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夢に向かって~ネパール人青年ウパカルの歩み~ 第6章 「教育格差」を思い知る

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2020/11/24

夢に向かって~ネパール人青年ウパカルの歩み~ 第6章 「教育格差」を思い知る

 野口の「教育」の話は、ウパカルの胸に刺さった。だが果たして、その教育環境を自分の出身地のような田舎まで普及させることができるのだろうか。答えの出ない問いを、考えさせられる日々が続いた。
そんな折に、以前一緒に働いていたネパール人と偶然再会した。彼とは台所で寝起きしてたあの日々を忘れたいと思いしばらく距離をおいていた。だが、会ってみるとやはり友人として接することができた。
 彼によると、岡山には相変わらず悪徳ブローカーが健在らしい。借金を背負わされ、ネパールに帰った人も少なくないという。その後、何人かのネパール人と会ったが、皆「ジャパニーズ・ドリーム」を抱いて来たものの、仕送りどころか、自分が食べていくのに精いっぱいの人達ばかりだった。「これでは何のために日本にきたのかわからない」そんな溜息交じりの言葉ばかりだった。懐かしいネパールの曲を聴きながら、涙を流す女の子もいた。
 騙されて働くネパール人が多いのは、彼らが貧しい国の出身だからだろうか? 
ネパールの政治は旧態依然としたままで、一部の人間しか豊かな生活をしておらず、そこから海外に出ても凄惨な暮らしが待っている。ネパールは、このままなのだろうか?
 
 2016年、ウパカルは二度目の里帰りでネパールに来た。
母校である父親が校長を務める学校の生徒たちに、今度はランチボックス(弁当箱)を持っていった。生徒の多くはお弁当がなく、昼休みは水ばかり飲んでいる。それでは、勉強をする元気もでないだろう。ランチボックスがあることで、ごはんを持参する意識を家族で高めてほしいと思い、ウカパルは贈ったのだった。
なけなしの食材をランチボックスに入れなくてはいけないのだ。親達は大変だっただろう。しかし翌日、米袋に本とランチボックスを入れ、目を輝かせて子供たちは登校してきた。先生たちと一緒にウパカルは喜んだ。だが同時にウパカルは、日本の小学生と比べてしまっていた。日本では、給食を「残さないように」と先生たちが指導をしているのだ。この格差は、どうにもならないのだろうか? 日本と世界がどんどん発展していく中で、ネパールはとり残されたままだ。そのなかでも、ウパカルの村はカーストが低い人たちが多く、彼らは特に貧しい生活を強いられている。
 
 複雑な気持ちで日本に戻ると、地元のネパール人の悪い噂を聞くことになった。近くのスーパーに毎晩、手に取った商品を食品棚に投げつけて戻すネパール人がいるという。ほかにも夜中の街で酔っぱらって喧嘩をしたネパール人の話も聞いた。ある日、ウパカルは荒れ果てた表情のネパール人を見つけて、そっと声をかけるた。すると
「あなたは言葉も話せて、まともに働ける場所もあるでしょ。偉そうに言わないで」
と返されてしまった。
 ウパカルは「僕も死ぬほど苦しんだのだ」と言いたかった。しかし、絶望感のなかにいる彼に何と言っても、響く言葉はないだろう。ただ、彼には自棄だけは起こさず、出来るだけ日本のことを学んで、同時に祖国を想ってほしかった。
 どん底の生活をした時、ウパカルの心にも「どうせネパール人では無理だ」いう言葉がよぎった時があった。さらには「ネパールの中でも自分は低いカーストなのだ」と思ってしまったことも度々だった。
 生まれた場所や、育った環境で、人生が決まってしまう。苦しい環境にいると、そんな気持ちになりがちだ。だが、そんな感情からは何も生まれないし、それは事実ではない。人と人は、対等なのだ。人と人との関係に、国や、人種や、育ちや、学歴など関係ない。
 そんな当たり前のことを考えられなくなってしまうのは、ネパールにまともな教育がないからだ。牢屋のように窓が小さく汚い教室、ぼろぼろの机と椅子、給食もでない昼休み。そんな環境では、逆に「自分達はレベルが低いのだ」とネガティブな気持ちを植え付けられているようなものだ...。

故郷の子どもたちにお弁当箱をプレゼント故郷の子どもたちにお弁当箱をプレゼント

お弁当箱をもらった故郷の子どもたちお弁当箱をもらった故郷の子どもたち

久しぶりのヒマラヤの空気を感じる久しぶりのヒマラヤの空気を感じる

写真 ウパカル 文責 大石昭弘

野口健が理事長を務める認定NPO法人ピーク・エイドでは、ネパールポカラ村の小学校支援を行っています。

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