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エベレスト
 ◇アタック開始(BCからC1)

 ついにこの日がきた。9日、午前5時半に目が覚めると、昨日から続いていた雪がやんでいた。BC(ベースキャンプ)を離れて山頂アタック開始の時がやってきた。

 いつもそうだがアタックのためBCを離れる時は、実に落ち着かないものだ。一回目の97年、二回目の98年の時もそうだった。今回も、なんとも言えない緊張感に襲われた。またここに帰ってくることができるのかと、ついつい余計な事を考えてしまう。しかも、今回は以前より緊張の度合いが違っていた。緊張のため、思わず吐きそうになった。



C1に向かう途中のアイスフォールで突然ルート上の氷柱が倒れ、雪煙が上がった

 午前7時、ネパール人スタッフと共にBCを後にした。吐きそうになったせいか、アイスフォールのルート上で突然腹痛に襲われ、冷や汗が出た。

 さらに悪いことに、再び雪が降り始めた。アタック開始初日から悪条件が重なってしまい、これまで3時間半で到着していたC1(第一キャンプ)へも5時間もかかってしまった。BCにとりあえずC1入りした事を無線機で報告したが、電波の状態は良くない。

 私の体調はやはり良くない。このまま予定通り今日の目的地、C2(第二キャンプ)に向かうか、予定を変更してC1で泊まるか迷ったが、とりあえず調子をみながらC2へと向うことにした。しかし、体調は回復しない。30分後にこの日のC2入りをあきらめ、C1に引き返した。



C1から見たアイスフォール。まさに氷河が流れ落ちる風景だ。

「ここで無理はしたくない」。私はそう思った。だが、「登頂予定日がずれる」とサーダー(シェルパ頭)は引き返すのに反対した。登頂予定日の12日は、天気予報によれば無風、晴天という。総勢約40人のクライマー、シェルパが山頂を目指す予定だ。サーダーはその日に合わせて山頂アタックをかけたいと訴えた。「そのほうが安全だ」と。

 だが、私は彼の訴えが集団心理としか思えなかった。大勢の人が山頂に目指すからと言って、それが安全に繋がるとは思えない。実際、96年5月10日は多くの人が山頂を目指し、登頂に成功した。しかし、下山中に天候が悪化し著名なクライマーを含む十数人が命を落とした。

 加えて、私は山岳地域の天気予報を必ずしも信じていない。二度目のエベレスト挑戦となった98年10月15日、天気予報によればあと5日間は晴天が続くはずだった。だが、天候は人間の予測通りにはならなかった。私は8350メートル付近で悪天候のためなす術もなく、撤退するしかなかった。それ以来、天気予報は信じないことにしている。

 サーダーには多くを説明せず、「私が納得した時点で山頂を目指す」とだけ伝え、C1へと下りた。途中、C2から下りて来た、登山家の小西浩文さんに出会った。C2の天候も決して良くないという。

 「やれやれ」

 ため息しか出なかった。