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「国吉勇さんの戦争資料館に訪れて」


遺骨収集の前後、国吉勇さんの戦争資料館に訪れた。50年間以上かけて国吉さんが収集した遺留品は数万点を超える。その一部は県内様々な施設に寄付され展示されている。遺骨収集を続けてこられた国吉さんは同時に現場で多くの遺留品を発見。それらの多くを運びおろし1つ1つを丁寧に洗い錆び止めを塗るなど徹底的に管理されている。国吉さんは「所有者の分かったものは遺族に届けたりもしたが大半は分からない。身元が分からないものに関して多くが埋められてきたけれど、遺留品を多くの人々に見てほしい」と。



 国吉さんの戦争資料館



  「西田」と名前の書かれた水筒を手にする国吉さん



 手榴弾と薬品のビン



 軍刀が並ぶ



 弾丸が貫通したコッヘル





 壕の中で発見された眼鏡の山



 火炎放射器によって変形したお茶碗に人骨がくっついていた



 火炎放射器で焼かれたピストル



 熱によって変形した試験管

11月、12月と国吉さんの戦争資料館に訪れましたが、その生々しさにやはり声を失った。壕の中、火炎放射器で焼かれた数々の遺留品。どの遺留品からも声なき声が聞こえてくるかのような、そして特に辛かったのが高熱によって一部変形したお茶碗に人骨が同化していたお茶碗。



 遺留品の1つ1つが物語っていた





前歯や切断された腕の骨まで



私が見せて頂いたのは国吉さんが収集してきた遺留品のごく一部。その1つ1つにメッセージが込められている。私が訪れてきたどの戦争資料館、博物館よりも最もリアルで生々しかった。何故か、それは50年間以上を賭けて遺骨収集してきた国吉さんご本人によって造られた資料館だからだろう。まさに手造りであり、あれだけ膨大な遺留品の1つ1つを綺麗に磨き保管するのは並々ならぬ思いがなければ出来ないこと。国吉さんの思いがこもっている資料館だけにどんなに立派な施設よりも伝わってくるのだ。



 21歳の小島クンも理屈抜きに戦争を感じていた

私は戦争を知らない世代ですが、遺骨収集を通じこうして現場で遺骨や遺留品と出会うことによって戦争を理屈ではなく感覚で感じる事ができる。今まで本や映画などで戦争を見てきましたが、そのどれよりも戦争の悲惨さがダイレクトに伝わってくるのがこの活動。



野戦病院から発見された栄養剤や薬品関係



 薬品のビンが並ぶ



来年も沖縄での活動を続けますが、私は一人でも多くの学生や子供たちに経験してほしい。何故ならば戦後、日本社会はどこかで戦争と向き合ってこなかったように感じられる。

私はあの「終戦記念日」という呼び方に大きな違和感を抱いている。日本は確実に「敗北」したのだ。それを「終戦」という曖昧な言葉で表現してきた事が、まさに戦後の日本社会の象徴のように思えてならない。日本は戦争に負けた。戦争に負けたところから日本は立ち上がらなければならなにも関わらず、どこかで戦争と向き合う事を避けてきた日本社会。私はこれからも現場で国吉さんと活動を続けながら戦争の本当の姿を伝え続けていきたい。