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「ACTIONS 8848/2001 野口・アジア チョモランマ清掃登山隊」の活動計画書の1ページ
この写真を撮る際のエピソードも橋本氏を端的に表している。年上の李さんが中央になるようにわざわざ私らの後ろを大きく迂回し、李氏の左側に立つ。「これで 李さんが真中だね!(笑)」と…。


アルピニスト「野口健」として
アルピニストの先輩「橋本龍太郎」へ


橋本龍太郎氏と始めてお会いしたのが2000年9月中旬。私はある誤解が元で、橋本氏に対し戦闘態勢で事務所に訪れたので、そうとう緊張していた。後日、橋本龍太郎氏の秘書の方から、『野口さんが怖い顔していらしたのでビックリしました。テレビの印象とは違いました」と伝えられたが、その時の私の顔には“怒り”が橋本氏に対する現れていたのだろう。今となっては笑い話だが、思い返してみれば、第一印象はお互いに最悪だったと思う。


橋本氏にお会いするまでの経緯を多少説明させてもらおうと思う。


2000年の春でのチョモランマの清掃活動出発直前に橋本龍太郎氏から一枚の絵葉書を頂いた。その内容はチョモランマのゴミを容認するかのような意味合いを感じさせ、当時の私としてはもろもろの状況を思えば橋本龍太郎氏が1つ私に釘をさしたのではないかと思ってしまったのが、冒頭の“怒り”の発端である。

橋本龍太郎氏ご本人は、1988年に「日本・中国・ネパール・チョモランマ合同隊」の総隊長を務めている。それならばと、なにがなんでも清掃活動中に、橋本隊のゴミを見つけ出し、ご本人にお届けしようと企んだ。運良く清掃活動中に、橋本隊のものであると思われるゴミを発見できたので、それを手に、臨戦体制で橋本氏の事務所を訪ねることになる。結局は私の誤解であったわけだが、何度その葉書を読み返しても私の誤解が当然の結果のように思われた。


その後、何度か橋本龍太郎氏とお会いする機会があり、お会いする度に橋本龍太郎氏の“くせ”がなんとなく見えてきた。説明が足りないときがある。最初に私宛に送られた絵葉書も内容に対して説明が無いため、私なりの解釈をしなければならなかった。


政治の世界では、揚足を取り合うの場面も多々見受けられ、この“くせ”は大いに弱点となりやすいのかもしれない。

それともうひとつ、どうしてマスコミの前になると突然その表情をかたくなにしてしまうのか。テレビや新聞等で目にする橋本氏の表情から受ける印象はなかなか庶民は近づきにくいふしがある。大げさに言えば慇懃無礼な雰囲気。しかし、実際にお会いすればまったくの別人の橋本氏がいらっしゃる。


私が怒り心頭で橋本事務所に訪れた時に話を戻そう。私は橋本氏がお見えになると間髪いれずに橋本隊の残留物であろう酸素ボンベを取り出し、「橋本隊のゴミです」と突きつけた。激しい反論を覚悟していたのだが、実際には橋本氏は真っ赤な顔で申し訳なさそうに、「確かに我が隊のものです。参りました」とおっしゃられた。

その赤面された表情は、本当に素直な姿であった。人間味を感じさせ、その瞬間から私は橋本氏のファンになったのかもしれない。


もし、酸素ボンベをお渡しした際に気を悪くされていればそれはそれで良かった。逆に気持ちよかったかもしれない。しかし、私の予想に反してその赤面された様子が本当の橋本氏の姿のように感じられた。


橋本氏とお話がはずみ、その様子を私の関係者が写真に収めているときも終始ニコニコしていらっしゃって、失礼ながらその表情は時に子供っぽさを感じてしまうほど。しかし、2人でならんで握手して記念写真となるとお決まりの憮然としたお顔になる。
これだ!と思った。

橋本氏は実は恥ずかしがりやなんじゃないか…。どうしても過剰に意識してしまうがためにかたくなになってしまうように感じられた。テレビでの橋本氏の硬い表情やコメントを見聞きする度に、一ファンの私は「なんでこうなのかな〜」と思ってしまう。

ただ、それが橋本氏の個性であり、時にバッシングの対象ともなってしまうが、それはそれで仕方がないのかもしれない。ただ、政治家である以上は国民に誤解を与えてはならい。遠い存在であってもならない。誤解が絶えないだけに残念でならない。


第一次橋本内閣の際、橋本龍太郎氏が「例え、火だるまになっても行政改革を行う」と発言された。実際には多くの自民党内部の抵抗にあい、特に郵政事業の民営化は猛反発に合った。そして参議院選での敗北。

しかし、私はまだ、橋本龍太郎氏が火だるまとなって燃えつきたとは思っていない。

2001年出発前にお会いした際の橋本龍太郎氏の表情はメラメラと燃えていた。闘志をも感じさせたオーラに私は圧倒された。「火だるまになってでも」と発言された以上、その責任を果たしていただきたい。橋本第一次内閣の敗因をも素直に受け止めて、再度日本国の為に総理となって戦って頂きたい。今度こそ、燃え尽きるまで…。

「ACTIONS 8848/2001 野口・アジア チョモランマ清掃登山隊」の活動計画書には、橋本龍太郎氏が清掃登山隊に向けて送られたのお手紙を掲載させていただいている。活動報告書はもちろん、チョモランマ清掃登山隊のPRにおいて、当時の国内全般での環境問題に対する認識の低さを一身で受け止め、悪役とも言えるお役目を快諾いただいた橋本氏。私は、男として惚れてしまったのだと思う。

アルピニスト“野口健”としてアルピニストの先輩“橋本龍太郎”を、ここチョモランマから熱く見守っていきたい。

橋本 龍太郎 ホームページ
ネパール最高の勲章授与れた橋本龍太郎氏のHP
橋本 龍太郎氏との出会い
橋本氏との出会いについてのいきさつは、毎日新聞HPで詳しく掲載されている