2010年2月アーカイブ

台湾・高砂義勇隊を巡る旅 前編

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 昨日から台湾に来ています。成田から飛行機に乗った瞬間、ホッと肩の力が抜けました。2泊3日の短い旅だけれど、日本を離れる事ができます。ちょっとだけ息抜きができます。  今回の旅のテーマは「高砂義勇隊」(ウィキペディア)。3年前からフィリピンなどで先の大戦で亡くなった日本将兵のご遺骨収集を行ってきましたが、日本の国は国のために戦い命を捧げてきた人たちに対してあまりにも冷たい、未だにあれだけのご遺骨がジャングルの中に野ざらしにされたまま、それを分かっていながらして、知っているにも関わらず無かった事にしてきた、あえて目を瞑ってきた日本という国の姿勢に、これはもはや怒りを越え胸にポカリと穴があいてしまったかのような虚脱感。これが自分たちの国の姿かと思えばなんとも情けなく寂しく空しい。 高砂義勇隊英霊記念碑にて
高砂義勇隊英霊記念碑にて   P1130791
 現場でそんな事を感じていましたが、では、当時、日本人として戦った台湾人なり朝鮮人はどのような扱いを受けて来たのか、ふと疑問になり、調べているうちに台湾の高砂義勇隊の存在を知りました。 P1130785
P1130783
「高砂義勇隊」とは台湾原住民により編成された日本軍の軍属。当時(占領時代)日本は数ある台湾原住民を「高砂族」と呼んだ。その1つにタイヤル族がある。正式な数は把握されていないとの事ですが、数千人の原住民がフィリピンやニューギニア、つまり南方の地域に派兵され、その多くが帰ることはなかった。高砂義勇隊の多くは山間部に住む部族であり、話に聞くと普段から靴を履かなく山を歩いていたとか。靴を履かないで歩けば音が出にくい。それらに目をつけた日本軍部は高砂義勇隊を組織し、南方方面の激戦地に軍属として、また時に特殊部隊のような役割も含め派遣した。 P1130760
 1992年、タイヤル族の団体が鳥来(ウライ)温泉郷に「高砂義勇隊英霊記念碑」を建てた。記念碑の碑文には李登輝前総統の名前が彫られていた。  私はこの高砂義勇隊英霊記念碑にどうしても訪れたかった。何故ならば高砂義勇隊を含め多くの外国人(戦死した当時は日本人扱い)も日本軍に加わり、日本兵、日本軍軍属として戦死してきたにも関わらず戦後、日華平和条約により日本国籍のない台湾人を戦争被害者の補償対象から除外し、軍人、軍属に対する遺族年金、恩給、戦争中の未払いの給与などの支払いも一切行われなかった。  つまり戦後、台湾は独立し高砂義勇隊に参加した方々は日本人ではなくなった。日本政府の方針としては遺族年金などの補償は日本人に限るとし、日本人として戦い亡くなっていた高砂義勇隊隊員の遺族にも、また無事に生還を果たした本人にも補償しなかったとのこと。 P1130750
今回案内してくれた野口剛さん  これが、この国の冷たさであり、ズルさだと私はしみじみと感じてしまう。戦後に独立し日本人ではなくなったかもしれないが、戦死した時は日本人として戦いそして死んだんだ。それを後から「日本人ではなくなったので補償はしません」で、本当にそれでいいのだろうか。1つしかない命を捧げるということがどういうことなのか、政治家や官僚の方々は真剣に考えた事があるのだろうか。  私はフィリピンで遺骨収集を行いながら、私が知らないだけでこの問題はさらに複雑であり、広範囲にまで広がっているのだろうと感じ、帰国後、調べているうちに高砂義勇隊の事を知りました。インターネットなどで調べはしましたが、実際に高砂義勇隊に参加した方々に本当の話を聞いてみたいと台湾行きを決定。 P1130752
 私を案内してくれたのが、野口剛。彼は三宿のお寿司屋・金多楼さんの若旦那で私の行きつけのお寿司屋さんですが、すでに剛さんは台湾入り6回目。以前から高砂義勇隊について思う事があり、毎年のように台湾に訪れては高砂義勇隊英霊記念碑に献花されてこられた。私とは一緒にフィリピンでの遺骨収集活動に参加したり、つまりはマインドに共通点が多く、よく日本でも互いに「ああだ、こうだ」と意見交換をおこなったりする私の大切な仲間ですが、その彼に「台湾を案内してほしい」とお願いし、実現しました。 台北市の地下鉄に乗って
台北市の地下鉄に乗って  詳しくは次回の原稿で書きますが、二泊三日の短い滞在となりますが、出来るだけ多くの方々から生のお話を聞かせて頂きたいと思っています。 飛行機からの富士山
飛行機からの富士山偶然にも機内誌に自分の記事が(ana機内誌)
偶然にも機内誌に自分の記事が・・・驚きました(全日空機内誌)

続きはこちらから 台湾・高砂義勇隊を巡る旅 中編 後編

 2010年2月25日 台湾、台北市にて 野口健

コスモアコンシャスアクト 舞台裏

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2月20日 C.Cレモンホールにて、コスモアースコンシャスアクト野口健講演会が行われました。その舞台裏を平賀カメラマンが追いました。
是非ご覧ください。

前編


後編

野口「いわゆるクリーンディーゼルというものはいつ頃から始まったのでしょうか?」

金谷「1997年に開発されたコモンレールという技術がディーゼルを大きく変えました。これ以降をクリーン ディーゼルと呼ぶことが多くなっています。コモンレール式ディーゼルというのは、高圧燃料をコモンレール(畜圧室)に蓄えた上で、エンジンの運転状況に応 じ最適な噴射量と噴射のタイミングをコンピューターで制御するという画期的なものです。これによりパイロット噴射、プレ噴射、主噴射、アフター噴射、ポス ト噴射といった多段階噴射制御が可能になりました。また超高圧の噴射が可能になりました。ディーゼルエンジンは燃料を噴射してから自然発火するまでにわず かな時間ですが『着火遅れ期間』が発生します。この際に蓄積された燃料が一気に燃焼すると、圧力の急激な上昇でディーゼル特有の騒音が生じるという問題が ありました。でもパイロット噴射とプレ噴射を行う事で圧力の急激な上昇を防ぎ騒音の低減に成功した。また以前のディーゼルエンジンは急激に温度上昇したと きに、窒素酸化物が増えたんですね。だけどコモンレール式だと主噴射の段階で控えめな噴射率で急激な温度上昇をなくすことができる。そうすると窒素酸化物 の排出が抑えられる。次の段階で本格的な燃焼が始まると今度は高圧噴射で出来る限り急速に燃焼を起こす。すると煤の発生を抑える事ができる。それでも発生 した煤はアフター噴射で燃やしきってしまう。以前のディーゼルエンジンだと一定量を噴射し続けなければならないため温度をあげれば窒素酸化物が増え、下げ ると煤がでる、という呪縛があった。しかしこの技術により状況に応じて自由自在に燃料噴射をコントロールすることができるようになった。長年の課題であっ た窒素酸化物と煤のトレードオフの関係を解決したんです。これがクリーンディーゼルと呼ばれるものの心臓部分です」

野口「なるほど。それで現在は窒素酸化物や煤はどの程度まで減ったのでしょうか?」

金谷「2009年に施行される『ポスト新長期規制』ではガソリン車とあまり遜色ない水準になります。今、現在 では、ガソリン車の方が窒素酸化物や煤の排出は少ないですが、既に健康や環境への影響といった意味ではほとんど差はないといってもいいレベルにまで来てい ます。ディーゼル車の最大の欠点である窒素酸化物と煤の排出量が、ガソリン車の長所である窒素酸化物と煤の排出量の少なさに並んでくるわけです。さらに ディーゼルはそもそもガソリン車よりも燃費が圧倒的によく、加速性能、ドライバビリティ、耐久性といった点で優れています。また何といってもCO2の排出 量は同一トルクで約35%も少ないわけです。またよくディーゼルは渋滞だと弱いとか言われますがそんなことは全然なくて渋滞でもCO2排出量と燃費はガソ リン車よりも良いんですね」

野口「では何故、日本ではガソリン車ばかりでディーゼル車がこれほどまでに少ないのでしょうか?」

金谷「まず日本で商品が出ていないというのが一番の要因ですね。では何故、日本のメーカーがディーゼルの乗用車を作らないかというとやはりイメージの悪さが大きいと思います」

野口「日本ではハイブリッドが環境にやさしいということで定着した感がありますからね。逆にディーゼルは石原知事の影響もあってイメージが悪いままですね(笑)」

金谷「欧州ではディーゼルのイメージが悪かった頃でさえ、2割くらいはディーゼル車だった。それから3割、4 割と市場占有率があがっていき、今では7割をこえている。2割でもガソリン車かディーゼル車かという選択肢があれば選びようがあって、良いものであれば自 然と口コミや実際に運転した際の感覚でどんどんと利用者が増えていきますが、日本のようにそもそもディーゼルという選択肢がない状況では選びようがなかっ たんですね」

野口「他にも要因があるのでしょうか?」

金谷「日本の乗用車はほとんどオートマ車ですが、ディーゼルのオートマ車をつくるのにはものすごくコストがか かるんです。マニュアルでディーゼルをつくるのはノウハウがあるのでコストがかからないのだけど、ディーゼルのオートマは新たに生産ラインをつくる必要が あり、また技術的にも難しく、大規模な投資が必要なのでこれまで敬遠されてきたのだと思います。故に最近発売された日産のエクストレイルのディーゼル車も マニュアルなんですよ。」

野口「なるほど。私が提供いただいたメルセデスのE320CDIはオートマですが」

金谷「欧州では、特に4気筒以下の小型車ではマニュアル比率は確かに高いのですが、
メルセデスではどのクラスのディーゼルでもATの設定はありますし、6気筒以上の
モデルはディーゼルでもほぼ全部オートマなんですね」

野口「ところで先生の著書のタイトルでもある『ディーゼルこそが、地球を救う』ということについてお伺いしたいのですが」

金谷「昨今、CO2の削減についての議論が喧しいですが、たとえばディーゼル乗用車の普及率は現在、日本では ガソリン車に対してわずか4%ですが、これを30%にまで普及させるだけでCO2が635万トンも削減できます。これは京都議定書の運輸部門のCO2削減 計画の30%に相当します。さらにそれに加えて、燃料製造時に軽油生産量を増やすことによりCO2の削減が可能です。これは原油から軽油を製造するには、 1:常圧蒸留装置→2:脱硫装置→3:軽油という3段階で済みますが、ガソリンの場合は多くのパターンがあるのですが、たとえば一つ例をあげると、1:常 圧蒸留装置→2:減圧蒸留装置→3:直接脱硫装置→4:流動接触分解装置→5:脱硫装置→6:ALK装置→7:アルキレート→8:ガソリン、といったよう に非常に複雑で長い工程が必要とされます。故にガソリンの製造には多大なエネルギーが必要となり、CO2が多く排出されるんです」

野口「なるほど。たとえばどのような割合でどの程度削減できるのでしょうか?」

金谷「現在はおおよそ軽油を3700万klにガソリンを6000万klといった割合ですが、これを軽油を 4400万klにガソリンを5700万klといった割合にするだけで約170万トンものCO2の削減が可能です(一部ガソリンと軽油の需給バランスを埋め るために重油や軽油などからガソリンに精製している際に発生しているエネルギーを含む)」

野口「まさに『ディーゼルこそが、地球を救う』なんですね」

金谷「既に成熟している技術では、ディーゼルがCO2削減には最も即効性があると思うんです」

野口「この前、ハイブリッド車を作っている関係者から『実はハイブリッドよりもクリーンディーゼルの方が燃費 が良い』と聞きました。メルセデス・ベンツの『E320 CD1』はなんとリッター18キロを記録したとも聞きます。ちなみにディーゼルとハイブリッドが一緒になれるものでしょうか?」

金谷「もちろんなれます。ライフサイクルのCO2排出量をガソリンを100とした時に、ディーゼルは70でハ イブリッドは50くらいなんですね。ところがディーゼルハイブリッドは7割減の30なんです。実はここまでいくと化石燃料から作った水素で走る燃料電池車 よりもCO2排出量は少ないんです。何故なら燃料電池自動車は運転中は一切CO2を排出しませんが、燃料電池をつくる際にCO2を排出するんです。つまり 化石燃料で走る車で最もCO2を出さないトップランナーはディーゼルハイブリッドということです。またディーゼルはバイオマス燃料との相性も良いんです」

野口「国が定めたバイオマス・ニッポン総合戦略ではバイオマスは『再生可能な、生物由来の有機性資源で化石資源を除いたもの」と定義されていたと思います。これはたとえばトウモロコシでつくるエタノールとかそういうことでしょうか?』

金谷「いや実はですね、トウモロコシ100%のエタノールはガソリンや軽油よりもCO2を排出するんですね。 結局、エタノールを作る際に多くの石油エネルギーを使うんです。最もディーゼルと相性の良いバイオマス燃料は軽油代替燃料であるFT軽油なんです。これは 廃木材や稲藁、麦藁、草、間伐材、またはごみや下水汚泥からつくることが可能です。このFT軽油はガソリンを100とするとなんと10程度のCO2しか排 出しない。この燃料とディーゼルを組み合わせたものが既にドイツでは実用化されています」

野口「産油国でない日本にとってはとても良いことですね。日本のエネルギー自給率の向上にもつながりますし、私の富士山の清掃活動でのごみや森林再生のための間伐材も使えるわけですから。今日は貴重なお話をありがとうございました」

2008 年6月18日、札幌市にて「北海道クリーンディーゼル体感フェア」が開催された。日本では一般的に環境に悪いというイメージが強いディーゼル車だが、 1997年の革命的なエンジンの技術開発を契機に、ディーゼル車の悪しき象徴でもあった「黒い煤」も今やガソリン車並に低減している。野口はこの日、ゲス トとして参加。専門家と意見交換を行った。フェア終了後にはメルセデス・ベンツ日本株式会社のハンス・テンペル代表取締役社長兼最高経営役員が「富士山の 清掃など環境保護活動のため全国を飛び回る野口さんに乗っていただきたい」とその場で野口にクリーンディーゼル車『E320 CDI』の提供を約束された。今回はより深くクリーンディーゼルについて勉強するために『ディーゼルこそが、地球を救う』著者である慶應義塾大学大学院政 策メディア研究科の金谷年展教授にお話を伺った。

野口「環境問題が叫ばれている中で、レオナルド・ディカプリオがアカデミー賞授賞式にプリウスを自ら運転して登場し話題に なったように、最近は『どの車に乗るか』ということ自体が一つのメッセージとなっている。私は環境保護の活動をライフワークとしていますが、このたびメル セデス・ベンツ日本株式会社に提供していただき、クリーンディーゼル車に乗る事になりました。でもたとえば富士山の清掃活動にベンツでいくと、ボランティ アで全国から集まってきている参加者の方々がみんな驚くんですね」

金谷「それはそうですよね(笑)。『ベンツ!』というのが今の日本の一般的なイメージでしょうね」

野口「先生の著書にもありましたが、ディーゼル車のイメージとして、『環境(健康)に悪い』『うるさい』『臭い』と マイナスのイメージばかりです。『石原東京都知事』というのも多い(笑)。唯一プラスのイメージとしてあるのは『馬力がある』くらいです。私自身も東京都 の自然保護関係の委員を務めていたこともあって、石原知事の『ディーゼル車NO作戦』の影響が強くディーゼル車というと悪いイメージしかなかった。でも環 境先進国が数多くある欧州では、ディーゼルの人気は高く、乗用車新車販売台数の50%以上をディーゼル車が占めていると聞きます。逆に日本ではディーゼル 乗用車のガソリン乗用車に対する割合は1%にも満たない。何でこんなに違うのかなと不思議に思います」

金谷「多くの要因がありますが、まず一つ目はディーゼル車の悪しき象徴である黒い煤が欧州よりも多く排出されていた という点があげられると思います。その前にまず基本的なおさらいとしてそもそも自動車というのはエンジン形式が主に2つあります。ガソリン車とディーゼル 車ですね。ガソリン車はガソリンを燃料として使用しますが、ディーゼル車は軽油を燃料とすると。ディーゼルエンジンはガソリンエンジンより熱効率がよいた め燃費が優れている。しかしガソリンエンジンに比べると騒音や振動が大きいという問題がありました。また排気ガスの観点から見ると燃焼方式の違いにより一 般的にディーゼルエンジンは、燃費が良いためガソリン車よりもCO2の排出は少ない。でも粒子状物質や窒素酸化物をガソリン車よりも多く大気中にばらまい ていたんですね」

野口「粒子状物質や窒素酸化物というのは簡単にいうとどういうものなのでしょうか?」

金谷「簡単に言いますと粒子状物質は煤が主ですね。石原知事が『ディーゼル車NO作戦』の発表の際に黒い煤が入った ペットボトルを一生懸命振っていらしてましたが、あの中身です。厳密に言いますと、粒子状物質は煤を中心としてその周りに、燃え残った燃料や燃料である軽 油の硫黄分から生成される硫黄化合物などがくっついているものです。
もう一つの窒素酸化物というのは、今、我々の吸っている空気に含まれている窒素や酸素が化合した物質で、煤のように色がついているものではありません。で すがこの窒素酸化物が光化学スモッグの原因ということで1974年から規制が強くなったんです」

野口「光化学スモッグというと、確か1970年に、環状7号線の付近の学校の生徒が体育の授業か何かの際にグランドで目や喉の痛みを訴えて、東京都の調査で光化学スモッグの影響ということが判明してから注目されたという記憶があります」

金谷「そうです。窒素酸化物自体はほとんど無害なのですが紫外線と光化学反応を起こすと有害なものになるんですね。 それでここがポイントなのですが1974年の窒素酸化物の規制の当時のディーゼルエンジンの技術では、窒素酸化物の排出量を減らすと逆に煤が増えてしまう というトレードオフの関係にあったんです」

野口「それは何故でしょうか?」

金谷「これは当時の技術の問題に尽きるのですが、以前のディーゼルエンジンは完全燃焼させると煤は減るが窒素酸化物 が増えると。何故かというと窒素と酸素の反応が高温だと進んでしまうんですね。当時は光化学スモッグが大きな社会問題でしてその影響でこの時に窒素酸化物 の規制が世界でもトップレベルにまで強められたんです。故にエンジンは窒素酸化物を減らすためには完全燃焼ではなく不完全燃焼の方に傾くわけですから、燃 焼時の酸素不足や低い燃焼温度の影響で煤の排出量が増えたわけです」
野口「なるほど。どちらかを選ぶということしか出来なかったんですね」

金谷「バランスよく煤も減らし窒素酸化物も減らすということであれば良かったのですが、それほど当時、光化学スモッ グの公害の影響が大きかったといえるかも知れません。ただ実は煤はそんなに遠くに飛んでいくものではく、せいぜい数百メートルくらいしか飛ばないんです ね。自然には良くないですが、住宅街を走らなければ、健康問題はないんですね。だけど日本の場合は高速道路や環状7号線や8号線といった幹線道路沿いにも 住宅が隣接している。また抜け道利用のためトラックが住宅地を通るということも多いです。欧州はそもそもすみわけがしっかりしていて、トラックなどの商業 車が住宅地を走るという事もなく、高速道路や幹線道路沿いに住宅がないんです。ですので1970年代に光化学スモッグによる窒素酸化物の規制のため煤が増 え、日本の特有な道路事情や産業構造、住宅事情などが複合的に密接に絡まりあい、なるべくしてディーゼル車の黒い煤による大気汚染や健康被害が起きてし まったと」

野口「なるほど。あとは丈夫ということもあってトラックがメンテナンスをあまりしないといった点もありますかね?」

金谷「そうですね。他にもトラックが無理して過積載により多くの煤が出たという点もあります。いずれにせよ様々な要因が絡んでいるんですね」

私のエコカー

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  エベレストや富士山の清掃活動など、環境問題に携わる活動を始めて早9年目。最近では私を登山家であると知らない人が増えた。先日、食堂に入ったら店長さ んが「アルピニストの野口さんですよね!」と尋ねてくるので「いかにも、私が野口健です」と答えたら色紙を渡され、サインをくださいと。「エベレスト登 頂・野口健」とシンプルに書いたらキョトーンと不思議そうな表情をされ、「えっ! 野口さん、エベレストに登ったことがあるんですか?」と。彼のその一言 にこっちが「えっ!」と驚いてしまった。「だって私は登山家ですよ。エベレストぐらい登っていますよ」とムキになったら、「えっ、アルピニストって登山家 のことだったんですか。ごみを拾う専門家かと思っていた」と言って、真っ赤な顔で「アッハハハ」と笑い転げていた。



  どうやら最近の私のイメージは「登山家」ではなく「環境屋」らしい。いわゆる「煙草は吸わない」「車はハイブリッド、または、移動は自転車」など、そして これは環境問題には関係ないのだが、「野口さんは環境問題の方ですから夜遊びなんかしませんよね」と聞かれることがよくある。そんな時はついつい「夜遊び ぐらいしますよ! 冒険家なんですから!」と反論してしまう。そもそも『ソトコト』をつくった御大も夜遊びの常習犯である。しまいには『エロコト』から 『ラブコト』まで出版してしまうのだから。しかし、一般的な「エコ」のイメージは「優等生」なのだ。出来の悪い私は疲れて仕方がない。

  そしてよく、「野口さんは環境の人だから、車には乗らないでしょ」と聞かれるが、私は大の車好きである。仕事で移動する時も、スタッフよりも主に私が運転 する。子どもの頃に英国で育っていた影響か? ジャガーに憧れ、初めて購入したのは20年落ちの古いジャガーだった。一発でエンジンが掛かるとハンドルを なでなでしながら「今日はいい子だ」と褒めてあげた。なにしろ、なかなかエンジンがかからない代物であった。しかし、なんともいえない気品と色気があり、 また美しかった。

現在の私の相棒がこのメルセデス・ベンツ製クリーンディーゼル・カー。日本ではどうしてもディーゼルがネガティブ・イメージだが、環境にうるさい欧州では好んで受け入れられている。

  しかし、その後に清掃活動や環境学校などの取り組みを始めると「えっ! 野口さんがジャガー」と冷ややかな視線を感じることが多くなった。確かに燃費は恐 ろしく悪かった。しかし私からすれば「20年以上も古いものを大切に使い続けるのも一つの環境問題じゃないか」と突っ張り続けていた。しかしついに動かな くなり、手放すことに。そして次の相棒はボルボの四駆となった。北欧生まれのボルボは寒さや雪道に強く、私のようなアルピニストには最適であった。また飽 きのこないシンプルなコックピットに愛用者も多い。そしてイメージ的にもアウトドアと一致する。しかし、ジャガーの時同様に冷たい視線を感じることが度々 あった。

  それはハイブリッドカーが代表的なエコカーとされ、最近ではアカデミー賞授賞式でもレオナルド・ディカプリオといった世界的映画スターらが環境問題に関心 のあることをアピールするためにハイブリッド車に乗って登場するのを象徴するかのように、「エコカー」イコール「ハイブリッド」、いやもっとダイレクトに 表現すれば「ハイブリッド以外はエコではない」とイメージ化されたからだろう。

  ちょうどその頃、千葉の田舎に家を構え、私はいわゆる東京に単身赴任の身となり家族との別居生活がスタート。車が2台必要となり、ついにハイブリッド車を 購入。しかし、これは個人的な趣味の問題だが、私的には運転していてワクワクするような躍動感、パワー、安定感を楽しめなかった。ある時に「運転していて も面白くないなぁ~」とスタッフにぼやいたら、「野口さん、環境問題は我慢することでしょう」とピシャリと言われてしまった。その正論に反論もできず、 黙って頷くしかなかったが、「我慢するだけでは……」と決して表には出せない心の声が聞こえていた。

  しかし最近、雑誌(『WEDGE』8月号)で中村繁夫さん(レアメタル専門商社・AMJ社長)が「ハイブリッドをつくるための資源開発の現場で環境破壊が 進んでいる現実は意外に知られていない」と指摘されているのに驚いた。中国の鉱山からハイブリッド車に必要なディスプロシウムやテルビウムなどの元素を 100パーセント輸入しているが、そのおかげで中国の鉱山現場では急速な環境汚染が進んでいるとのこと。コスト削減のために直接採掘現場に硫酸をかけて、 希土類を浸出採取する生産方式がとられている。1000トンあたり2トンしか希土類元素が採取されず、つまりは998トンもの汚染された土砂は、再処理さ れないまま川に廃棄されている、と中村さんは訴えている。また、「環境保護団体が、汚染物質を撒き散らして走るエコカーの写真を日本の『環境技術』の象徴 として表現することのないようにしなければならない」とも警告されている。

  もちろんハイブリッド車にも優れた面は多々あるのだろう。しかし、ハイブリッド車は究極のエコカーであると、一方的に疑問を抱くことなく信じ込んでいただ けに、もう片一方でこのような問題が生じていることに、環境問題は一筋縄にはいかないと、その難しさを改めて痛感していた。

  そんな私にメルセデス・ベンツのディーゼル車とのタイアップの話がきた。メルセデスは1934年に世界で初めて乗用車にディーゼルエンジンを搭載させた が、一般的なディーゼルエンジンのイメージは「汚い」「うるさい」「臭い」だろう。特に、石原慎太郎東京都知事が目をパチクリさせながら、煤で真っ黒に なったペットボトルを振り回し、「ディーゼル車NO作戦」を発表した。私を含め多くの方々がディーゼル車は環境破壊(大気汚染)の象徴と映ったのではない だろうか。しかし、環境先進国の多い欧州では国によってはすでに6割以上、欧州全体でも5割以上がディーゼル車とのこと。なぜ、環境先進国はディーゼルを 選択するのか? この夏から私の相棒となったメルセデス車の横っ腹には大きく「New Clean Diesel」と表記されたシールが貼ってある。次回はクリーンディーゼル・エンジンについて探ってみたい。

すっきりとしたインパネの中央に注目。燃費はリッターあたり17.6キロを計測中。

 いつも野口健の応援をありがとうございます。
現在、野口健が、ASKAさんの『LOVE SONG』プロモーションビデオに出演しています。以下、プロモーションビデオになります。



 野口健事務所 スタッフ

私がしゃべり続けるわけ

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 鹿児島の旅を終えてから再び講演ロードに突入。この10日間ほどで名古屋、茨城、千葉、岡山(2回)、京都、北九州、広島(2回)とよくもこれだけ人は移動し続け、しゃべり続けられるものだと、我ながら驚くものです。

 その隙間に取材などの仕事も入ってくるわけですから、とにかく永遠としゃべり続ける。人からよく「お喋りですねぇ。疲れないんですか?それに毎日、毎日では嫌にならないんですか?」とよく言われますが、そもそも講演会で私がしゃべらなかったらその時点で講演会は成立しないわけで、しゃべるために全国行脚しているわけです。このしゃべるという行為に疑問を抱いたらそれまで、もうムリでしょう。

 私の活動を支えているのはこのおしゃべりなのかもしれない。学生時代に7大陸最高峰登頂を目指しスポンサー活動を行っていた時も、何故に自分がこの冒険をしたいのか、いや、しなければならないのか、そしてその冒険が社会的にどういった意味があるのか、スポンサー企業にとって私をサポートする意味、メリットなど、自分なりに勝手にストーリを描いて伝える。私の思いに相手が共感してこそ実現する。その1つ1つの積み重ねで私はここまでやってきました。やりたいと思うことと、実際に実現することとの大きな違いはまさにそのポイントにあると思います。
小学校での講演は楽しいひと時
小学校での講演は楽しいひと時(岡山県・朝日塾小学校にて) 
広島市の安田女子中学校での講演会にて
広島市の安田女子中学高等学校での講演会にて

 これは富士山清掃活動なども同じ。僕ら富士山クラブだけがコツコツとゴミを拾っているだけではどうしても限界がある。また、こっそりと拾い続けるのも一つの哲学、手法かもしれないが、拾うだけでは自己満足になりやしないか。ゴミを拾う事が目的ではなく、あくまでも富士山をきれいにするのが目的であるわけだから、その明確な目標に向かってしっかりとしたビジョンなり、戦略なりをもって、淡々と着実に社会的なムーブメントにしていかなければならない。拾い続けながら同時に全国行脚し現状を伝え続ける。そして多くの方々に活動に対し共感し興味を抱いて頂く。我々、富士山クラブが伝え続けてきたからこそ、その影響もあって10年前は100人足らずであった清掃キャンペーン参加者は今や年間7000人前後にまで増えた。あの時もしゃべり続けた。
握手会の様子 美女には弱いのは家系?
握手会の様子 美女には弱いのは家系?
なんのポーズかな?
なんのポーズかな?
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名古屋女子短期大学にて講義
名古屋短期大学にて講義 

 遺骨収集活動も同じ。こうして全国の講演会場で毎日のように話しています。冒険談なりゴミ清掃の話を聞かされるのだろうと会場に足を運ばれた方々にとっていきなり遺骨収集の話が展開されれば寝耳に水状態であり、その会場の皆さんの驚きかげんは壇上にいる私の元に空気を通して伝わってくる。以前も書いたかもしれませんが、壇上でしゃべっている時は一人でしゃべっているようでいて、実は皆さんの発する気とのやり取りがあります。キャッチボールなんですね。

 講演会後はこのブログや野口健ホームページの掲示板に多くのコメントが寄せられていますが、「遺骨収集をやっているとは知らなかった」「遺骨が沢山残っている事実に驚いた」と書かれたメッセージが実に多い。こうしてしゃべり続ける事で一般的に知られていなかったこの活動が知られていく。

建国記念日に遺骨収集を語る
建国記念日に遺骨収集を語る(千葉市にて) 
広島での講演会
広島での講演会

 メディアを通して訴えていく手段もありますが、どちらかと言えば受け身に近いのかな。何故ならばこちらが一生懸命話してもそれが全て記事の中で紹介されるとは限らない。編集作業があり、あくまでも相手が伝えたい箇所のみが記事になるわけで、例えば「野口さんの活動を紹介してください」との取材内容で取材時間の半分以上も遺骨収集の話をしても一行も記事に紹介されていないことも多々あるわけです。特に遺骨収集に関してはメディア側が避けたがる傾向があったりする。

 その点、自身の講演会は始まっちゃえばマイクの電源を切られない限り、こっちのもの。それこそ生ですから。その変わり自身の発言したメッセージは編集作業を得ないままダイレクトに社会に対し発信されるわけですから当然リスクはつきもの。言葉は時に形を変えながら独り歩きするし。

 ただ、それだけに講演会に参加してくださっている方々には「生」の緊張感を味わって頂けているような気がします。それがリアリティーなんだと思います。

橋本龍太郎さんの長男 龍さん一家とも再会
橋本龍太郎さんの長男 龍さん一家とも再会・コスモアースコンシャストアクト講演会・岡山市にて
岡山の朝日塾小学校の講演会場で橋本
岡山の朝日塾小学校の講演会場で橋本龍太郎氏の次男 岳さんと再会

私にとって講演会で話す意味は、テーマは、リアリティーです。一般的に公にされない現場の情報を包み隠さずダイレクトに伝える事ができるのか、目をつぶって話を聞いていてもイメージがつくのか。山に登ったり海を横断することだけが冒険ではない。世の中の様々な理不尽な出来事、またタブーに対する挑戦も冒険です。故にテレビなどのメディアでは編集作業段階でカットされるような話も時にそのままします。僕はそれでいいと思っています。
京都での講演会では久々に親父との再会!
京都での講演会では久々に親父との再会!
ブログ原稿は移動中の新幹線の中で
ブログ原稿は移動中の新幹線の中で 

 明日は(2月14日)は三重県桑名市で講演です。明日もしゃべり続けます。ゴミを拾うのもコツコツ、山に登るのも一歩また一歩とコツコツ、そして伝える事もこうしてコツコツとしゃべる、みな同じです。コツコツ、そしてまたコツ。さて、明日も頑張ります!

 2010年2月13日 桑名市にて 野口健

知覧・韓国岳登山 ~鹿児島の旅~

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鹿児島市で行われた講演会翌日から二泊三日の旅をしました。旅の仲間は黒岩裕勇起さんと黒岩さんの友人のオペラ歌手の上杉麻子さん、そしてコスモアースコンシャストアクト・イベントの担当者である博報堂の塩澤さん(あだ名 そると)。ちなみにコスモアースコンシャストのブログを管理し「そると」という名前でよく登場してくるのが塩澤さんです。最近、一身上の都合?まあ~色々あったようでして、突然、山にはまってしまったようです。毎週末のように山が通い。「一緒に開聞岳行かない」の一言で参加が即決定。

講演会前日に黒岩さんの薩摩ビール園にて上杉さんのコンサートが行われ私も出席してきました。初めての生オペラ。マイクなしによくもあれだけお腹の底から声が出せるものだと、一番前の席で聞いていたのでこちらの鼓膜までもがビリビリと張り裂けそうでした。私は人様に言わせればどうやら相当の音痴らしく、それだけに歌手は心底凄いと思います。上杉さんのど迫力に圧倒されました。
オペラ歌手の上杉麻子さん
オペラ歌手の上杉麻子さん

1月31日、旅初日は以前から登ってみたかった開聞岳登山を予定していましたが、この日からドシャ雨。そういえば11月に黒岩さんと奄美大島にも旅をしましたが、あの時も毎日がドシャ雨。雨男は私?それとも黒岩さん?

 したがって開聞岳登山は諦め、下山後に訪れる予定であった知覧の特攻平和会館へ一昨年に続き訪れました。この特攻平和会館で出撃直前に特攻隊員が書き残した遺書が展示されており、一枚一枚、読むわけですが、私は出来る限り多くの日本人にあのメッセージを読んでほしい。何故に彼らが死んでいったのか、また死ななければならなかったのか、そして命を捧げてまで彼らは何を守ろうとしたのか、私は一人でも多くの日本人に読んでほしい。その一部は本なので読む事も出来ます。現地に訪れる事が出来ないのならば、それでもいいと思いますが、でも、訪れる事が可能ならばあの最後のメッセージを生で読んでほしい。最近の荒れた成人式の様子がなんとも情けなく悲しくなる。もちろん成人式だけではありません。政治問題しかり。もし、天国から特攻隊員たちが今の日本の様子を眺めていたとしたのならば、一体何を思うのだろうか。本当に申し訳ない。今をしっかりと生きなければと、僕はいつも知覧で同じ事を感じます。せめて年に一回は知覧を訪れじっくりとその何かを感じてみたい。
2008年6月 知覧を訪れて
写真は平和会館の許可を頂いて撮影してます
写真は平和会館の許可を頂いて撮影してます

あどけない表情の特攻隊員たち
あどけない表情の特攻隊員たち

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特攻知覧平和会館に訪れて
特攻知覧平和会館に訪れて
 開聞岳を次回の目標とし、レンタカーであてもなくさ迷う旅となった。旅の最終日にもし晴れたら韓国岳に登ろうと決めたのはそれだけ。それにしても桜島が象徴しているように鹿児島は火山が多い。我々が宿泊した宿のすぐ裏に出かけてみたら、地面の至る所からボコボコと温泉が噴き出している。触ってみたら沸騰直前の熱湯。うっかりあのボコボコ水たまりに転んで落ちてしまったら助からないだろうなぁ~とそれでけ熱かった。

至る所で温水がボコボコと音をたてている
至る所で温水がボコボコと音をたてている

地獄谷。ここから温泉が噴き出している
地獄谷。ここから温泉が噴き出している

この背景がなんとも似合うねぇ~
この背景がなんとも似合うねぇ~

 日本には「地獄谷」と呼ばれる個所が何か所もあるけれど、まるで本物の地獄に迷い込んでしまったかのような雰囲気でした。

 道中、焼き物をやっている「陶芸の里 あすか」というお店を発見。ただ、定休日であったのでパンフレットの書いてある電話番号にかけてみた「いいですよ!」と。早速でかけ、ご主人が焼かれた作品を拝見させて頂きましたが、なんとも他にはない個性的な作品が目に飛び込んできた。「これは!」と壺を1つその場で購入。これだから旅は面白い。ふらりと立ち寄った所に大きな出会いがあったりする。ご主人の名前は桑原武満さん。話しが盛り上がり、紅茶まで頂きました。後から分かったのですが、実は桑原さんの息子さんが鹿児島で行われた私の講演会にいらっしゃっていたとのこと。その息子さんが「野口さんの講演会に行ってきた」といったような事を電話で聞いたご主人の桑原さんが「えっ!野口さん、つい先ほど家に突然来たよ!」と、まあ~運命といいますか、出会いの運とは不思議なものですね。

「陶芸の里あすか」にて
「陶芸の里あすか」にて

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私の左隣が桑原武満さん
私の左隣が桑原武満さん 

そして旅の最終日、ようやく晴れ、韓国岳へ。至る所に噴火した跡の噴火口があり、その噴火口が今では湖になっていて美しい。2時間前後で韓国岳に登頂しましたが、ボルネオのキナバル山以来の登山でなんとも気持ちが良かった。途中、下山してくる登山者と目が合い「えっ!野口さんですか!野口さんもこんな山に登るのですか!」と驚きの声が何度かありましたが、そりゃもちろんですよ。標高の高い山も面白いけれど、山の魅力はなにも標高だけではありませんよ。僕が最も好きな山は白神山地。標高的には極めて低いけれど、あの命溢れる白神山地の森の中にいるとなんとも癒されるし、自然のエネルギーを全身で感じる事ができる。山の魅力は本当に様々。標高だけではないんだなぁ~。確かに僕も若い時はヒマラヤのような高峰ばかりに目がいっていましたけれど、今は違う。この韓国岳も素直に楽しいと感じながら登っていました。そして1700Mの山頂ですが、登頂すれば今まで登ってきた他の山と同様に感動するものです。
韓国岳山頂にて
韓国岳山頂にて
やはり山登りは気持ちがいい
やはり山登りは気持ちがいい

噴火口が湖に
噴火口が湖に

韓国岳の山頂から見下ろす噴火口
韓国岳の山頂から見下ろす噴火口

 こうして今回の旅は終了しましたけれど、開聞岳に登れなかったのは残念。まあ~天候ですから仕方がありません。ただ、また鹿児島にやってくるきっかけを作ってくれたと思えばそれでよし!
鹿児島県は神社が多い
鹿児島県は神社が多い

 それにしてもこの度では酒を飲み過ぎた。いや、飲まされ過ぎた。なにしろ黒岩さんの会社はビールだけではなく焼酎も作っており、また「黒岩」という40度を超えた原酒の焼酎がこれがまたまた素晴らしく存在感を示す焼酎で毎日が二日酔いの旅でした。
黒岩さんが作っている焼酎の蔵
黒岩さんが作っている焼酎の蔵

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 それにしても、楽しかった。もともと鹿児島は好きでしたがさらに好きになりました。たまにはこうして仕事モードから離れ気の合う仲間たちと旅するのはいいですね。年内、必ず開聞岳に登ります!
 1月31日、鹿児島市内にてコスモアースコンシャストアクトの講演会が行われました。約1200人もの方々が集まり、また佐賀、福岡といった他県からの参加者も多数。そして特に驚いたのが、なんと神奈川県の川崎市から申し込まれた遠く鹿児島までいらしてくださった女性の方がいらっしゃいました。握手会の時に「昨年、東京講演会に申し込んだのですが、倍率が高く落ちてしまったので調べて鹿児島まできました」と声をかけてくれましたが・・・本当にありがとうございます。お名前も聞けずまともなお礼もできず、ただ本当に嬉しかったです。2月20日に 東京講演会がありますので、もしこのブログを見てくれていましたらご連絡ください。せめてものお礼としてご招待させて頂きたいと思います。


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それにしても鹿児島の方々は熱かった。2時間20分という長時間講演にも関わらず最初から最後まで会場からビシバシとエネルギーが伝わってきました。講演会というものは面白いもので話しているのは確かに一人ですが、会場からやってくる参加者の気というのか、エネルギーというものなのか、それとのキャッチボールなんですね。したがってボールが跳ね返ってこないとこちらも気持が乗り難いものです。鹿児島の会場は私が投げ込んだ以上に勢いのあるボールが私の元に戻ってくるのだから、こっちも真剣。あっと言う間の2時間20分でした。

 そして講演会直後から僕のブログ、特に野口健ホームページのカキコミ(掲示板)には本当に多くの、そして熱い気持ちの込められたコメントが多数寄せられました。1つ1つ、拝読させて頂きました。ありがとう!!!

デレデレ?
デレデレ?

講演会後の握手会・写真撮影会の様子
講演会後の握手会・写真撮影会の様子

 近くに知覧があるのも1つ影響しているのか、遺骨収集の話になったとき、会場の空気がより1つにまとまったような希薄を感じました。講演会後の本のサイン会でも「野口健が聞いた英霊の声なき声」(産経新聞出版 喜多由浩著)がどの会場よりも多く売れました。遺骨収集活動は私が今、最も力を入れている活動です。今、私がこうしている間にも空援隊の仲間たちがフィリピンで必死になって遺骨調査、収集を行っています。私は次の3月に現地フィリピンに向かいますが、日本にいても気持ちはフィリピンです。まだまだ多くのご遺骨が私たちを待っています。そしてこの問題、未だ多くの方々に知られていませんが、しかし、こうして講演会を通して着実に伝わっていくことが現場で戦っている私たちにとっては最大のご褒美です。

講演会後にスタッフ達と記念写真
講演会後にスタッフ達と記念写真

 講演会の翌日からプライベートで二泊三日の旅をしました。薩摩ビール園の黒岩社長たちとの旅となりましたが、黒岩裕勇起さんとはこれまでも旅に出かける旅仲間。登山仲間、飲み仲間かな。次回は旅の報告をしたいと思います。

旅仲間?山仲間?それとも酒仲間?
黒岩裕勇起さん、旅仲間?山仲間?それとも酒仲間?

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