2009年マナスル清掃登山 , ヒマラヤ

2009/05/11

出口のないトンネル?

キャンプ2から下ってきても連日の大雪。せっかく下って来たのに相変わらず雪下ろしで寝不足が続く。特に夜中の雪が激しくまるで我々に雪が襲いかかってくるかのようだ。そして強風に指先の体温を奪われキーンとまるで爪に中に針を入れられるかのような耐えがたい痛みを耐えなければならない。
容赦なく襲ってくる雪
容赦なく襲ってくる雪

寒さで指先が痛み温める
寒さで指先が痛み温める

シェルパ達が「もうモンスーン(雨季)が来たよ」と告げてくる。事実だとすれば遠征は終了となる。この悪天候に次の戦略が練れず困り果てているが、ただ、ちょっとだけ本音を暴露すればシェルパの反対を押し切ってベースキャンプに降りたので、仮にその翌日からカラッと晴れたら立場ないなぁ~と。ベースキャンプに下りてきた瞬間にシェルパ頭のダワ・タシに「これで明日晴れたら腹切りする」と伝えていただけに、翌朝の9日は早朝から強風が吹き荒れ午後には大雪になったので実は内心ちょっとだけほっとしたものです。腹を切らずにすんだ。上部で腹をたてていたシェルパ達に「ほらっ!みろ!」と勝ち誇ってやったらニヤッと笑いながら頭をかいただけであった。うまく誤魔化されたなぁ~。
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いつまでも続く雪かき
いつまでも続く雪かき

ただ、そのタイミングで友好関係を築いていたロシア隊が山頂を目指そうとしていただけに心配もしていた。ほっとしながらも、同時に心配もする、ヒマラヤ生活はなかなか忙しいものです。アタックを断念したスペイン隊の一名がレスキューヘリに乗せられてカトマンズに飛んで行った。今年のマナスルはよくレスキューヘリが飛んでくる。これで4回目か。
ベースキャンプは雪の中
ベースキャンプは雪の中

静まり返るベースキャンプ
静まり返るベースキャンプ

5月に入ってからマナスルで丸一日晴れた日があったのだろうか。私の記憶にはない。特にこの5日間が酷い。周辺の登山隊からも「もう家に帰れってことだろう」と嘆き声も聞こえてくる。事実、昨日からベースキャンプを下りていく登山家の姿がちらほら。
悪天候のお陰で本だけはたらふく読める
悪天候のお陰で本だけはたらふく読める

ベースキャンプでは平賀カメラマンが風邪のためダウン。キャンプ2で体を冷やしたのと疲れが一気にでてきたのだろう。「寒気がする」とブルブル震え寝込んでいる。そして新たな変化として我が事務所スタッフの島袋規子氏の親友である藤崎鮎美さんがベースキャンプ・マネージャーとして我が隊に加わった。ベースキャンプ・マネージャーを探していたが見つからず島袋が親友の藤崎さんに声をかけたら「行きたい!」と即決してくださったのだ。
平賀カメラマン、発熱しダウン
平賀カメラマン、発熱しダウン

彼女はダンサーとしてカトマンズに滞在していた時期がある。ネパール通でありネパール語も操り、また明るい性格ゆえにシェルパ達ともすぐに溶け込んでくれた。ベースキャンプからのテレビ中継など平賀カメラマンのアシスタントを行ってくれる。やはりダニに食われながらの道中に苦労したそうだ。ただ、さすがにダンサーであり、同中の村々で村人に対しダンスを披露したとか。マナスル登山終了後、サマ村にて学校の子供たちや村人にファイヤーダンスを披露してくれるとのこと。日本人ダンサーがサマ村で踊るのは史上初めての試みだろう。村人もさぞかし喜んでくれるに違いない。野口隊はなかなかキャラが濃い。
さっそく自分のテントの雪下ろしに追われるあゆみさん
さっそく自分のテントの雪下ろしに追われる鮎美さん

早ければ5月14日にアタック予定でいたが、この大雪でまったく目処が付かず。5月25日までにはどうしても帰国していなければならず、次がラストチャンスであるだけにいよいよ追い詰められた感はありますが、こればっかりはどうしようもない。いずれにせよあと、2~3日中には決断を下さなければならないでしょう。
この「日の丸」がマナスル山頂に輝く日は来るのか
この「日の丸」がマナスル山頂に輝く日は来るのか

マナスルの女神もちょっとやり過ぎじゃないかと、一言文句も付けたくなるが、そんなことしたらさらにご機嫌斜めになるのでそっとしておきますが、やれやれ、どうなることやら、一寸先は全くもって闇であります。


2009年5月11日 マナスル・ベースキャンにて 野口健

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