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ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクト 前編

シェルパ基金 , ヒマラヤ , 教育

2010/01/24

ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクト 前編

私にはこの数年、ずっと気にしている事があった。2006年春、ヒマラヤ・マナスル峰に挑戦した際にマナスル山麓のサマ村の村人と交わした約束だ。 マナスル峰(8,163m)は1956年に日本隊によって初登頂された山。2006年春そのマナスル峰に日本隊初登頂50周年記念を記念して清掃活動を 行った。その時に麓のサマ村でしばらく滞在し、ふらりと立ち寄った学校。それは校舎というよりもまるで馬小屋のような、いや、日本の馬小屋の方が遥かに立 派だろう。薄暗い部屋、窓ガラスもあったり、なかったり。隙間風も冷たく子供たちはブルブルと震えながら体を擦りあっていた。これが学校か・・・と発展途 上国なら決して珍しくもないかもしれないが、実際に目にするとなんとも言えない。それでも子供たちと目が合うとニコッと笑いとても生き生きとしている。文 字を書きたくて仕方がないのか、決まって「ペンちょうだい」と声をかけてくる。鉛筆も紙も充分に持っていないのだ。勉強したくても出来ないでいる。方や、 日本では小学生ですら不登校が社会問題となっている。学校に通える事が当たり前となり感謝の気持ちが持ちにくいのかもしれない。私自身もそうだったかもし れない。日々感謝しながら学校に通っていなかった。サマ村で子供たちを眺めながらそんな事を考えていた。村長のジグメ・ラマと出会い、二人で子どもの教育 について話し合っているうちに、この村で学校を建てようと、それは口に出す前にすでに自分の中で結論が見えていた。何故、ヒマラヤに学校を建てるのか、こ のヒマラヤの村で事業を起こすなど苦労するに決まっている。そもそも連絡手段も極めて限られているし、意思疎通だって日本人同士でも大変なのにヒマラヤの 民となれば文化など全ての感覚が異なる。

サマ村の学校。隙間風が冷たく吹き込む教室内には、食い入るような真剣な表情の子ども達がいた。

 特に観光地となっているエベレスト付近の村人と違い、サマ村周辺は未開発地。母国語であるネパール語すら通じない人が多 い。ネパール文化よりもチベットとの国境付近でほとんどチベット人に近い。交通手段も歩くことしかなく、首都カトマンズからも一週間以上かかる地の果ての ような世界。ネパール社会からも忘れられているような、またカースト(階級制度)もけっして高くない彼らはどこかで虐げられてきたような歴史を持つ。その 地で村人とプロジェクトを行うという事だけでもそれこそ大冒険だ。ネパールをよく知る知人からは「学校が建つわけがない。日本人の感覚で彼らと接しても意 味がない。全てにおいて違うんだから。無謀だよ」と指摘された。客観的に見ればその通りかもしれない。

しかし、どうであれ、必ず学校を建てるのだと決めていた。

 何故なのか、決めてからそれなりの理由を自分の中でせっせと探していた。建設資金も集めなければならない。プロジェクト を立ち上げるからには人様に説明できるだけのストーリーが必要となる。例えば、私が尊敬する登山家の一人でエドモンドヒラリー卿がいるが、ヒラリー氏は 1953年に人類エベレスト初登頂した世界的に著名なスターだが、人類初となる快挙のあと、ヒマラヤ登山の第一線から遠ざかり、エベレストの麓の村でもく もくと学校、診療所を建て始めた。今でこそ、ヒラリー学校は有名になったが、当時は知る人ぞ知るであったそうだ。エベレストに登るためにはシェルパのサ ポートが必要不可欠となる。ヒラリー氏もまたシェルパのテンジンのサポートを受けながらエベレストに登頂したのだ。そんなシェルパに対する恩返しでもあっ たのだろう。昨年、ヒラリー氏は亡くなったが、その晩年までネパールに通い続けシェルパのためにあらゆることを行ってきた。私も2003年に一度カトマン ズでお会いした事がありますが、「あなたのエベレスト清掃活動は誰よりもエベレストがあなたに感謝していることでしょう」と嬉しいお言葉を頂いていた。

暗い教室で一生懸命勉強する子ども達。学校に通えることが当たり前の日本との差を痛感する。

 そんなヒラリー氏に対する尊敬の念、また憧れがマナスルでの学校建設へと駆り立てたのかもしれない。またネパール社会への恩返しなのかもしれない。ただ、それは後から取ってつけた理屈のような気がする。実際のところ、分かっているようで分かっていないのだ。

 ただ一つ言える事は人のためにやっているようでいて、自分のためなのだ。

清掃活動やシェルパ基金も同じ。ゴミを拾ってきれいになれば理屈抜きで気持ちがいい。達成感もある。エベレストに登ることやヨットなどで海を渡ることだけが冒険ではない。エベレストや富士山のゴミと格闘する事も同じように冒険である。

 エベレストや富士山の清掃活動は私にとって1つの作品のようなもの。作品を完成させるためにもゴミがあってはならない し、そしてゴミが捨てられないような仕組みを作っていかなければ作品の完成とはならない。ゴミを拾うだけでは自己満足で終わってしまう。環境破壊は人間社 会が行っているわけで、環境問題の相手は人間社会となる。だから環境問題への取り組みは一筋縄にはいかない。とっても大変だ。ただどのような社会を皆と築 いていくのか、これには夢がある。その夢に関わることで幸せな気持ちになれる。

 シェルパ基金も僕が預かっている子どもたち(13名)は父親がヒマラヤで遭難死したシェルパの遺児たちだが、毎年ネパー ルで再会する度に立派に成長している。ヒマラヤの山村からカトマンズに出てきた時は慣れない都会に声が震え怯えていたが、今では英語の手紙が私の元へ届 く。中には大学に進学したい子もでてきた。これも理屈抜きに嬉しいし、彼らの頑張りようと、あの純粋な眼差しに逆にこちらが元気をもらう。私にとって日本 での生活は戦場のようなもの。日々が戦い。ふっと出かけるネパールでそんな彼らとの再会があるからこそ頑張れるのかもしれない。再び繰り返しますが、人の ためにやっているようでいて一番救われているのは私自身なんです。社会貢献ってそういうものかもしれない。

この子どもたちの将来のために。資金集めが終わり、学校建設がようやくスタートした。

  サマ村での学校建設は今年になってようやくスタート。一つには一千万円以上の資金を集めるのに時間を必要とした。そして現地の村人との連絡手段が少なく、 彼らにカトマンズまで下りてきてもらうか。私が現場入りしなければ打ち合わせすら出来なかった。そして大きなお金が動く。我々とは金銭感覚が違うわけで、 一千万円という彼らかしたら天文学的な財宝を見せたら、人間だれでもおかしくなってしまう。したがって特に気をつけたのがあまりまとまった現金を見せない こと。少しずつ送金し、ちゃんと正しく使っているのか、こまめに確認する。これが大変。送金といってももちろん村には銀行がない。したがって村人には一週 間以上かけてカトマンズにお金を取りにきてもらうしかない。次号はヒマラヤでの学校建設がどのようになっているのか報告したい。

ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクト 中編
ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクト 後編

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