ホーム

ブログ

2012年マナスル・ムスタン登山

ネパール大洪水 後編~まるで大地が転がってくるように洪水に襲われたんだ~

2012年マナスル・ムスタン登山

2012/05/14

ネパール大洪水 後編~まるで大地が転がってくるように洪水に襲われたんだ~

5月10日、再び洪水の被害をもっとも受けたカラパニ村へと向かった。ポカラ市から四輪駆動車で向かった。前日はヘリで現場入りしたのでカラパニ村以外の状況など詳しくは確認できなかったため、今回はポカラ市からカンパラ村の道中の村も調査の対象とした。まず訪れたのがカンパラ村から4キロ手前のブルジュンコラ村。食堂の女性に話を聞いたら「洪水の時は音が凄かった。すぐに屋上に登ったら川の方を見たらまるで水がジャンプしているかのようだった。あちらこちらから悲鳴が聞こえた。この村でも26人が行方不明のままさ。川には石や砂利を集めに多くの人が行っていたからね」と淡々と話してくれた。そして彼女に紹介してもらったのがビーゼーライ君(16才)。

IMG_1110.jpg

一番目.jpg

2番目.jpg

ビーゼーライ君は洪水が押し寄せた時に祖母と叔母、そして弟と共にセティー川で砂や砂利を集めていた。「川で石を集めていたら突然、大きな飛行機のような音がしたんだ。何だろうとキョロキョロと周りを見渡したんだ。そうしたら川の上の方からまるで地面が転がってくるように爆音と共に水が流れてきたんだ。最初は皆で手を繋いで逃げようと走ったんだけど、祖母と叔母が僕と弟のスピードについて来られないんだ。だから手を放して弟と二人で逃げたんだ。振り返ったら目の前で祖母と叔母が流されていった・・・」とその時の状況を話してくれた。

そして「祖母と叔母を探しにポカラのカンダギ病院に探しに行ったら、頭や手足のない遺体がたくさん並んでいた。その遺体の中から祖母や叔母を探したけれど見つからなかった」「後で分かった事なのだけれど僕の友達も一人流されていた」とガックリと疲れ果てている表情で語った。

ビーゼーライくn.jpgビーゼーライン君

崩壊したとされている氷河.jpg崩壊したとされている氷河

ビーゼーライ君と別れカラパニ村へ目指した。村の入口付近から立ち入り禁止となり軍や警官によってロープが張られていた。前日はシーンと静まり返っていたカラパニ村周辺だったが、被災現場に国軍や警察が到着し現場は騒然となっていた。シャベルカーも増え村に堆積した土石流を掘り起こしていた。村の入口付近のテントには行方不明者の名前が書き込まれた紙が貼られその周りには人垣ができていた。おそらく行方不明者の親族たちだろうが、彼らの表情からは緊張感と絶望感、そして諦めの表情が同時に入り交じっていた。

.jpg

現場は腐敗臭が漂っていた。.jpg現場は腐敗臭が漂っていた。

前日とは違い、現場では異臭が漂ってくる。軍兵士に聞いたら「遺体の損傷が激しい。土砂を掘っているので臭いが段々ときつくなってきた」とのこと。

軍兵士、そして警察と交渉し許可を頂いて被災現場に入った。掘り起こされた土砂の中から靴、サンダル、台所用品、子供の教科書などが出てきた。
村人のクリシュナ・バハドル氏(41歳)によると「洪水の二日前から水量が少なくなり、水の色が白く濁っていた」とのこと。「アンナプルナ峰の氷河が崩壊しセティー川をせき止めてしまい一時的にセティー川の水量が減ったのだろう」と一緒にいたネパール人ジャーナリストの分析。

P1014616.jpg

P5084339.jpg

残された靴たち.jpg残された靴たち

我々が村人の証言を集めようとしていると何人もの村人が「話を聞いてくれよ!」と集まってきて「政治家はヘリコプターで昨日飛んできたが、すぐに帰ってしまった。政治家は僕らの声なんて聞いてくれないんだよ!」「吊り橋だって今日から僕たちが直しているんだよ。政府に任せたら5年も6年もかかる!」と政府への不満が次から次へと。

そして洪水に飲み込まれた時の様々なエピソードを話してくれたが、カラパニ村にある吊り橋を指さして「洪水が襲って来たときに、高校二年生の女子学生がちょうど吊り橋を渡っている最中だったんだ。その女の子はポカラに大学の入学試験を受けに行ってその帰りだったんだ。洪水がその吊り橋に襲いかかった時に彼女は怖くて力が抜けたのか走る事もしないでじっとしていた。それで洪水はまるで滝のように吊り橋よりも上から襲ったんだ。その瞬間、吊り橋は見えなくなり、洪水が去っていった後に彼女の姿も消えていたんだ」と。その傾いている吊り橋に視線を移したら、流されてしまったその彼女の親族、または彼氏なのだろうか、一人静かに声を上げる事もなくうずくまっている男性の姿が。声をかけようとしたが止めた。とてもじゃないが声はかけられない。

吊り橋の前で悲しみにくれる男性.jpg吊り橋の前で悲しみにくれる男性

遺体が安置されていたテント.jpg遺体が安置されていたテント

また村人は川岸に二箇所あった温泉のチケットが30枚以上も売れていたとも教えてくれた。つまり洪水が来たときにはその売れたチケット分だけの人がお風呂に入っていたと。チケットの購入が必要なのは村人以外で、村人はチケットがいらないので実際はもっと多くの人がお風呂に入っていたんじゃないかとも。「ピクニック客を載せたバス二台もバスごと流されたんだ」「ここは平日でも500人ぐらいが訪れるんだ。土曜日になれば1000人が訪れることもある。洪水はその土曜日にこの村を襲ったんだ」と被害はどこまでも増えていくような話ばかり。ネパール人ジャーナリストの一人がポツリといった。「犠牲者は少なくとも100人は超えているな」と。

軍のテントには女性と子供たちが肩を寄せ合って座っていた。サンティーグルンさん(30才)は、「私は畑の仕事をしているときに川の方から水が来るのが見えて丘の上に逃げた。でも主人と私の父はその時に川にいてそのまま流されてしまった。主人と父を失い、私はこれからどうやって子供たちを食べさせていくの」と憔悴し切った表情で遠くを眺めながらそう呟いた。

昨年10月に撮影されたカラパニ村の温泉。後ろに吊り橋が見える。.jpg昨年10月に撮影されたカラパニ村の温泉。後ろに吊り橋が見える。

洪水前のカラパニ温泉の様子.jpg洪水前のカラパニ温泉の様子

サンティーグルンさん.jpgサンティーグルンさん

我々の滞在中にカラパ二村入口に立看板が建てられそこには犠牲者が写された写真が張られていた。手足や首がない遺体や全身が水で膨らんでしまった遺体など。ポカラ周辺からも多くの市民が見学にやってきていたが、その張られた遺体の写真の前には人垣ができ、そして多くの人がポケットから財布をだし寄付金を出し始めた。

遺体の写真が公表される事の少ない日本では極めて異様な光景に映るかもしれないが、そのだし方にもよるが私は「あり」だと考えている。遺体の写真を目にして初めてその深刻さが伝わったりするもの。3・11においても日本のメディアと海外メディアとでは報道の表現が異なっていた。海外メディアは遺体の写真を載せていたが、日本の新聞、テレビ、雑誌の大半は載せなかった。視聴者への配慮との事らしいが、しかし、それでは現場で何が起こっているのか、本当の姿が伝わりにくい。それが被災地とそれ以外の地域での温度差を生んだりする。私は震災直後から被災地入していたが、東京に戻ってきた時のあの空気の違い。どことなくみな他人事なのだ。全ての人が現場に訪れる事などできるわけもなく、ただテーマの1つに、現場に行っていない人にも現場の出来事をリアルに伝える必要があるのだろうと。配慮も大切だが配慮ばかりでは伝わらない。伝わらなければ人々の意識から危機感が遠のいてしまう。そしてその教訓は生かされず同じ悲劇を繰り返してしまう。あの福島原発20キロ圏内の世界の写真をこのブログ上で公表したのもそんな思いからであった。

行方不明者のリストに集まる人々.jpg行方不明者のリストに集まる人々

遺体の写真が掲示板に貼られていた - コピー.jpg遺体の写真が掲示板に貼られていた

遺体の写真が張られたボードの横に基金箱が設置された - コピー.jpg遺体の写真が張られたボードの横に基金箱が設置された

そんな事を感じながら歩き始めたら、軍のテントに女性の頭部が川岸から発見され運ばれてきた。そして自分の親族ではないかとその頭部の前にも人垣ができていた。道路脇におかれた女性の頭部。その頭部を多くの人が見ている光景は凄まじかった。しかし、それだけの事が起きたのだ。3・11もそうであったように被災現場は壮絶だ。現場に訪れた人はみな何かを背負って、また何かを引きずって生きていくことになる。確かに現場は大切だ。見る事は知ることであり、同時に背負うことでもある。私が最も大切にしているのが「現場」だが、しかし、現場の世界は時に惨すぎる。ただ、その現場から目を背けてしまってはならない。現実に起きてしまった事からは逃げられないのだから。現場を後にしポカラに戻ってきたもののグッタリと疲れ果てていた。

被災現場でネパール人ジャーナリストの何人かが私に気がつき「何故、登山家の貴方がここにいるのだ」と取材したいと。

ネパール人記者からのインタビュー.jpgネパール人記者からのインタビュー

彼らに伝えたのは
「洞爺湖サミットやアジア太平洋水サミットでヒマラヤの氷河が温暖化の影響によって融解し氷河湖を拡大させ決壊させる事によって起こる洪水、また今回のような氷河の崩壊によって起こる水害について訴えてきたが、サミットが終わってしまったら世の中の関心がヒマラヤの氷河問題からスーと薄らいでいくのを感じていた。伝えきることの難しさ。そして危機感を抱き続けることの難しさ。世界ではリーマンショック後に、また日本では昨年の大震災、特に原発事故によって温暖化対策は完全にトーンダウンしている。しかし、このカラパニ村の洪水被害だけでもおそらく100人以上の人が犠牲になったでしょう。これから氷河の崩壊はさらに増えると考えられている。伝えることを諦めてしまってはいけない。第二、第三のカラパニ村が出てこないようにしないと」

「温暖化対策と同時に洪水が発生した際の村人への避難を想定した訓練をやらなければならないでしょう。これはネパール政府だけではできない。ネパール政府は世界に向けて協力を要請するべき。特に日本政府はバングラディシュで水害時による避難について長年取り組んできた経験がある。シェルターなんかもその1つでしょう。それらの結果、水害による犠牲者が激減した。とにかく温暖化によってヒマラヤの氷河が融解し様々な被害がこれから起こるだろうと、そして災害時に人々の命をどのように守るのか、このカラパニ村を一つの教訓にすること。そして繰り返さないこと。それしかない。辛い出来事を「辛い」で終わらせてはいけない」

と話した。私自身、洞爺湖サミット、アジア太平洋サミットの後、色々とありすぎてヒマラヤの氷河問題から気持ちが離れていたのも事実。危機感を抱き続けることは本当に難しい。

一番最後の一枚手前の写真にしてください.jpg

一番最後の写真です.jpg

ネパール政府は18人の死亡。行方不明者は30人以上と発表しているが、とんでもない。現場を体験した者はみなそう感じているはずだ。

2012年月5月8日 ポカラ市内にて 野口健

野口健ブログ ネパール大洪水 前編~轟音と共に村が消えた~

ネパール国内での報道ニュースです。遺体の映像などもございますので、ご了承のうえご覧ください。

http://youtu.be/VbbCPhR_sTc
ポカラニュース

http://youtu.be/VVLWhXIG96E
ネパールニュース

カテゴリー別

ブログ内検索

野口健公式ウェブサイト


(有)野口健事務所 TEL: 0555-25-6215 FAX: 0555-25-6216