
英国の日本人学校の高校2年生のころ |
さっそく、山の専門誌から山岳会の案内を探し、片っ端から連絡を入れた。しかし、高校生ということで責任がとれないと、どこからも断れた。諦めかけていたとき「無名山塾のピッケルと友達になる会」というのが目に入った。名前からして閉鎖的でないように感じられ、すぐに連絡を入れる。岩崎元郎さんという、無名山塾の設立者に連絡が取れ、「高校生ですが、どうしても山に登りたいので教えて下さい」と率直にお願いしてみたら、呆気なく「すぐにおいで」という返事をもらった。
2週間後の1988年12月上旬、富士山の雪上訓練に参加した。夜中の4時頃から、馬返しという約1合自付近から歩き出したが、ヘッドランプの光のみを頼りに山道を歩くのも初めて、月の光でうっすらと浮かびあがる冨士山の雪、ドカドカと登山靴の重たい響き、重たいザック、全てが新鮮であった。
歩き方も山と平地では違うと教えられた。平地では爪先から前に出すが、山ではひざから前に出すという。また、大またでなく小またで歩かないといけない。それが疲れない歩き方だと説明を受けた。私の知らない世界が、ここでは当たり前のようにあった。
富士山の訓練では、最後は歩けない程に疲れ果てたが、それでも初めて大きな目標を持ち、自分自身で行動をおこした事が実に気持ちよかった。
その翌週には、八ケ岳に行く。雪上訓練ではなく山頂を目指した。天狗岳の頂上からは富士山、南アルプス、北アルプス全てが見渡せた。あまりの美しさに息を飲んでしまった。心の底から、山登りの魅力に取り付かれた瞬間であった。
その時、岩崎さんから、無名山塾のメンバーと正月にキリマンジャロに登りに行く事を聞いた。植村さんが猛獣を恐れながら登ったあのキリマンジャロ。たまらなくうらやましかった。その次に来年の夏、ヨーロッパのモンブランに行く計画もあると言う。
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