2006年マナスル清掃登山の最近のブログ記事

  マナスル・富士山同時清掃登山が無事に終了した。一ヵ月半に及んだ活動を終え、帰国したが、憧れのマナスルは想像以上に過酷だった。ヒマラヤ山系の中でも降雪量が最も多いマナスル。出発前から雪崩の危険性は指摘されていた。想定していたもののマナスルの大雪は想像を遥かに超えた。ベースキャンプでの積雪量は 2 メートルを超え、この辺りにゴミがあるだろうと推測しスコップで雪を掘り続ける。その光景はまるで雪崩の救助活動のようだった。ある時には 20 人で 2 時間以上掘り続けチョコレートの包み紙一枚ということもあった。ごみがあるのは分かっていながら回収できないもどかしさ。そんな日々が続いた頃、シェルパの一人が雪の中からまとまったごみを発見し、その瞬間の彼のまるで井戸水を掘りあてた砂漠の民のような喜びに満ちた顔に皆が爆笑。ゴミ拾いというよりもゴミ捜索だった。

 ヒマラヤ遠征は 30 回を超えたが、年々ヒマラヤの様子がおかしくなっている。驚いたのが 4 月中旬にヒマラヤの高所でありながら、みぞれが降り、 5 月中旬にはほとんど雨になった。そして雪崩の音がいつまでも鳴りやまない。乾期であるにもかかわらず雨が降ったり、急激に氷河起きたりと、ヒマラヤの異変に気がついていたが、ここまでくるともはや「異変」ではなく「変化」の段階だろう。モンスーン(雨季)も例年より 3 週間も早くシェルパ達も「こんなことは始めてだ」と驚いていた。

 日本でも地球温暖化といった言葉はよく耳にするが、そこには危機感やリアリティーなどない。しかし、このマナスルで雪崩と共に過ごしていると温暖化の恐怖を骨の髄から味わう。マナスルでゴミを拾いながらもその先にもっと大きな問題を抱えている地球の姿を見た。

 雪崩が相次ぐ状況下では総勢 15 人もの命を預かる隊長としては眠れない夜が続いた。ゴミを拾いに来て自らがゴミになるわけにはいかない。ヒマラヤのような現場では判断はいつでも難しいが、 5 月中旬に清掃活動をマナスル上部からベースキャンプ周辺に移した。エベレスト清掃活動では7トン以上ものゴミを回収してきたがマナスルでは 222 キロ。けっして満足のいく結果ではなかったが嬉しい出来事もあった。

 1つは同時に行った富士山清掃活動。女優の若村麻由美隊長を先頭に約200人が集まり約 3 トンものゴミを回収した。マナスル清掃隊と富士山清掃隊が衛星通信を使って生中継を行い互いの活動を報告しあった。若村隊長から伝わってくる富士山を綺麗にしたいという気迫が嬉しかったし、ゴールデンウィークでありながら沖縄や北海道といった遠方からも多くの参加者が駆けつけてくださったことは大きな励みになった。

 そして谷口ケイさんが我が清掃隊のもう1つの目標であった代表してマナスルに登頂してくれた。彼女の登頂の知らせをベースキャンプで徹夜待機しながら待っていたその時に「けんさん、マナスルに登ったよ」とのケイさんの声が無線機から聞こえてきたときは感動のあまり涙がでた。

 そして最後に清掃活動を終えマナスル山麓のサマ村に戻ったら村のあちらこちらに手作りの日の丸が掲げられ、村人約150人が広場に集まり「日本人が私の山をきれいにしてくれた。次は我々の番だ!」との掛け声でサマ村の一斉清掃活動が行われた。清掃活動を始めて行う村人にとってはなにがゴミなのか分からない。一生懸命拾ってくれるのだが、よく見ると牛の糞をゴミ袋に入れていた。ガーデニングじゃないんだからそれは回収しなくていいと説明しても、理解するのに時間がかかった。それでも汗を流しながら必死にゴミを拾ってくれ、半日で 5 トン強の回収に成功。カトマンズでの会見でサマ村の代表が「日本人のマナスル初登頂は日本社会に大きな夢を与えたと聞いた。それから 50 年、今度は日本人がマナスル清掃活動を行い私達に夢を与えてくれた。これからはごみの日をつくり毎月清掃活動をする」と発表してくれた。

 エベレストや富士山などでゴミを回収して 6 年目になるが、気がついたのが環境教育の必要性だ。ゴミを拾うだけではゴミは無くならない。罰則などの強化も必要だが、それだけでもイタチごっこ。どうすれば新たなゴミが出ないようになるのか、大切なのは地元の人々の環境問題に対する意識だ。マナスル活動でサマ村の人々が動いてくれたことが、マナスル清掃活動に命を懸けてきた私達への何よりものプレゼントであった。 

マナスル・富士山同時清掃登山報告会

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  マナスル・富士山同時清掃活動の報告会を行いました。報告をしながらちょうど昨年の今頃、このプロジェクトの発表をしていた事を思い、宣言した事をやり遂げられた充実感、また責任を果たせほっとしていました。しかし、またまた来年の計画を発表(ヒマラヤでの清掃キャラバン・詳しくはHPの「野口健ニュース」で発表します)してしまい、今日から次の目標に向かって進まなければならず、いやはや、いつになったノンビリできるのかなぁ~と、 ただ、目標を持って走れるだけ幸せものでもあると、自身を説得しながら次に頭を切り替えます。とにかく、続けることですね。
 それにしてもどうしてすぐに次の計画を発表してしまうのかな・・・。もう少し時間をおいてからでもいいものですが、たぶんそれをやってしまうと、ズルズルと怠けてしまう性格であることをよ~く自覚しているんでしょうね。
 いつでもそうであったようになんの根拠もなく発表ありきなんですよね。発表してから、慌ててそれに向かっていくような、まあそんなものです。こんな調子ですが、ただ一番マジかよ!と思っているのは間違いなくスタッフでしょう!頑張って!とまた来年の今頃、報告会を行い、とっ、同時に次の新たな計画を発表している自分の姿が想像できるだけに怖い・・・。そんな感じで、ただ発言したことは必ず実現させますので、これからも応援よろしくお願いします。

日本帰国!

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午前6時、成田に着きました。やっと帰国!帰ってきたぁ~ このマナスル清掃登山も永かった。明日、NHKの「おはよう日本」で午前7時10分過ぎ辺りに自宅から
生中継しますので、もしよかったらご覧くださいね。
 夕方から近所の温泉に入ってきましたが、全身の力が抜けてグタグタ。今日はもう寝ます。やっとゆっくりと眠れます。やはり日本はいいですね。帰ってこれてよかった。おやすみなさい。

 5月28日、小西さんとマナスルに残って登山を続けていたオーストラリア人女性登山家のスーさんがマナスル登頂後に山頂直下のクレパスに転落し遭難。彼女のシェルパが転落したクレパスに向かって彼女の名前を読んだが返事がなかったとのこと。シェルパ一人では救助も行うこともできず安否を確認できないまま下山。最終キャンプからの無線連絡で彼女の遭難は伝えられたが、マナスルに残っているのは小西さんとそのシェルパ達だけ。小西さんはすでにマナスル登頂を断念しベースキャンプへと下っていた。スーさんの安否は確認されないまま救助活動も行われることなく今春、マナスルに挑戦していた登山隊は全てがその活動を終了。なんとも悲しく後味の悪い結末であった。

 スーさんのクレパス転落をカトマンズで聞かされた時に、状況からして救助活動が不可能であることを知り、極めて不謹慎ながら彼女の「即死」を願っていた。8000mを超えた高所であり、単独での脱出は極めてありえない状況で、また無傷であることもないだろうと推測する中で、仮に彼女がクレパスの底で生存しながら、けっしてやってこない救助を待っていたとしたら、それこそ残酷で可愛そうでならない。

 あくまでも結果論でしかないが、彼女のマナスルアタックは遅すぎた。谷口ケイさんやグルジア人登山家のギーアが登頂した頃は多くの登山隊が集中していた。もし、その頃の遭難ならば救助活動が行えたかもしれない。そしてシェルパの話では5月下旬はすでに登山シーズンを終えており、高温の為にクレパスが緩み滑落しやすくなるとのこと。谷口さんのアタック時もすべに至る所でクレパスが開いておりロープを使用したとのこと。エベレスト世界最短時間で登頂したペンバ・ドルジ・シェルパが「スーのアタックは時期が遅すぎた。氷河が緩んでいたのだろう」と語っていた。登山は他のスポーツと違い小さなミスでも時に命を失う。取り返しがつかないのだ。念願のマナスルに登頂しながら、その直後の遭難はとても残念であり、またもったいない。ロープさえ繋いでいたら、と思ってみても今となっては全てが遅い。私達ができる事は遭難事故を繰り返さないことだ。これからも安全管理を徹底して行なっていきたい。スーさん、素敵な笑顔をありがとう。そして安らかにお休みください。さようなら。

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 5月29日、野口はカトマンズ市の運営しているゴミの処分場を見学してきました。

 この処分場は、日本の JICA (国際協力機構)の協力の下、福岡方式と呼ばれることもある準好気性埋立方式を取り入れた埋立処分を行っています。プラスチックや紙類の多い日本のゴミと違い、カトマンズのゴミは 7 割が生ゴミなので、焼却方式でゴミを処理してしまうとコストやダイオキシンなどの様々な面で問題が起きてしまいます。そこで、ゴミを地中に埋め、そこに縦横にパイプを通して空気を入れることで溜まったガスや汚水を抜き、ごみが分解されやすいようにする、準好気性埋立システムが導入されました。現在ある最終処分場は、カトマンズ市内から 300 トン、郊外を入れると 380 トンものゴミが毎日運ばれてきます。そのため、この処分場はあと 3 年もすればいっぱいになり、つぎの処分場へとゴミが運び込まれることになります。なお、このごみの輸送能力強化のため、日本はノンプロジェクト無償資金協力で大型のごみ輸送車の供与も行なっています。

 1980 年代から、ドイツがコンポストを利用したゴミの処理法を導入しようと試みましたが、この時は臭いの問題などで地元住民とのコミュニケーションがうまく行かず、頓挫してしまいました。ドイツの場合、ハード面の整備はしましたが、地元住民への啓蒙活動や技術の養成などを行ってこなかったため、撤退後のネパールには何も残されませんでした。その点 JICA は、学校での環境教育や北九州市でのカウンターパートの研修、地元住民への啓蒙活動を積極的に推し進めており、 JICA 撤退後も運営できるシステム作りを目指しています。

 野口は「エベレストやマナスルの清掃でもそうだったように、地元の参加が最も大切。ごみ焼却施設や最終処分場がなかったネパールでは、ゴミの処分方法が最大の課題であった。 JICA の地道な努力は次に繋がるっていくだろう。この最終処分場も後 3 年で満杯になる。その次をどうするのか。日本政府の継続的な援助(特に技術協力)を期待するが、しかしネパールに限らず発展途上国は援助なれしている。一方的に援助するだけではけっしてネパールのためにはならない。最終的には彼らが自立できるようなシステムにしなければならない。その為にも技術、ソフト面をいかに定着させていくかが今後の大きなテーマだろう。特にゴミなどの環境問題は意識改革が必要。今後とも JICA の活動を応援し、また彼らの活動を伝えていきたい。それにしても現場の世界は大変だ。情熱がなければとてもできない。頭が下がります」と語っていました。

 5月26日、午前11時。 カトマンズ市内のマッラホテルで、4月14日から5月24日まで行われた「野口健マナスル清掃登山」の記者会見を行いました。会見会場には、ネパールのテレビ局、新聞記者、海外のメディア等から30名ほどが足を運びました。

 会見に先立ち、マナスルベースキャンプでの清掃・谷口ケイ登頂・サマ村清掃の模様を映したビデオをながし、実際の現場の雰囲気を感じとってもらいました。ビデオで、谷口ケイさんがマナスル山頂において日の丸を掲げるシーンでは盛大な拍手が会場の中に湧き起こり、サマ村の清掃で村人が薪とゴミとの区別がつかず捨てようとしているシーンでは、笑いが起こりました。

【野口隊長の話】

・4年間のエベレスト清掃が終わったとき、肉体的にもとてもハードなことだったし、シェルパ3人の犠牲やそのほかたくさんの犠牲を払ってやってきたので、もうやらないと思っていた。そんな時シェルパ達に、エベレストだけではなくネパール全体が汚い。我々もやるからやろう、と言われ、やろうと思った。

・今から50年前、日本は戦争に負けて国全体の自信がなかった。そんな時、8000m峰であるマナスルに日本人が初登頂し、大きな勇気をみんなに与えた。マナスルは日本人にとって、そんな山だと知った。

・マナスルは非常に雪の多い山ですが、4月の終わりなのに気温の上昇のせいで水のような雪がたくさん降る。何回もヒマラヤに来ると、身体で温暖化を感じる。このことを伝える使命を感じた。南太平洋に浮かぶ「ツバル」という国は、温暖化による海面の上昇で消滅の危機にある。海面の上昇には、どんどんと溶けていく氷河も関係しているので、氷河のあるネパールはその国のように、地球温暖化を訴えられる国でもあるのです。



・今回一番嬉しかったことは、サマ村の人々が話をすることで我々の考えを受け入れてくれ、積極的に清掃に取り組んでくれたこと。地元の人たちがやる気を持って取り組んでくれたことが本当に嬉しい。

・このことをヒントに、山から村へと下りて行きたいと思う。ルクラからナムチェ・クムジュンへとクリーニング・キャラバンを行いたい。それをやる上で大事なのは、システム整備と環境教育。学校等で環境教育を行いそこから村全体へと広げていきたい。

・田部井淳子さんと、サマ村でマナスル・ファンデーションを作ろうという話をした。教育に主眼を置いた基金。50周年のこの年に、パーティのような形だけのことではなく中身のあることをしたい。ヒラリーは学校や診療所を作ったりしてクンブエリアの発展のために尽くして来た。日本人はこの50年間、なにもしてこなかったので、次に繋がるような中身のあることをしていきたい。

・トイレに関しては、システムを早急に作る必要がある。エベレストにはシステムがあるが、ヒマラヤのほかの山には全くシステムがないので、氷河の中にうんちが埋まっている状況だ。氷河にはバクテリアがいないので、分解されずにそのまま残ってしまう。それが少しずつ溶け出し川に流れていったものを、村人が飲むことになる。登山隊は入山料をたくさん払っている。その中から、ネパール政府はトイレのシステムを作って欲しい。

【サマ村代表:ビル・バードルの言葉】

・ 50年前、日本人の登山家が我々の村にやってきて成し得たことが当時の日本人に大変な勇気を与えたように、50年後の今、再びやってきた日本人が、今度は我々に大きな勇気を与えてくれました。

【質疑応答】
エベレストの清掃後、アジアの国々の環境に対する意識に変化はあったのか?

特に変わったのは、韓国隊。昔はゴミに対して無頓着だったのが、現在は清掃隊まであるほど。
日本隊もここ4~5年は大きく変わっている。中国隊は、まだまだこれからだという感じがします。

環境教育のシステムを作ることに関して、政府との協議は?

政府側には、これから提案をしていく段階。ただ、その前に自分たちに何ができるのかを考えて欲しい。富士山でもそうだったが、ローカルなところでできることはやる。そこから政府に提案をしていったほうが早いこともある。

エベレスト4回の清掃で、どれくらいのゴミを回収したのか?

約7,7トン

今回、50年前の日本のゴミはあったのか。また目立った国のゴミは?

50年前のゴミは見つからなかった。
目立ったのは、韓国・日本・ヨーロッパ。ただし、缶などは錆びてどこの国のものか判別できないものが多かった。また、ベースキャンプからポーターが荷物を上げ下げした時に食べたものや落としていったものも多かった。

【会見に先立ち】

サマ村にある唯一の学校、ガウリ・シャンカール・スクールは、通学制にすると親が子供を働かせてしまい学校に来られないことがあるため、全寮制の学校です。この学校では現在、5歳から15歳の生徒26名が学んでいます。会見をした校長のビル・バードルと村の若いお坊さんは、村を変えていくためには子供達への教育が必要だと考え、昨年、今までの学校を新しい制度にして再開校しました。彼らの村を変えたいという一生懸命な思いに打たれ、サマ村を去る前に野口はこの学校に米2トン、そしてノートや鉛筆、教科書などの大量の文房具を寄付しました。

5月27日 ベースキャンプ・マネージャー 阿久津千尋

 5月27日、野口の行っているシェルパ基金(シェルパ遺児の教育)の子供達が学んでいるマウント・カエラス・スクールへ行きました。

 午前の授業を見学し、午後は子供達とカトマンズ市内の動物園へ行きました。

 野口はいつもヒマラヤから下りてくると、子供達と交流をします。昨年は、エベレストの見える丘に行きました。今年、新たに一名の遺児が加わりました。野口は「最初、入って来るときはみんな固いけど、一年も経つと目が生き生きとしている」と語っていました。

5 月 27 日 ベースキャンプ・マネージャー 阿久津千尋

サマ村の歓迎会

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: サマ村での清掃活動を終え、夕方から盛大な歓迎会を開いてくださった。村人との懇親会が行われたり、また小学生達が踊りを披露してくださった。この小学生の踊りがまた見事で、飽きることなく見入ってしまった。今までヒマラヤ清掃活動を続けてきたが、これほどまで我々の活動に反応してくれた地元はなかった。エベレスト初登頂したヒラリー卿は、登頂以来、一貫してエベレスト麓のシェルパの村々で学校や診療所を作ったり、また植林活動を続けてきた。

 おかげで、シェルパ達の生活水準も高くなった。ヒラリー卿の凄さが最近になって始めて分かったような気がする。それに比べて私達はどうだろうか。ヒマラヤの恩恵は受けながらどれだけ恩返しをしてきただろうか。子供達の踊りを見ながら、これからもサマ村と関わり続けたいと思ったし、またその責務もあるだろうと感じていた。ヒマラヤの清掃活動からそろそろ里での活動に移る時期が来たことを実感していた。

 

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