家族に関する記事です
撮影 野口哲也(写真をクリックしたら大きくなります) 今朝、胴体着陸した全日空機に私の兄貴が乗っていました。携帯メールに兄貴から「心配かけましたが無事です」と連絡頂き、ホッとしました。機内から脱出した兄貴には取材が殺到し...
1月26日から来日していた生みの母、モナは31日に帰国。24年間ぶりの日本滞在5日間は確かに短かったけれど、でもその分だけ濃い5日間でした。孫の絵子さんとの初対面。絵子さんを抱きしめながら「これでやっと私はおばあちゃんにな...
1月26日、母、野口モナが24年ぶりに来日。僕自身は8年ぶりの再会。成田の空港でかあちゃんがゲートから出てくるまでは、とても緊張した。実の母でありながら、色々な思いがあっただけに再会が実現するまではドキドキ。しかし、いざ会...
今日は八ヶ岳の麓、諏訪のセイコーエプソンの工場にて講演。僕の初登頂は15歳の時の八ヶ岳。それ以来、八ヶ岳には通っています。講演前に八ヶ岳連邦を眺めてきましたが、雪が少なかった。お陰でスキー場は大打撃。ただ、この間までいたヒ...
11月24日、母・容子が亡くなった。がんを宣告されてから闘病生活が続いていた。一時、歩けないほど症状が悪化したものの、つらいリハビリを必死にこなし階段を上れるようになった。担当医師もその驚異的な回復力は1000人に一人だ...
胃カメラ、もうしばらくはいいです。オエェ~と大声だしていたようです。あまりにももがくので鎮痛剤や意識を朦朧とさせる注射を打って頂き、後半はほとんど記憶にありませんが、いや~なかなか過酷なものです。ただ、お医者さんや看護婦さ...
昨日、母の葬儀が行なわれました。多くの方々から頂きました供花が母を囲みお花が好きでした母はさぞかし喜んだことでしょう。京都での葬儀であるにも関わらず遠くから参列してくださった方々本当にありがとうございました。富士山クラブの...
11月24日、23時10分、母、野口容子(55)が永眠されました。心停止してからも何度も何度もまた心臓が動きはじめ、やはり母は最後まで強かった。癌を宣告されてから約3年。宣告された時には余命半年だとか言われていましたが、そ...
今日は京都入り。退院していた母が再び入院。今日は入院中の母のお見舞いに伺いましたが、もうろうとする意識の中で必死に話しかけてくる母の姿に声が出なかった。言葉はほとんど聞き取れなかったけれど、しかし、一生懸命、厳しい状況の中...
伊豆の伊藤のホテルに一週間ほどこもり執筆活動を行い、またプールなどで泳いだり筋トレなどのトレーニングを行なってきました。最後のほうに、前回の断食中と同じように、またまた突然、かみさんが娘を連れてやってきた。どうやら、また疑...