2006年1月アーカイブ

 

 昨年に続き今年も新年早々、伊豆の伊東にあるヒポクラティクサナトリウム(断食施設)に10日間入った。一昨年から始めた断食トレーニングも今回で5回目。特にヒマラヤの8000M峰へのチャレンジがあった昨年は遠征前後にしっかりと断食し血液の浄化に努めた。永くヒマラヤ登山を続けていくためにやっとみつけた僕なりのやり方だ。ヒポクラティックサナトリウムともう一箇所僕には駆け込み寺がる。八ヶ岳の渋御殿湯という温泉宿だが、ここもよく疲れ果てた時に一人で時を過ごす。16歳の時の人生初登山が八ヶ岳の天狗岳。その登山口にある渋御殿湯に泊まりながらボーとしていると登山の世界に希望を求めがむしゃらに登り始めたあの頃の出来事がまるで昨日のように鮮明に思い出せる。あれから16年。本当に色々あった。得たものもあれば失ったものも多い。そしてけっして忘れてはいけないこともある。渋御殿湯に泊まりながらそんな事を振り返りながらボーと過ごす。また、僕にとって心底安心し、ゆっくり心から休めるのは伊豆の断食道場と渋御殿湯しかない。僕にとって一人で過ごす大切な場所です。

 確か昨年の今頃も断食道場にこもりながらシシャパンマ(8013m)のリベンジを控え、前回命を失いかけただけあって不安のなかでトレーニングしていたことを思い出す。ヒマラヤ、特に8000Mの世界は特別な領域だ。またあの特別な世界に足を踏み入れることが出来るという希望もあれば、同時に恐怖でもある。エベレストを初登頂したヒラリー氏は8000Mの世界を「死の匂いがする」と言ったそうだが、その世界に足を踏み入れるまではヒラリー氏の言葉の意味が分からなかったけれど、今はよく分かる。だからこそ魅せられるのかもしれない。時に音がなくなる。まったく無音になるとシーンとした音だけが聞こえてくる。不思議なことにシーン、シーン、シーンと鳴る。そして匂いもなくなる。そして最後に命の気配がなくなる。死の世界への抵抗かもしれないが、酸素マスクの中であえて大きく「ハーハー」と息遣いし、俺はここで生きているぞ!と誰を相手に訴えているのか分からないが、きっと見えない誰かに必死に生きている証を伝えている自分がそこにいる。今年もあと4ヵ月後には再びあの8000Mの世界へと足を踏み入れる。

 マナスル峰は50年前に日本隊によって初登頂された峰だが、「マナスル」という美しい響きを始めて聞いたのはいつなのか記憶にないけれど、いつもマナスルという響きは頭の中にあった。僕自身、まだマナスルを見たことがない。ただ、美しい響きと裏腹にマナスルは雪崩多発地帯。多くの登山家が命を落としてきた。ヒマラヤ山脈の中でも特に雪が多いエリアだ。山頂に到達できるか出来ないかは、雪のコンディションが最大のテーマとなるだろう。これからの4ヶ月、どのように過ごすのか、一日も無駄には出来ない。2005年5月16日にシシャパンマの頂で「次はマナスル!」と叫んでいたが、マナスルの頂にいる自分自身の姿をイメージしながら、一日一日を大切に過ごしていきたい。

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 昨年も色々ありました。アフリカの旅から始まり久々にヒマラヤ8000M峰への挑戦、そして登頂、全国での環境学校開催に富士山での清掃活動に青木ヶ原樹海ごみゼロ作戦対策本部設置。一年があっという間に過ぎていきました。私の人生の中でおそらくもっとも忙しかった年だったんじゃないかなぁ~。おかげで11月以降、かなりバテました。

 年末年始は両親が住む京都で向かえ、この一年間をゆっくりと振り返りましたが、あまりにも慌しかったので細かく思い出せないほどです。それにしても多くの出会いがあった。その中でも印象的であったのがマータイさんだ。アフリカ人女性は初のノーベル賞を受賞されたマータイさんの植林にかける信念は凄かった。時のケニア独裁政権下で民主化運動を展開し、その象徴として植林を始めるのだが、時に警察に捕まり暴行されながらも最後まで逃げずに戦った彼女の姿に僕は目が覚めた。厳しい状況であればあるほど、続けなければならない。負けてはならないとの彼女の言葉は力強かった。俺もまだまだ頑張らなければいけないと心新たにしたものです。

 その影響が今年から再開するヒマラヤでの清掃活動に繋がった。今年で日本隊初登頂50周年のマナスル峰だ。この記念すべき年にマナスルで清掃活動を行えることに素直に喜びを感じるとともに極めて危険であり登頂率の悪いマナスルでの活動。雪崩多発地帯での清掃活動、そして最後には頂も目指す。生きて帰ってこその冒険活動。心して取り組みたい。私はアルピニストといてはまだまだ三流だ。山野井氏のような究極な世界には到底およばないものの、自分なりに精一杯努力したいし、8000M峰での清掃活動も困難極める。4年間のエベレスト清掃活動で疲れ果てもうヒマラヤでの清掃活動は続けられないと感じていたが、マータイさんは負けなかった。続けてこそ意味があることを彼女から学んだ。

 そして今回はマナスルと同時に富士山での清掃活動も予定していますが、僕の山仲間である女優の若村麻由美さんが富士山清掃隊長を快く引き受けてくれました。若村さんは98年にヒマラヤの5545mの頂に登ったことがあるだけでなく、トレッキング中にごみの多さに驚きそのごみを拾いながらの登山を行った方だ。過去にも富士山清掃活動参加してくれた彼女が隊長ならば、僕は安心してマナスルに専念できます。とても感謝しています。

 精一杯生きることは、楽じゃない。夢を持ってしまったがために傷つき苦しむこともある。しかし、一度夢に向かって走り出してしまったら走り続けるしかないのかもしれない。中途半端な夢なら持たないほうがいい。しかし、挑戦を続けるのも怖いけれど、途中で諦めてなにもない自分に戻ってしまうほうがよほど怖い。それならば、どうせ怖いのなら「前へ前へ」と突き進むほうがいい。

 そして今年の課題はできるだけ愚痴は言わない。どうも愚痴っぽいのがいけない。そして軸をずらさない事。目まぐるしく走っているとふと自分がなにに向かって走っているのか分からなくなる。気がつけばとんでもない方向に向かって走っていることがある。軸をずらさないことが実は難しい。人の意見をよく聞きながら時にふと立ち止まる勇気。そしてなにがあっても決して人のせいにしないこと。自分で決めたことには自分で責任をとる。この当たり前なことをちゃんとやっていきたい。私もまだまだ未熟だ。そんな事を痛感した2005年でした。

 昨年もそうですが、僕を支えているのは富士山清掃活動で一緒に汗をかいてくれている参加者や富士山クラブのメンバーや環境学校の生徒達。逆に彼らから学ぶべきことが多い。彼らには僕が忘れかけた初心がある。どれだけ救われてきたか。つい先日、高校一年生の生徒が「キリマンジャロに登ってきました!」と嬉しい連絡をくれた。遠征費用もアルバイトでコツコツ貯めながらトレーニングした。来年にはアコンカグア(南米最高峰)を目指すとか。また小笠原諸島の子供達が行った捨てられた車の撤去作業。

 みな、大人たちが分かっていて気がつかないふりをしていたことだ。奄美大島の仲間は島を縦断しながらゴミを拾った。地元の新聞にも大きく扱われ環境メッセンジャーとして大活躍してくれた。他にも多くの同士が全国で活躍した。その知らせを耳にする度に勇気付けられる。これからも一緒に目標に向かって走っていく仲間達です。俺もまだまだ負けないぞ!と今年も思いっきり最後まで走りぬきますので、応援よろしくお願いします。


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