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私が遺骨調査を続けるわけ 

  10月17日、遺骨調査(主催・空援隊)のためにフィリピン・レイテ島へ向かうべく日本出国。3月に引き続き遺骨調査隊に参加するのはこれで2回目。フィリピンでの遺骨調査はリスクだらけだ。極めて治安が悪く我々は主にジャングルを歩き続けるのだが、山賊の生息地?である。またコブラ、マラリア蚊など、また地形的にも洞窟内、また崖登りといった危険地帯、そして蒸し風呂のような灼熱地獄、どれをとっても肉体的、また精神的に極めて過酷である。

 しかし、私たちには続けなければならないわけがある。それは遺骨調査を行った事で知ってしまった事があまりにも大きい。洞窟の中で未だに野ざらしになっている数々の御遺骨の存在、そして日本という私たちの祖国が、日本のために亡くなっていった日本人に対する冷たい仕打ちである。無理やり戦地に連れて行かされ、死ぬ事を強要しておきながら、亡くなった後はほったらかし。死ぬハードルがあれだけ低かったのに、たった1つしかない命を捧げ御遺骨になった後ですら、祖国に帰るハードルがあまりにも高すぎる。国の為に命を捧げた方々を粗末にすれば、その国はいずれ滅びると私は考える。そんな国のために誰が命を賭けて守ろうとするのだろうか。いずれにせよ、私は知らなかった現実を知ってしまった。故にこの活動はどんな事が起ころうとも、やらなければならないのである。

 前回はセブ島、ボホール島、ネグロス島での調査。約250体以上もの日本兵と思われる御遺骨を発見。帰国後、調査結果を厚生労働省に提出し、その報告を受けた厚労省は6月に空援隊と共に遺骨収集隊を現地に派遣したが、彼らが収集したのは20体にも満たなかった。御遺骨の鑑定士が一人しか同行しておらず、爆弾等で自爆しバラバラに飛び散っている遺骨の鑑定は極めて困難であった。洞窟内での大量な御遺骨(米兵は洞窟内で集団自決していない)、また日本兵の物と思われる遺留品などの状況判断によって収集すべきであるが、厚労省はあくまでも御遺骨の鑑定にこだわる。
 
  しかし、専門家に話を聞けば「バラバラになった御遺骨からこれが日本人、これはフィリピン人と分けるのは事実上不可能に近い。日本人は単一民族ではない。中国系、韓国系、またロシア系がすでに溶け込んでいる。したがって日本人の骨格も様々です。野口さんも日本人ですが、混血ですよね。野口さんの頭の形は西洋人に近いでしょう」とのこと。厚労省はあくまでも遺骨の鑑定に拘るが、これではいくら遺骨を発見しても帰国できるのはごく一部となってしまう。

 海外戦没者の数は240万人。このうち祖国に戻れていないのが115万人。ジャーナリストの笹幸恵さんの報告(諸君!9月号)によれば「残存遺骨の内訳は艦艇ごと沈んでいる海没遺骨が30万。残る内訳は、宗教上の理由や中国大陸などの相手の事情により収集できない遺骨が26万。これらの遺骨を除いた収集可能な遺骨は59万」となり、ここ数年間の厚生省による遺骨収集数は年平均600〜700柱であり、このままのスピードでは収集可能な59万人が帰国できるのにあくまで計算上で、ざっと800年以上かかることになるわけです。

 「あくまで計算上」と表現したのは、遺骨調査の時に最も重要なのが情報収集。特に日本兵と闘ったフィリピンゲリラからの証言は貴重だ。しかし、既に80歳を超えた高齢者だ。不適切な表現かもしれないが残された時間はけっして永くない。また遺骨も時間の経過ともに腐り土に戻る。したがって時間がたてばその分だけ収集出来なくなるのは明らかであり、故に先ほどの800年は「あくまで計算上」なのだ。

 そもそも国の遺骨収集は昭和27年から始まって、第三次遺骨調査が終わった昭和48年頃に打ち切りとした。今では「遺族会」「戦友会」や「空援隊」などが調査を行い情報が入れば厚生省も遺骨収集は行うが、遺骨調査活動の大半は民間任せであり、厚生省が単独で遺骨調査を行っていないのが実情だ。
 
  先日、東條秀樹首相のお孫さんであり、またパラオで遺骨調査活動を行ってきた東條由布子さん(NPO法人環境保全機構・理事長)と対談させて頂いたが、東條さんが
「野口さん、いまだにこれだけ遺骨が残されているのに厚生省はなぜ打ち切ったか分かりますか?厚生省は骨を数える時に、頭がい骨一個で一柱、両腕で二柱、両足で二柱と数えるんです。となると1人分で五柱になってしまうから、あっという間に予定数に達したということなんでしょうね。だから打ち切りになったことに怒った民間の団体が直後から活動を始めたのですが、日本への持ち込みは民間には許されていません。それどころか、厚生省が「遺骨収集は終わった」としているところへ「まだここにもあるぞ」という情報が入ると困るのか、民間の活動を邪魔したり、向こうの大使館(現地にある日本大使館のこと)に「活動させないように」と連絡が入り、「骨を触ったら逮捕する」と言われたこともあるくらいです。野口さん、これからが大変ですよ。本当に・・・。でも野口さんのような若者が立ち上がったことが嬉しい」と打ち明けてくださったが、何故彼女がここまで追い詰められなければならなかったのか、東條さんの言葉の1つ1つがとても重たく、そして改めて厚生省、外務省を始めとした日本という国の冷たさを痛感していた。

東條由布子さんと

 これもまた祖国の姿であると思えば、怒りよりも、それは寂しさであり、胸にぽっかりと穴が空いてしまったような虚脱感に襲われた。国は北鮮に拉致された日本人にも冷たい。今現在、生きているであろう方々に対して冷たいのだから、遺骨となった英霊にはもっと冷たいのであろう。
 
  私が行っている環境問題もそうであるが、「知ってしまう」ということは「背負ってしまう」ということである。私の両肩の荷がグッと重たくなり、時に押し潰れそうになる。それでも続けていくしかないのだ。「知ってしまう」という事は時に酷である。