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 「マータイさんとの出会い」

 2004年、アフリカ人女性として初めてワンガリ・マータイさんがノーベル平和賞を受賞した。私のマータイさんへのイメージは「植林活動をしている黒人のおばさん」、だけだった。特にノーベル平和賞はその参考基準が極めて曖昧で政治的な香りがするもので、最初から黒人女性を探していたとの噂があったほどだ。なんとなく胡散臭いなぁ〜と感じていたほど関心がなかった。

 しかし、それが今年の3月にマータイさんが来日することとなり、マータイさんの希望ということで、突然、私とのトークショーが急遽セッティングされてしまった。私は焦って彼女のことを調べようとしたものの日本には彼女の紹介する文献もなかった。それならばと、実際に彼女が活動しているアフリカに飛んでみようと、今年の1月に慌しく日本を発った。やはり私もなんだかんだ言ってノーベル賞という肩書きには弱かったようです。



  ケニアに訪れてみて私のマータイさんへの印象がガラリと変わった。彼女が始めたグリーンベルト運動とは農村部の女性たちを集め、すでに3000万の木を植えている。私はこの農村部の女性たちに会ってきた。「何度も警察に捕まって殴られて、殺されかけてそれでもマータイさんは逃げなかったのよ」、この発言に「えっ」と驚き、環境問題に取り組んでいて何故、警察に捕まるの?」と細かく聞いてみれば、「多くの戦争は資源をめぐって起こるもの。そして地球の資源は乏しくなる一方。資源をサスティナブル(持続可能)にうまく管理できれば、資源をめぐる争いが減るでしょう」とマータイさんの言葉を紹介してくれた。マータイさんは地球環境のために植林をしているのではなく、人々の争いごとを無くすために植林をしているのだという。

  以前、ケニアは永い間、独裁政権によって国が管理されてきた。そのモイ独裁政権下ではその資源が独裁者の利益のために乱用され大量伐採で森が砂漠化していった。そして森の大半を失った人々は木材をめぐって争いを繰り返すようになったとのこと。危機感を抱いたマータイさんは旦那(後に離婚する)がモイ政権の官僚であるにも関わらず独裁政権打倒を叫び、これ以上紛争を繰り返さないために植林活動をスタートさせたのだった。そして逮捕され棒で殴られ、全身が腫上った彼女がタンカで運ばれている写真を見せられたたが、それでも彼女は逃げなかったのだ。彼女の命を賭けた闘いであったが、そんなマータイさんを農婦たちが支えた。「私たちのような貧しい人でも社会のためになにかが出来るんだとマータイさんが教えてくれた。



  だから私達もマータイを支えるのよ」と語る彼女たちの表情は生き生きとしていた。マータイさんが活動を起こしてから30年。すでにモイ独裁政権は崩れ民主国家が誕生しマータイさんは国会議員となり、現在では環境副大臣として環境問題の大切さをアフリカ諸国に訴えている。彼女もような現場を知りつくした人が国政の場で環境行政をひっぱる。素晴らしいことです。また援助なれし、自助努力が薄れつつある発展途上国の代表でもあるアフリカ諸国から「自分達でできることはやる!」といったマータイさんのスタンスに他の発展途上国の方々も見習ってほしい。
 
 私自身、富士山の清掃活動を行っているが、特に樹海は産廃業者の餌食となっている。不法投棄撲滅作戦を展開しているが、彼らの多くは反社会的な暴力的な輩が多い。富士山がらみなのか分からないが、その頃から嫌がらせが相次いだ。引っ越したことさえある。正直、何度か弱気になったことがある。3月のマータイさんとのトークショーを無事に終え、別れ際にマータイさんが「あなたの富士山でのことは聞いています。私が貴方を守る。私も富士山の掃除に参加するわ」といって力強く抱き寄せてくれた。命を賭けて闘ってきた人に共通して感じられる強さと優しさが同時に伝わってきた。その温かさにポロリと涙が流れた。マータイさんとの出会いに勇気づけられ、俺も負けないぞ!と決意を新たにしたものです。