ってきた」と思わず声に出していた。

二ッ森山頂にて
二ツ森山頂にて

滴が流れるブナ

                           滴が流れるブナ

下山後、車で里まで下り温泉へ。ハタハタ館だったかな?サウナに入ったら老人がチラチラと覗いてくる。そして目があったら「いや~山登りの、野口さんでしょ!普段、テレビで見る人の裸を見られるんだから、うんうん」となんとも無邪気な嬉しそうな表情を見せてくれたが、私からすると、いやはや、そんなお見せするほどのものでもないし困ってしまった。ましてやサウナの中で汗だくになりながら気がつけば目線。そして目が合えばニコッとくる。そんな時の沈黙は辛いもので僕から「地元の方ですか」と質問したら「いや、名古屋の方の出身でね、ただ自衛官でこっちの駐屯地に派遣され退官してからも残っているのさ」と。僕の祖父も自衛官であったのでそこから会話が弾んだ。

そして先にサウナから上がり流し場で頭を洗っていたらいきなり背中をゴシゴシとさっきの老人が擦ってきて「野口さん、これもなんかの縁だ。冥土の土産に背中を流させてよ」とこれにはビックリし今度はお礼に僕がその方の背中を流した。交互に背中を流し合い、大好きだった祖父の事を思い出しながら、「こうゆう銭湯での裸の付き合いもいいものだなぁ~」と、またそういえば学生の頃に下宿先の近所にあった銭湯にも、これまた近所の仲の良いラーメン屋(油そば屋)の亭主とよく一緒に銭湯に通ったなぁ~とただ残念ながらあの銭湯も店を閉めてしまったと昔を懐かしがっていた。

夜は工藤さん達と避難小屋の中で宴会。焼酎が進みほどよく酔っていたら小林くんの「野口さん、誕生日おめでとうございます」の一言に「ああ~四捨五入したら俺も40だぁ~大きくなったものだなぁ~」と、もっとしっかりせねばいかんと肝に銘じていたら工藤さんが「先週、野口さんが突然やってくると連絡があり、撮影でもないし、これはよっぽど疲れているんだろうと、マタギ仲間と野口さんを癒してやろうと話していたんだ」との温かい言葉にウルルときてしまった。銭湯での背中流し合いっこや、工藤さんの温かい一言に人の情の温かさを心から感じていた。35歳、素敵な誕生日となりました。


小林君と
小林君と

白神 看板


8月22日も午前中は雨が降り止まず赤石川越えを断念し、変わりに工藤さん達が環境省から委託されている看板立てに同行した。真瀬岳(988?)の山頂に「世界遺産地域」であることを記した看板を立てた。そして下山後、車で青森県西目屋村にある工藤さん宅に向かった。

藪こぎに悪戦苦闘
藪こぎに悪戦苦闘

神々しいブナの原生林

                         神々しいブナの原生林



8月23~24日にかけて暗門の滝を超えブナの原生林の中で一晩過ごしてきた。豪雨の影響で暗門の滝までのコースが破壊され橋がいくつも流されていた。増水が危ないから核心地域には入るのをやめようとの工藤さんの判断は正しかった。まだ8月だというのに川の水はキイーンと冷え込み手足がかじかんだが、それでももう全てが気持よかった。川がブナの緑を吸収し緑色に映る姿は、ハッと息を飲むほど美しかった。

緑に映る川
緑に映る川

太陽に光るブナの葉

                          太陽に光るブナの葉

ブナの原生林はとても明るい
ブナの原生林はとても明るい

白神

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白神山地を下山し東京に戻る飛行機の中で「再び戦場に戻るのかぁ~」と気が重たかった。次の白神山地はいつになるかな。また工藤さんと白神山地を歩く日が来るまで頑張ろう!

休みが終われば翌日から埼玉で開催される軍縮会議での基調講演。何故に私が軍縮会議で講演をするのかよく分からないがテーマは環境問題でいいとのこと。軍縮会議で環境問題をテーマにするとは、世の中、変わったものです。そしてその次の日から佐渡島での環境学校がスタートする。白神山地で癒された分、しっかりと仕事に専念したい。

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8月24日 東京に戻る 野口健

富士山から戻り明日から大好きな白神山地!

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 コスモ・アースコンシャスアクトの二日目は三合目から五合目までのトレッキング。富士山クラブのインストラクターが生態系など様々な話を参加者にお話しし僕も何度か聞いているけれどその度に新たな発見がありました。野口健環境学校、そしてアースコンシャストと立て続けに富士山で活動を行い18日夜、無事に東京に戻ってきました。

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 この夏からベンツのクリーンディーゼル車とタイアップし富士山などでの環境活動を中心にクリーンディーゼル車に乗っていますが、その燃費の良さに驚くばかり。日本ではイメージの悪いディーゼル車ですが、欧州では半分以上を占めているのがディーゼル。特に石原都知事がペットボトルを振り回しながらディーゼル車から出された煤を見せ「こんなもの吸わされていたら死んじゃうよ」とやったものだから、トラックは別として乗用車のディーゼルは未だに普及していない。そこでメルセデスがエコカーとしてディーゼル車の日本参入を決めた。クリーンディーゼル車の詳細についてはまた後に紹介させて頂きますが、冒頭に書いたように燃費が長距離ならばリッターあたり平均で17キロを超える。これは以前事務所で乗っていたハイブリッド・エスティマの平均11~12キロを大きく上回った。秋には日産もディーゼル車の販売を始めるとか。私の環境仲間にメルセデスが加わりました。

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この日はリッター17.6キロを記録!!

 それにしても東京は暑いのなんの。たまりません・・・。しかし、明日からは私が最も大好きな自然である白神山地に入ります。しかも今回は仕事ではなくプライベート。秋田県側から白神山地に入り3泊4日のコースで青森県に抜けるコース。毎年のように白神山地に通ってきたが秋田県から青森県に抜けるのは初めて。そしてマタギの工藤さんと一緒なのも嬉しい。昨日ICIスポーツで白神行きの買い物を済ませ準備完了。スタッフの小林くんも同行。事務所のスタッフにもぜひあの美しい自然を体感してほしい。理屈ばかりじゃ頭でっかちになりますから。

 しかし、昨日のICIスポーツ前では反省しなければならないことがありました。確かに急いでいた。そして精神的に余裕がなかったんだなぁ~。仕事のことであるトラブルがありスタッフとその件について歩きながらカリカリし話し込んでいる最中に学生風の男性に「急いでますか」と声をかけられ「ハイ、急いでいます」と答えそのままスタスタと歩いてしまった。確かに「写真撮っていいですか」とか「サインください」といった依頼はなかったから、なに1つお断りはしていないものの、「急いでますか」の一言に察しなければならなかった。せっかく声をかけてくださったのにあれでは、あまりにも冷たかったなぁ~と後で反省。人間、余裕がなくなると心を失うものです。明日からの白神山地で心に栄養を与えてきたいと思います。それでは、行ってきます!その前におやすみなさい。

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 コスモ・アースコンシャストアクトのキャンペーンで富士山清掃活動を行った。コスモ石油と全国のFMがタイアップし2001年からスタートした富士山清掃活動。今年も全国のFMがリスナーの方を募集し200人を超える参加者と富士山山麓で清掃活動を行い約4トンものごみを回収。私が富士山清掃活動を始めたのが2000年。したがって僕にとってコスモ石油、また全国のFMは共に富士山のごみと闘ってきた戦友のようなもの。

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コスモ石油の森川副社長と

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 そしてコスモ石油の森川副社長も樹海清掃に参加してくださった。2年前は木村社長が参加してくださったりとコスモ石油の環境活動は経営陣含め会社が一丸となって本格的に取り組んでいる。そして徹底した現場主義。鴇田前環境室長に至ってはヒマラヤ・マナスル峰の清掃活動に参加してくださった。4000Mを超える高所で高山病に苦しめられながらも「どうしても健ちゃんのヒマラヤ清掃登山に参加したかった。支援するだけでなく現場を共にしてこそCSRのあるべき姿です。苦しかったけれどヒマラヤの清掃活動に参加して本当によかった」と現場の人間にとって最も嬉しい言葉でした。ヒマラヤでは私のオデコの部分にコスモ石油のワッペンが付いていますが、コスモ石油のワッペンを付ける事は私にとって誇りです。これからもコスモ石油、そして全国のFM局と富士山が確かに変わるまで活動を続けていきたい。

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 そしてせっかくのお盆休みに全国から富士山に駆けつけてくださった参加者のみなさん、本当にありがとうございました。天気予報では大荒れになるはずであった富士山が見事に晴れた。富士山が喜んでいたんでしょう!夜の懇親会ではついつい飲みすぎてしまったのか、気がついたら会場にあったぬいぐるみさん達と意気投合、仲良くなっていました。参加者との写真撮影会ではちょっとデレデレでしたが・・・。

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明日は3合目から5合目までのエコトレッキングを行います。それではお休みなさい!

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動物のぬいぐるみと

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東京FMの姫 古賀希有子さんと

2008年8月16日 河口湖町にて 野口健

「終戦日」ではなく「敗戦日」とするべき

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 8月15日になるとマスコミ各社は「終戦日」「終戦争記念日」と表現されるが、「終戦」なる表現はどうなのだろうか。私はこの中途半端な表現に違和感を覚える。これでは戦争に勝ったのか、負けたのか分かりにくい。今年3月のフィリピンでの遺骨調査活動をきっかけに先の大戦について私なりに知ろうと努力してきた。もちろん、文献であったり、知覧などの現場を訪れたりと限りがありますが、それでも私なりに多くの事を感じてきた。そしてなんて戦略のない無謀な戦争だったのかと驚きまた悲しくなる。私が訪れたフィリピンの戦地も攻めるだけ攻め、満足な補給もなく、最後は「玉砕せよ」といった戦略として成り立たない作戦が各地で繰り広げられた。
泉ケンタさんと
2008年3月 セブ島での遺骨調査に参加

 私の祖父、野口省己は参謀としてインパール作戦に参加していたが、生前「司令官の牟田口だけは許せない」とまた「多くの部下を無駄死にさせてしまった。それに比べ俺は孫に囲まれ長生きしている。本当に申し訳ない気持ちで一杯だ」と話していたのを子どもながらよく覚えている。「生き残って申し訳ない」という言葉は戦争をしらない子ども時代の私にもズシリと重たい言葉であった。

 ビルマの国境を越えインド領のインパールにある英国軍基地を奇襲攻撃しようとしたのが「インパール作戦」であるが、3000m級のアラカン山脈越えは過酷を極め、作戦の基本中の基本となる部隊に対する食料等の補給は各自が現地調達などと考えられない作戦計画であった。そして食料も弾薬も尽き、またマラリア、赤痢によりバタバタと兵士が死んでいった。7万人前後の兵士がこのインパール街道で戦死し「白骨街道」とも呼ばれた。にも関わらず作戦の発案者であり責任者である牟田口司令官は前線から400キロ離れていた保養地で「ひたすら前進あるのみ」と命令を下していたとのこと。牟田口司令官の話をする度に祖父は肩をプルプルと震わせながら「あいつは許せない」と・・・。

 先の大戦はインパール街道に限らずフィリピン、ガダルカナル、パプアニューギニア、沖縄、硫黄島など様々な各地で無謀な戦争が繰り返されてきた。あの「絶対国防圏を死守すべし」ってスローガンは一体全体なんだったのだろうか。言葉だけ煽って、戦地に兵士を送るだけ送って後はアッツ島から始まった「玉砕せよ」である。作戦としてまた戦略として破綻している。私たちがフィリピンで行った遺骨調査で発見した数100体もの御遺骨の多くがジャングルの中で援軍を待ち続け、そして最後は集団自決したものと推測された。さぞかし無念であっただろう。洞窟の中で御遺骨を前に英霊たちの無念さを全身で感じていた。

数百体

もうすぐ日本です
未だに多くの日本兵の御遺骨が戦地に放置されている

 「終戦記念日」という言葉で戦争に負けた事実をごまかしてほしくない。何故ならばあの「敗戦」を真っ直ぐに受け止め、戦地で何が行われていたのか、また大本営はどのような根拠であのような無謀な作戦を遂行していたのか等を理解するところから、戦後日本の再生を始めなければならないからだ。「終戦日」という言葉で「敗戦」した事実をぼかしてはならない。同じ過ちを繰り返さないためにも。

 不謹慎な表現かもしれないが、「売春」を「援助交際」とごまかすようなものに感じてならない。

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知覧特攻平和記念館にて特攻隊員の遺書を読む

 そして8月15日ではなく、ミズーリ号で調印式が行われた9月2日を「敗戦日」とし、何故にあのような戦争に突入したのか、そして何故に敗れ去ったのか、また国の為に命を捧げた英霊たち、戦争に巻き込まれて亡くなった非戦闘員に思いを馳せ、これからの日本がどの方向に向いて進んでゆくのかを、国民一人一人がそれぞれじっくりと考える日にしなければならないと私は本当にそう感じている。

2008年 8月16日 野口健
 コスモ石油野口健環境学校二日目は富士山登山。小中学生24人、午前7時、五合目から富士山山頂を目指して登山開始。今回の環境学校は西湖にて手作りのイカダで横断を試みたり、また富士山山頂を目指したりと、今までの環境学校よりも「挑戦」の部分を膨らませた。スタッフの中にも「これでは野口健冒険学校で環境学校ではないのでないか」といった意見があった。しかし、私はどうしても自然体験を増やしたかった。
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何故ならば自然環境問題に関わってみて、違和感を覚える事が多くなってきたからだ。「頭でっかち」なのかなぁ~表現が不適切かもしれないが、いわゆる「環境オタク」的な流れを感じてしまう。時にヒステリック的でまた乱暴だ。「開発」なのか「保護」なのか、「百か零」といった議論が目立つ。

 私の環境学校に集まる子ども達も確かに知識はある。しかし自然体験が極めて少ない子が多い。それでいながら環境問題を語らせると大人よりも知識が裕福であったりする。しかし、次の日になってみると彼が何をしゃべっていたのか思い出せない時がある。立派な事を話していたにも関わらず。何故だろうと考えてみたら、勉強した知識を並べていて、実体験から生まれた生の言葉でないからかもしれない。自分の言葉になっていないのだ。

 それは大人達も同じ。サミットや多くのシンポジウムに参加してきたが現場の危機感とは大きく異なり「言葉の世界」。地球温暖化といった言葉は頭の上を飛び交うもののリアリティーが感じられない。そして自然環境問題の学者の先生方と接しているとコミュニケーションが苦手な方が目立つ。シンポジウム前の控室でも会話を避けたりまた自分の専門分野以外に関心をもたなかったりと・・・。


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 私が違和感を覚えるのは自身が環境問題からスタートしたのではなく、登山家として世界中の山々に挑戦し続けている最中にぶつかったエベレストのごみ問題でありその経験から始まったからなのかもしれない。環境問題ありきではなく、結果、環境問題だったのだ。故に頭から「地球環境問題」と来るとどうしても違和感を覚えてしまう。
 野口健環境学校に参加する子どもたちに「環境オタク」になってもらいたくない。子どもたちには自然体験の中から結果、自然環境問題への取り組みに繋がればいいなぁ~と思う。そして登山などを通じて仲間たちとの「助け合い」「支え合い」の素晴らしさを経験してほしかった。この部分がもっとも大切なのだが、それでいながらその部分が軽視され弱くなってしまっているような気がしてならない。

 そもそも「環境」は「自然環境」とは限らない。「社会環境」があれば「家庭内環境」「学内環境」「環境が良い」「環境に左右される」など。「環境」を辞書で調べれば「取り組んでいる周りの世界。人間や生物の周囲にあって、意識や行動の面でそれらと何らかの相互作用を及ぼし合うもの」となっている。つまり環境問題は「環」(わ)であり、人(社会)とのまた自然、あらゆるものへの繋がりです。私は「野口健自然環境学校」を目指しているのではなく、あくまでも目指すは「野口健環境学校」なのだ。

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 ほとんどの子どもたちは富士山初挑戦だった。24人中17人の子どもが達が登頂。高山病で頭痛に苦しみながらもよく耐えた。登頂できなかった子も七合目で諦めかけていたのに「八合目まで頑張ります」と八合目を目指した。そして下山後「八合目が私の頂上でした」と、みんながそれぞれの山頂を目指し到達した。ある子は「今までは我が道を往くでした。人には無関心でしたが、富士山はみんなに支えられて登れた。支え合えば、出来ないことも出来た」と、私が最も伝えたかった事です。

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 今日(15日)は富士山山麓での清掃活動を行った。自分が挑戦したあの富士山での清掃活動。それだけにみんな力が入った。気迫が違った。二泊三日と短い時間だったけれど、彼らと過ごした時間は僕にとって宝物でした。
 
 また、野口健環境学校のスタッフも何をどう伝えたらいいのか、時に激しく議論し時に共に葛藤し、もがき、昨夜も遅くまで野口健環境学校の今後について話し合いを行っていました。野口健環境学校のスタッフはみんな超本気です。僕はそんなスタッフに囲まれ幸せです。

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 明日はコスモ石油アースコンシャスト・アクトのイベントで富士山清掃活動が行われます。明日も新たな仲間達と聖地で活動を続ける。
 
 2008年8月15日 川口湖町にて 野口健

コスモ石油野口健環境学校 富士山一日目

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 今日から富士山での環境学校。全国から小中学校24名が参加。今年の猛暑は富士山山麓の河口湖においても暑い。ビジターセンターで開会式をすませ買い物へ。今夜は子どもたちが作るエコカレー。3班に分かれ各班が競うのだが、判定しなければならない私はいつも辛い。しかし面白いのが子どもたちの買い物の仕方。何処産かをよく調べ移動距離の遠いとこからの品物は選ばないようにしている。いわゆるフードマイレージですが、私たち日ごろそこまで確認して買い物が出来ているでしょうか。子どもたちはそこまで調べる。いまどきの小中学生は大したものだ。

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 そして午後からは西湖で各班が手作りにイカダに乗り込み反対側の湖畔までのリレーを行った。僕は個人的な事情もあり、女子チームに参加。他の男子シームのイカダが途中バラバラに分解し西湖を泳いでいる姿を横目に一生懸命漕いだ。イカダはなかなか進まず往復で2時間ほどの悪戦苦闘。あすがにフラフラになりましたが、みんなでやり遂げた感動は辛かった分だけ大きかった。

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 夜は例のカレー大会。優勝したのは男子中学生の部であったが、僕個人的には女子のカレーライスにドキリとしたなぁ~ だって僕のライスがハートマークになっているではないか。そのハートマークのカレーライスに二種類ものカレーがかかっていてね、充分すぎるほど愛情を感じた手料理でした。

 そういえば吾輩の身の回りにおける環境でこのような愛情にたっぷりと満ちた料理が食卓を賑わせたのはいつの頃だっただろうか。記憶を遡ってみるものの、調べる作業は、まるで古事を読みながら探すような、または古代エジプト文明の発掘作業よりも遥かに困難な作業であろう。その後遺症であったのか、僕は女子チームのカレーに心底癒されていました。料理は愛情だよ 愛情! この声が届くべきとこに届いて頂けたらと切に願うものであります。

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 結局は総合展で男子中学生が優勝。おめでとうございます。個人的には「女子」だったのですが・・・。

 明日はハードです。4時起床、全員で富士山登頂を目指す。このたびの環境学校からは少し自然の中でガツっと必死に格闘して頂き、美しさ、厳しさを感じてもらった上で環境問題について間接的に伝わっていければいいと思っています。いきなり、頭ごなしに「環境問題」を訴えるように自分たちの自然体験の中で自らが感じ取って頂ければ、そこからアクションが生まれてくるはず。私たちはそのきっかけ作りであり、時にはちょっとした手助けです。最近、頭でっかちな子ども達が増えてきたので、現場でしか感じれないことを感じ取って頂きそこから次に続けて頂きたい。


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 もうこんな時間・・・。明日は3時過ぎ起床。5時には五合目に向けて出発。ここからは数班に分かれ子ども達の体力によって分かれて進みます。野口隊につく生徒は私と山頂を狙う事になる。ブログ書いている場合ではなく、早く寝ないと!それではおやすみなさい。

富士山山麓 西湖湖畔にて 野口健

暑い夏が続く・・・過酷な清掃活動

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 この夏はとにかく暑い。僕は登山家だからなのか、中東育ちのくせに暑いのがなによりも苦手。マイナス30度までなら元気であるが、プラス30度を超えるとガクッと弱り始める。暑いのが苦手というよりも最大の天敵かもしれない。気力、食欲が落ち、無気力になる。そして汗かきだから着替えても着替えてもきりがないほど汗だくになる。これだから夏が大嫌いだ。そして追い討ちをかけるかのように暑い所に行くことになる。

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 まずは九州の北九州市。JTさんの「拾えば街が好きになる」キャンペーンで8月2日に北九州市内での清掃活動。おもにポイ捨てされたタバコ(もちろん、空き缶など落ちていれば拾う)を拾うのだが、JTさんが気にされているようにタバコのポイ捨てによるごみが全国どこでも目立つ。富士山の五合目から上はきれいになったが、それでもタバコだけは目に付く。もちろんタバコ会社がいけないのではなく、喫煙者のマナーの問題である。それにしてもJTさんの清掃活動は本格的だ。

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 全国各地で行われてきた清掃キャンペーンは500回を超え清掃参加延べ人数約61万4千117人。回収したごみは307・1トン。参加団体は1,019団体。この日も朝から夕方まで清掃活動を行ったが暑くて暑くてこっちがごみになるかと思った。清掃後に「わっしょい百万夏祭り」に参加し、JTさんが用意していた人力車でパレードに参加したのには驚いた。人生、初のパレード。ただそれ以上に気になったのが私の後ろを歩いていたレースクィーン。思わず駆け寄って記念写真。一日中、灼熱地獄の中でごみを拾ったご褒美でした。

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レースクイーンにうっとり
 
 そして翌日(8月3~5)は昨年に引き続き国民精神研修財団主催による野口健親子自然学校が木曽の御嶽山で開催されました。「国民精神研修財団」と名前だけ聞くといわゆる街宣車に乗っていそうな団体ですが、いたって真面目な神道を広めるための団体です。
 
 御嶽山は御嶽教の総本山でこの自然学校を通して日本人の自然崇拝的な山との関わり合い方をなんとなく子どもたちに感じて欲しかった。ただし、山の中で専門家による御嶽教のレチャーが多すぎて「野口健自然学校」というよりも「野口健宗教学校」になってしまっていないか、ちょっと心配になりました。

 親子の参加者は28名。雨が降る中山頂に向けて高山病で吐く子どももいたが歯を食いしばって全員で登頂!親子で一緒に山頂を目指す姿に感動しました。ただし現地の関係者の中に子どもたちの前でところかまわずタバコを吸うスタッフがいて、当然ながら参加者からのクレームがあり、自然学校校長としての私の責任であり、残念。前日までタバコ会社と清掃キャンペーンしマナー向上を訴えていたのにその直後の失態。喫煙者は子どもの前では喫煙を控えて頂きたい。
 
 タバコを吸うこと自体はあくまでも本人の健康問題であり、そんなものは自己責任。そんなことよりも周囲に気をくばってほしい。吸うなら誰もいないところで、そしてけっして捨てない事をしかと頭に入れて頂きたい。御嶽山から下山し東京に戻ろうとしたら関東方面で大雨。新宿の町中の路上が川のようになっていたあの日ですが、電車が止まってしまいこの日(5日)はなんとか最終で名古屋まで。翌朝のフライトで沖縄入りだからなんとか東京に戻りたかったのだが。

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 8月6日、朝一の新幹線で東京へ。そのまま羽田に直行し沖縄行きのフライトに飛び乗る。沖縄で開催される2008年度「アジア青年の家」(主催内閣府)の開会式で基調講演を行った。8月6日~27日までの約3週間、「環境」をテーマにアジア・オセアニア各国に日本の子ども(高校生)が加わり合計75名が参加。嬉しかったのは、以前僕の環境学校に参加したりんりん(生徒)が「アジア青年の家」に参加していたこと。「野口さん、環境メッセンジャーとして頑張ります!」と嬉しいではないか。こうして日本の高校生が世界の子どもたち相手にアクションを起こしているのだ!

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環境学校卒業生のリンリンと


 環境問題には国境がない。いろいろな国を巻き込まなければならない。確かに沖縄は美しい自然が多いが、また同時に環境破壊も激しい。乱開発、そして西表島でもそうであるように中国や韓国からの漂着ごみが美しかった浜をごみで埋め尽くす。自国だけの取り組みではどうにもならないのが環境問題。沖縄に集まった各国の子どもたちが現場で学んだ事をぜひ国の仲間たちに伝えて欲しい。7~9日は西表島を訪れ久しぶりにガイドの森本さんに案内していただきながらカヌーにジャングルを歩いてきた。
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 テレビで例の北京オリンピックを観戦しているが、柔道はいつから反則狙いや、ポイント稼ぎになったのかなぁ~。選手たちが審判のジャッジに怯えながら試合をしているような。あの手をクルクルっとやるあの偉そうなジャッジ。積極的でないと判断すれば即反則。そんな競技って他にあるのだろうか。積極的でないと相手に思わせておいて油断させた瞬間に一気に狙うとかね。あれでは5分間の中で果たして駆け引きができるのかなぁ~。審判にアピールばかりし、ポイント稼ぎに走る選手に対し「日本の柔道は一本狙いだよ!」と素人ながら勝手に愚痴っていました。それにしても、あの手をクルクルっとやってきていきなり指さしてくるあのジャッジ、仮に私が選手ならその審判を背負い投げ一本にしたくなるだろうなぁ~ 
 
 それだけに谷本歩美さんの2大会連続のオール一本による金メダルがたまらなく眩しかった。ポイント稼ぎにくる外国人選手に「これが日本の柔道だ!」と訴えたかったのでしょう!

それにしてもあの開会式はマスゲームでしたね。将軍様がいらっしゃったのかなぁ~。

それでは明日から富士山で野口健環境学校が行われる!まだまだ暑い夏が続く!
はぁ~

 
 2008年8月12日 東京にて 野口健

戸塚ヨットスクール、戸塚宏先生との対談

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先日、産経新聞から出版されている月刊誌「正論」にて戸塚ヨットスクール校長の戸塚宏氏と対談を行った。
戸塚先生の著書「本能の力」(新潮新書)を拝読し私なりに共感する部分があまりにも多かった。「正論」の方には
私の方から戸塚先生との対談を行いたいとお願いし実現させていただいた。
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戸塚ヨットスクールの戸塚校長と


以前、私が書いた「確かに生きる~10代へのメッセージ~」(ごま書房)にも戸塚ヨットスクールについて「犠牲者を出した戸塚ヨットスクールは社会問題となり、戸塚さんは塀の中に入った。まるで極悪人かのような報道をされたけれど、しかし日本中から家庭内暴力や不登校の子どもたちに悩む親たちが、戸塚ヨットスクールに入れれば子どもたちが変わるのではないかと、すがる思いで戸塚ヨットスクールに託した事実を無視してはいけない。そして多くの子どもたちが戸塚ヨットスクールで助かった事実を忘れてはならない」と書いたが、今回初めて戸塚宏先生にお会いしその思いがさらに強くなった。

戸塚ヨットスクール事件後、「体罰は悪だ」と教育評論家は声を上げた。そして「子どもにはゆとりが必要だ」といって「ゆとり教育」が始まった。その「ゆとり教育」の結果、日本の教育は良くなったのだろうか?「ゆとり教育」とは別かもしれないが、学校などに講演しにいくと先生と生徒の間にまったく緊張感がなく、まるでお友達のように「ため語」で話し合っている姿に、日本社会では敬語など死語なの?と思えてしまうほどルーズな関係であり、はたから見ていると子どもたちに迎合している大人の姿が実にみっともなくまた情けない。

 講演中に騒ぐ生徒がいても先生方は知らん振り。注意もしない。仕方がないので私が騒いでいる生徒に怒鳴る事になる。怒鳴ってみると生徒たちは心底驚いた顔しキョトンと、ただ面白いもので子どもたちの覚めたようにキラキラし私の一言一句に聞き入るように会場がグッと集中するのが壇上にいて全身で感じている。
 
 講演後の校長室では講演中に怒鳴った私に対して憮然とした校長先生の表情が向けられ、なにそれ!と「本来ならば校長先生であるあなたが生徒に怒鳴るはずです」と嫌味の一言を残して校長室を後にするのだが、帰宅して自身のHPの掲示板を開いてみると怒鳴った学校の生徒たちから「大人が怒鳴っている姿が新鮮でした。ありがとうございました」「本気で接してくれる大人は初めてでした」などの言葉がズラリと並んでいる。あの憮然とした校長先生の顔を思い出しながら、彼らには伝わらなかったけれど子どもたちには伝わっていたと安堵していた。しかし、怒鳴って感謝されるというのはつまり日頃の大人たちが怒っていないということでしょ。子どもたちのメッセージに素直に喜べなかった。

戸塚先生の体罰とは「相手の進歩を目的とした有形力の行使、力の行使」です。あくまでも「相手の進歩を目的とした」ものであり、イライラしたからといって子どもを殴るのは体罰ではなく虐待とのこと。「体罰」と「虐待」の定義の違いを分かりやすく戸塚先生はお話されていたのが印象的であった。マスコミ含め多くの人が「体罰」と「虐待」を混合していないだろうか。

戸塚さん

そして戸塚ヨットスクールが目指したのは「質の高い不快感」を生徒に体験させることだった。人間の行動原理は突き詰めて言えば「快を求め、不快を避ける」と言うことになる。確かにその通りです。私だって山に登るよりも家でゴロゴロしているほうが肉体的に楽に決まっている。しかし、それでは自身の進歩がないとあえて厳しい条件を背負ってヒマラヤに挑戦するわけで、戸塚校長の「人間が成長するためには「不快」が必要不可欠です」との言葉に私自身の経験からも大いに納得させられた。詳しくはこれから発売する「正論」を読んでいただきたいが、あえて厳しい環境の中に身をおいて、時に死の恐怖と戦うことによって「何が何でも死にたくない」と生に対する執着心が芽生えるもの。戸塚ヨットスクールは極限状態を子どもたちに体験させ脳幹を鍛え生命力をつける教育なのだ。

近々、戸塚ヨットスクールの見学にも出かけてみたい。あの事件で戸塚イズムが否定させるものではないと私は考えている。それどころか、戸塚ヨットスクールは今の日本社会に大きなメッセージを投げかけているような気がしてならない。

「正論」(産経新聞社)
戸塚ヨットスクール校長・戸塚宏氏との対談
9月1日発売の10月号

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