
キリマンジャロ頂上。高山病にかかり山頂で吐いてしまった |
1990年12月中旬、私はケニアのナイロビまではるばるやってきた。モンブランでは他のメンバーが高山病に苦しんでいるのに、自分は何も症状がでなかったので、てっきり自分は高山病にかからない体質だと思い込み、自信に満ちていた。必ず登ってやると誓っていた。今振り返ると、素人の発想は怖いものである。
日本隊14人でキリマンジャロのあるケニアとタンザニアの国境まで向かった。植村さんの本では、猛獣におびえながら登山した様子が書かれてあったが、時代が随分と変わり、今ではすっかりとキリマンジャロも観光地化され、登山ルートも歩きやすく整備してあり、山小屋も綺麗だった。
ただ、そうはいってもジャングルの中を歩くというのは、決して気持ちのいいものではなく、どこかしらか蛇やらヒルが飛びついてきそうであった。
2日目には、高度も上がり、ジャングル地帯を抜け出し、高山植物の世界へと変わった。湿度もなくなり実に気持ちよかった。キリマンジャロの頂きが所々で見えたが、標高4000mクラスのモンブランよりも遥かに大きいのが分かった。でも大丈夫「何故って、だって俺は高山病にかからないもん」と、根拠のない自信はここまできても健在であった。
ところが、出発4日目、4700mの最後の山小屋を目前に突然頭痛に襲われた。なんとも表現できない頭痛に苦しんだが、それでもよっぽど能天気であったのか、「ああ、俺は風邪をひいてしまったのだ。これは高山病じゃない」と本気で思っていた。思い込みの世界は怖い。翌日の午前1時から頂上アタックだというのに、昼も夜も気持ち悪くてまともに食事も摂れない。寒気、吐き気、究極の頭痛、手足のむくみ、高山病の初期症状の全てが現れた。さすがに思い込みの強い兵隊さんも、自分が高山病に犯されていることを認めざるを得なかった。
でも、グループリーダーに、自分が高山病の症状が出ていることを伝えなかった。キリマンジャロに出発する前にリーダの人に「高山病を我慢して死ぬ人もいるから、必ず正直に伝えて下さい。症状がよくなければ下りてもらいますが、ご了承ください」と言われていたのだ。しかし、ここで終わるわけには行かない、冗談じゃない。アタックもかけられず敗退したらどのような顔して学校に戻ると言うのか。彼女とも別れたぱかりなのだ。自分にはもう何もない。せめてキリマンジャロに登ることだけが心の支えなのだ。高山病だがなんだが知らんが、自分は必ず登る。
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