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ABCを後にして

●サーダのダワタシとニマ・オンチュウ
BCに広げられたゴミ

5月17日、ABCを後にし一週間ぶりにBCへと戻る。酸素が濃いな〜。ABCにとどまりチョモランマの頂上を目指す石川君には、
「ほどほどに頑張れよ!」
と励まし(?)日本での再開を約束してわかれた。

BCに下りると、ABCとは別世界だった。やっと我々の春がやってきた。遠かった春。凍り付いていた氷河が溶け出し、BC近くを川となって流れている。水の音に生を感じる。小さいが草花の芽がところどころ岩場からのぞかせる。気のせいか小鳥のさえずりも聞こえてくる。やはり、春はいいな〜。日本はもう夏のようだけど、我々の春はやっと今訪れた。

喉を苦しめた乾燥した大気もじょじょに湿度を取り戻し、雨季の到来を感じさせる。湿度の臭いを全身で感じながら、永かったチョモランマ清掃活動の終わりにほっとし、体の力が抜けていった。

36人のシェルパ達は皆無事、韓国隊員の李さんも中国隊員のツェリンさんも、グルジア隊員の医師ズーラも元気だ。グルジア隊員のギーアは清掃活動を終了した段階でチョモランマ登頂を目指すと我々と行動を別にした。未だにチョモランマの天候は安定しないが無事の登頂を祈る。

初めてのチョモランマ国際清掃登山隊は、個性の強い集団であったが、終始お互いの存在を尊重しながら無事にその活動を終えた。私自身は体調不良に苦しみ、隊員のみなにご迷惑をおかけしたが、シェルパ隊員も含み皆よく助けてくれた。感謝の気持ちで一杯だ。

ABCで呼吸が苦しくなった時には、シェルパ達が集まりラマ教の祈りを真剣な眼差しで唱えてくれ、テントの中はお香の煙で逆に咳が止まらず苦しかったが、それでも彼らの熱意に目頭が熱くなり、なんとも人の情の暖かさを感じた。出来の悪い隊長を皆がよく支えてくれた。

回収されたゴミは、やはり日本や韓国の物が多かった。残念であったのが、悪天候の影響で回収できなかったのか昨年の日本隊のゴミが目立った事だ。

昨年、私はチョモランマ清掃活動終了後、日本での記者会見で
「日本隊のゴミの多くは80年代のもの。80年代は日本全体がバブルの絶頂期で環境問題など当時の社会情勢のなかで重視されていなかった。その時代のゴミに関しては、今の時代の感覚でとらえてはならない。」
と繰り返し、近年の日本隊の環境に対する意識の向上を伝えてきたが、一概にそのように断言できないことを目の当たりにした。

昨年の某日本隊に参加したシェルパが今年、我が清掃隊に加わっているが、彼の告白では上部キャンプで日本隊員らが谷底へゴミを投げていたとのこと。我々が清掃登山隊を組織して活動している横で同胞の日本人のその行為に正直悲しくがっかりさせられた。

日本の登山家、また日本人のモラルの程度の低さをシェルパに指摘されたも同然である。この屈辱を肝に銘じなければならない。

今年(2001年)はチョモランマで回収されたゴミの展示を全国展開で行う。また、日本を飛び出して韓国のソウル、釜山でも中国の北京でも展示を行う予定だ。チョモランマの環境問題をきっかけにアジア人の環境に対する意識改革つながればこの苦しい活動が報われる。

日本でもチョモランマのゴミ問題は他人事ではない。我が日本国の最高峰富士山もゴミに悲鳴をあげている。チョモランマも富士山も遠目から眺めればいずれも美しいが、近づけばその惨憺たる姿に絶望感すら感じる。

人々は自然の恩恵を受けつつもその恩返しをしようともしない。私のチョモランマ清掃活動にも批判的な声が投げかけられる。しかし、私は決して諦めない。例え売名行為といわれようと我が日本国が環境先進国となり、他のアジア諸国の環境対策をも含め日本がリーダシップを発揮しアジア全体の自然環境への取り組みに責任を果たすまで、私なりの方法で誠心誠意頑張りたい。

2001年5月19日
ベースキャンプより 野口健