対談・会談 , 教育

2009/07/17

体罰とは?

 先日、戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長と再会。戸塚先生とは昨年秋に雑誌(正論)で対談させて頂いていた。久しぶりの再会となりましたが、食事中に

「野口さん、体罰と虐待とでは意味が違うんですよ。その違いを分からない人が多い。体罰はあくまでも子どもの成長の為に大人が叱ること、虐待とは、自分の為に子どもを叱ること、つまり八当たりのようなものです。赤ん坊が夜泣きをして「うるさい!」と殴ってしまうのは虐待に当たります。イライラを子どもにぶつけて解消しているだけです。問題は体罰と虐待の違いが分からない人が多いことです。今では叱ること全てが体罰となってしまう。子どものために叱るのが体罰であり、体罰なくして教育は成り立たない。体罰は肉体的苦痛を与えることですから、例えば授業中に騒いだ子どもを廊下に立たせるのも体罰となります。しかし、教育方針の中で体罰を禁じてしまっているので、廊下に立たされたら足が痛くなるから体罰になってしまうということで、立たせるのはイカンとなってしまった。野口さん、最近の子どもは、「僕には授業を受けない権利があります」と平気で教師に言ったりする。授業中にずっと座っていなきゃならない、それが肉体的、精神的苦痛であると主張する。それに対し反論できない教師が多いんですよ。子どもに叱れない大人たちが多い。だから我慢出来ずにすぐにキレる子や、引き籠ってしまう子どもたちが増えるのです。私は教育には体罰が必要だと訴えていきたい」

と仰っておられた。

 
 私の書いた本で「確かに生きる ~落ちこぼれたら這い上がればいい~」(集英社文庫)にも詳しく触れていますが、私の高校時代は酷い落ちこぼれで散々悪さもした。当時、立教英国学院に通っていたが、先生方が本気で怒ってくれた。先生に殴られたこともあった。ただ、殴られながらも「この先生は本気で自分と向き合ってくれている」と、内心嬉しかったものです。私の周りにはしっかりと怒ってくれる大人が多かった。今思えばとても幸せなことだった。 

 よく学校に講演のために出かけていきますが、本当に色々な学校があるものです。講演中に騒ぐ生徒達、体育館に入った瞬間にこれでは動物園?と思ってしまうほど「ギャーギャー・ピーピー」と大騒ぎ。それでも叱れない先生たち。ある高等学校では講演前に校長室で校長先生とお話をしていましたが、その校長が「私はね、教育委員会からやってきたばかりでしてね、直接生徒と話す機会は少ないんですよ。こういった現場は苦手で・・・」と教育現場に対して愚痴ばかり話していた。また別の学校の校長は「うちの生徒は静かに人の話を聞けませんが、まあ~そこは一つ勘弁願いたい」などと最高責任者でありながら部外者である私に言葉を換えれば「自分の生徒の質は悪いがよろしく」と、これでは責任放棄ではないか。

 またある学校の校長は講演中にあまりにも騒ぐ生徒達がいたものだから「おい!そこのお前さん、ガタガタうるさいねぇ~。人の話は黙って聞くものだ。それにつまらない話なら逆にこちらが申し訳ないけれど、俺の話はそうまずくはないはずだ。こっちだって本気で話しているんだから、ちゃんと聞けよ」と怒鳴ったら会場は一瞬シーンと静まり返った。ただその直後からの生徒達のググッとくる真剣な視線に会場は熱くなった。講演の講師が声を上げるのは極めてレアケースらしいが生徒達にとってはインパクトがあったようです。
 
 帰宅後のホームページの掲示板には「大人が本気で怒鳴るのを初めて見ました」「ビビったけれど気持ちが伝わった」などと沢山書き込まれましたが、最後まで私が怒鳴った学校の校長は私に対し「余計なこと」と憮然としたままだった。

 またある学校の校長は「問題児には学校に来てもらわないのが一番助かるんですよ」と、もちろんそんな学校ばかりではないが・・・。しかし彼らのような当事者意識を著しく欠けている方々が校長を務められてしまえば生徒達にはたまったものではないと、実に気の毒であり同情してしまった。


 廊下で生徒と先生がまるで友達同士のようにタメ語で話し合っているのをよく見る。大人を大人と思っていない子どもたち、そして先生は先生で「生徒達と仲がいいでしょ」と案にアピールしている姿に「あ~」と大きなため息、そして違和感を覚えていた。

 戸塚先生との再会では「大人のあるべき姿とは」と改めて考えさせられていた。こんな事を考えているんだから、俺ももうおじさんの仲間入りかなぁ~。

2009年7月17日 野口健

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