地球温暖化 , 私の進む道 , 遺骨調査・収集

2010/01/01

2010年 私の進む道

 新年明けましておめでとうございます。2010年が始まりました。さて、今年はどのような年になるでしょうか。毎年そうですが、こうして無事に新年を迎える事が出来る、そのこと自体が奇跡の連続の上に成立しているようで素直に幸運に感謝しています。
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キャンプ1の朝日・


 さてこの一年間を振り返ってみますと、やはりあの大雪に苦しんだヒマラヤ・マナスル峰遠征が最も印象に残っています。毎日がドカ雪で夜中には数時間おきには起きてテントに積った雪かきに追われる日々。6400Mのキャンプ2ではついつい熟睡し気がついたらテントが雪に押しつぶされそうになっており脱出すらギリギリの状態であった。なんとか脱出したら隣のスペイン隊のテントがすっかり雪に埋まっていて慌てて素手のまま掘り起こしていたら手の感覚がなくなりもう少しで指を凍傷にやられるところであった。
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スペイン隊の救出のため、雪の中を走る

 あの厳しい状況の中、マナスルに突っ込むのか引き返すのか、決断に時間を必要としましたが、最後は誰一人死なせてはいけないと撤退を決断。決断するまでの数日間、一人テントの中で迷いに迷い苦しみました。ひょっとしたらあのまま登山を続けていたら登れていたかもしれませんが、しかし、あれほど迷ったということはその時点で「止めておけ」という直感なようなものでした。科学的根拠など何一つない直感ですが、この「直感を軽視したら痛い目に逢う」は登山を始めて20年になる私が山から学んだ最も大切なことです。
目が開けられないほど容赦ないブリザード

目が開けられないほどのブリザードの中、埋もれた登山家の救出を行った
雪で埋まったテントを掘り出す


 ただ、下山してからやっぱり悔しく悔しくて。麓のサマ村に降りたらあの大雪が嘘だったかのように空が真っ青に晴れマナスル峰がまるで私を嘲笑っているかのようで、やっぱり悔しかった。カトマンズに降りてきたら、今度は登山家の栗城史多さんのダウラギリ登頂の知らせを聞き、同じような厳しい条件の中で彼が成功し、自分が登頂できなかったことが、またまた悔しくて、人は人、自分は自分なのになんともくよくよとカトマンズの夜は実に女々しかった。

 ただ、栗城史多さんといった若い登山家が活躍し、若い彼から刺激を受ける事はいいこと。それに彼の勢いは見ていて清々しいし、なによりも気持ちがいい。社会に夢をあたえる。特に元気のない若い人が増えてきた中、栗城史多さんのチャレンジに影響される人も多いでしょう。今年もエベレスト無酸素登頂を目指す栗城史多さんを応援しています。

 まあ~そんな事の繰り返しですが、マナスル峰、これはいつかやらなければならない。それが何時か、どのタイミングでやるのか、これまた新たな葛藤のスタートです。何かをやるってことは葛藤の連続。この葛藤さんと仲良く上手に付き合っていかないと、まともに相手すると追い詰められてしまうし、また葛藤しなければ成長もないわけで、難しいところです。
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 再挑戦がどのタイミングになるのか、まだ定まっていませんが、ただ、確かな夢を抱き、コツコツと努力を積み重ねていく限り、夢の実現はそう遠くない。

キャンプ1

マナスルにて
 
龍さんのピッケル
マナスルにて、龍さんのピッケルとともに

 ご遺骨収集に関してはこの一年間、大きな進展がありました。この一年間で我々、空援隊によって収容されたご遺骨は8670体となりました。国がやらないのならば自分たちでやるしかないと活動を始めた空援隊。国家事業として行われてきた遺骨収集は1970年代に終息し事実上終了しているといっても過言ではない。この数年間、フィリピンに至っては日本に戻ったご遺骨が100体に満たない年さえあった。それが今年になって空援隊は8670体のご遺骨を収容。

 今年は活動をフィリピン全土に広げ20000体収集を目標にします。国のために亡くなった方々を日本に戻す。ご遺骨収集活動は国家のプライドを賭けて行うべき。また何が何でも、一体でも多くのご遺骨を日本に戻すのだと、これは決意の問題だと考えています。

 私たち空援隊だけではとてもじゃないが全てのご遺骨収集は不可能です。今まで行ってきた遺族会、戦友会との連携を強化し、そして何よりも遺骨収集活動を国家の義務と明確に謳うべきです。議員立法などで遺骨収集を国家の義務とした法制化を目指すべき。その為にも政治家が動かなければならない。政治家に動いて頂くには世論の助けも必要です。故に今年も全国を回り多くの方々に遺骨収集の必要性を訴えていきたい。

 京都に本拠地がある空援隊ですが、昨年、北海道、神奈川、高知と空援隊の支部が誕生。着実に広がりつつあります。そしてこの場をお借りしてお礼させて頂きたいのが昨年3月に立ち上げた「ご遺骨収集基金」ですが、全国からご寄付が集まり、その頂戴致しましたお力もあり、8670体ものご遺骨が戦後60年以上たってようやく帰国を果たしました。本当にありがとうございました。

 

 ヒマラヤ・マナスル峰山麓のサマ村にて学校を作ろうと3年前からスタートした「ヒマラヤに学校を作ろうプロジェクト」ですが、校舎の一棟が昨年末に完成しました。3年前にサマ村の村人と学校を作ると約束していましたが、紆余曲折、本当に色々な出来事がありましたが、1つ1つ、地道に作業を続けてきました。

 
 この冬からマナスル学校は新しい校舎でスタートします。次の目標は図書室などの施設屋やグランドの整備を行います。4月にサマ村に出かけ村人と協議を行ってきます。マナスル基金にご寄付くださった多くの方々、本当にありがとうございました。近々、マナスル学校完成までの詳細をこのブログ内にてご報告致します。

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サマ村にて、民族衣装を着て、歓迎セレモニーに参加する
 
 温暖化によるヒマラヤの被害も心配です。昨年、相棒のダワ・スティーブン・シェルパがエベレストのベースキャンプにてハエを発見。「温暖化の影響でエベレストにハエが出現」と世界ニュースになりましたが、私も、同時期にマナスルの6000M付近で大量のトンボの遺体を発見。温暖化との因果関係は分かりませんが、6000Mまでトンボが飛んできたことは事実。シェルパたちもこんな事は過去に見た事がないと驚いていたように、私はこれは地球からのサインなのだろうと受け取っています。地球のサインに私たち人間がいかに敏感になれるのか、気候変動によってヒマラヤの氷河が急激に融解し、洪水を引き起こしその被害はヒマラヤ山域国のみならず下流国であるバングラディシュまで及んでいます。その現場を歩き、私が見てきた事を一昨年行われた「第1回アジア・太平洋水サミット」で訴えてきましたが、その後目立ったアクションはない。

 
 この問題ももう一度、着手しなければならない。なにしろ、巨大化した氷河湖が決壊すればその瞬間に多くの人々が犠牲となります。いつ決壊するか分からないイムジャ氷河湖(エベレスト付近の氷河湖)。日本にいても「地球温暖化」といった言葉をよく耳にしますが、真のリアリティーや危機感を感じる事が少ない。

 
 国際会議もまた同じ。昨年12月にコペンハーゲンで開催されたCOP15ですが、相変わらず途上国は先進国に対して「大量の温室効果ガスを排出してきた歴史的な責任がある」と迫れば先進国は「自分たちだけが大幅な削減をすれば経済的に損をする」と警戒感を深める。再び各国によるパワーゲームが繰り返された。

 またアメリカ、中国ばかりが目立ち日本の存在感が薄かったのも残念。日本は25パーセント削減というカードを切りましたが、その日本に対し中国代表団の蘇偉副団長が

「日本に警告する。うぬぼれてはならない」「日本の排出削減目標は米国(など主要国)が大幅な削減を行うことを前提にしている」「日本は、ありえないことを前提にしている。25%の数字はまやかしだ」

と日本を痛烈に批判。この完全に上から目線発言に違和感を覚えもしましたが、どうなのでしょうか。日本が世界に対し風呂敷を広げたところまでは良かったのかもしれませんが、具体案を提示することなく、理想を語るだけでは今回のように足元を見透かされてしまうのではないでしょうか。

 理想論やスローガンばかりでは迫力がない。また強い決意と覚悟が伝わらない。


 いずれにせよ、環境問題には国境がないわけで、いつまでもパワーゲームや足の引っ張り合いをしている場合ではない。結末が見えているにも関わらずどうしててこうも動かないものかととても歯がゆい。
 
 新年早々偉そうな事を書いてしまいましたが、環境問題も遺骨収集も共通して言えるのが「やる気があるのか、それともないのか、あるのならばみんな一緒になって腹くくってやりましょうや」ということです。

 私にできる事は現場から訴える事。今年も一年、世界の現場から訴え続けたい。


2010年 元日 野口健

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