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「選挙」と「投票」について

「選挙権剥奪??」

この随筆のテーマである「選挙」や「投票」ということに関して、私がはじめて強く意識したのは、15歳の頃である。私は、父の仕事の関係で、中学生から高校生までの6年間を、立教英国学院という英国にある全寮制の学校で過ごした。ここでの英国風の教育は、後の私の人生に大きな影響を与えた。当時、勉強もロクにせずに、フラフラしている私に、学校側は徹底的に厳しい対応をした。高校進学が目前に迫ると、クラブ活動も禁止され、それまではのんびりとしていた同級生の目が勉強に向いてくると、私は級友たちとあまりにも大きな学力の差をあらためて痛感した。

なんといっても中学2年生のときは、クラスでビリ。中学3年生のときは、なんと学年でビリというどん底の成績だった。勉強はどんどん難しくなっていて、もはや追いつけない。さすがにあせりを感じていた。そんなある日、教室に行くと、私の机の上に、他校の学校案内パンフレットがあった。立教英国学院は、中学から高校へは、エスカレーター式で進学でき、進学受験は一応あるが、たいていの生徒はそのまま高校へと進学するという状況だった。しかし、私の場合は、あまりにも成績が悪いため、よそに行けということだった。ショックだった。

最終的には、職員会議を経て、「仮進級」という形での高校進学となった。当時は、「仮進級」といわれても、いまいちピンとこない。結局、ちゃんと高校へ進学できるわけで、ただの脅しだろうと高をくくっていた。ところが実際に高校に進学してみると、これが脅しどころの騒ぎではなかった。放課後は、担任と一緒に謹慎部屋のようなところにこもり、ひたすら勉強。さらに、放課後のクラブ活動の禁止、文化祭等の学内活動の制限、また、優等生の彼女との交際には「兵隊がお姫様を好きになるようなものだ」と猛反対される始末。私も彼女も謹慎処分を命じられた事もあった。さらに、生徒会の立候補等の選挙権にいたっては、選挙権剥奪となった。みなが持っている権利が自分にはない。このことはとてもショックだった。

ただ、誤解のないようにしたいが、落ちこぼれであった私相手に先生方は本気で接してくださった。逃げ場を与えず、厳しく接して頂いたからこそ、その中で自分自身を見つめ、自らが自身の歩むべき方向性を見つけだせた。仮に、学校側が私に対して過保護に接していたならば、恐らく弱い自分へと逃げていたに違いない。

今回、この随筆を書くにあたり、ふと思い出した懐かしいエピソードである。ヒマラヤをはじめ仕事柄、海外への遠征が多いが、可能な限り、投票には行くようにしている。その根幹には、この高校時代のエピソードが強く影響しているのかも知れない。あって当たり前の権利は、なくしてみて初めてその重みがわかるものである。

「政治の力」

そんな私は、投票に限らず、選挙応援にも積極的にかかわっている。25歳で念願かなってエベレストの登頂に成功し、翌年からエベレストならびに富士山の清掃活動を開始した。また、環境教育の普及を目指した「野口健・環境学校」の開校やヒマラヤ登山のサポートをしてくれるシェルパ族の遺児への支援を行う「シェルパ基金」の設立、さらに近年では、第二次世界大戦において亡くなられた旧日本兵の御遺骨収集など様々な活動をさせていただいている。純粋に山に登ってきた25歳までの10年間と異なり、25歳から現在にいたるまでの活動は、社会的な活動であり、自分ひとりではどうにもならず、多くの方々の力が必要となる。

たとえば、富士山の清掃活動に関しては、清掃活動現場を取り仕切ってくれているNPO法人をはじめ、ボランティア参加者を募ってくれるメディア、活動に協賛してくださる企業、さらには収集したごみの処分を行う行政など多様な主体が関係してくる。今では、毎週のようにスムーズに行われているこの富士山の清掃活動であるが、当初は、なかなかうまくいかなった。
ひとつに、ごみの処理の問題がある。富士山は広大であり、関係する団体が非常に多い。国立公園の監督官庁である環境省をはじめ、山梨県、富士吉田市、富士河口湖町、身延町、西桂町、鳴沢村、山中湖村、忍野村、静岡県、富士市、富士宮市、御殿場市、裾野市、小山町があり、2県5市4町3村にまたがっている。そのためある場所で回収したごみの処理を自治体にお願いしても、「これは私たちのごみではない」、「隣の自治体ではないですかね」といった反応がかえってくることがしばしばだった。このような状況の打開に際して、大きく作用したのが、政治の力だったりした。

またこんなこともあった。私は仕事柄、国内外の国立公園を訪れる機会に恵まれ、常々、我が国の国立公園の担当官であるレンジャーの数の少なさに危惧を抱いていた。当時、東京都のエコツーリズム(観光振興と環境保護の両立を図る旅行のあり方)の推進に関する委員会で委員をしていたため、会議の中で、東京都の自然は東京都が守るというコンセプトで、地方自治体独自のレンジャー制度を立ち上げるべきだと訴えていたが、なかなか実現には至らなかった。

そんなときに、偶然、石原慎太郎東京都知事と直接お話しする機会に恵まれた。私は、ここぞとばかりに、上述したレンジャー制度の実現を訴えた。すると翌日に石原知事が「東京都レンジャー制度」の立ち上げをマスコミの前で発表してしまったのだ。その後、このレンジャー制度は国や他の自治体へも波及し、我が国の自然保護体制の強化につながっている。このことを機に私は、現場で感じたことをまとめ、一種の政策提言のような形で様々な政治家の方々へ多様な訴えを行っている。

富士山清掃や環境省のレンジャー制度の拡充に関しては、小池百合子環境大臣(当時)に大きな力をいただいた。またあらたに取り組みはじめた遺骨収集事業に関しては、超党派の形で、様々な政党の方々にご協力をいただいた。結果、停滞していた遺骨収集事業は大きく前進を見せ始めている。

「日本にとって誰が必要なのか」

近年の選挙をみるに、「やれ自民党だ!」とか「民主党だ!」といった争いにのみ収斂してしまい、私は正直それに疑問を感じている。確かに選挙とは政権選択が国民に求められるのだから、特に二大政党化していけばその要素も高まるのでしょう。しかし、私は政党を見ると同時に、それ以上に候補者個人を見たい。日本にとって誰が必要なのか、まさにそのポイントが重要だと感じている。

結局、与党も野党も両方必要であり、特に二大政党となり、アメリカのように定期的に政権が変わるようになるのであれば、どちらにも確かな政権担当能力が求められる。そのため両党に力のある議員が必要となる。ゆえにこそ、私は候補者に目もくれないで「やれ自民党だ!」、「やれ!民主党だ!」といったブームによって大きく左右される最近の選挙事情に違和感を覚える。

偉そうに意見させて頂きましたが、候補者個人に関心を待たず、その時に吹いた風のままに有権者が判断を下すという事態がこのまま定着してしまえば、今後まともな政治家が育つわけがない。また地道に取り組んできた事がまったく評価されない社会になってしまえば、それこそ日本丸が傾いてしまう。

「日本にとって誰が必要なのか」

私はそのポイントに敏感でありたい。候補者個人が「何をやってきたのか」、「これから何をやりたいのか」、実績と今後のビジョン、そういったポイントを大事にしたい。