2011年3月アーカイブ

陸前高田市へ~寝袋を届けて~

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3月23日、被災地の1つである陸前高田市の広田小学校に救援物資(寝袋440個・寝袋インナー100枚・マット100枚・テント50張り・食糧ダンボール4箱・下着ダンボール2箱・タバコ2カートン)を届けた。322日、まず東京から長野県小諸市へ。東北道は救援車両以外は通行不可ということで小諸市が手配した救援車両(10トントラック1台・4トントラック1台)に我々の救援物資を積み込み現地へと向かった。10トラックは小諸市民の方々が寄付した衣服・日用雑貨など。4トントラックは我々が集めた寝袋など。

 

テレビ映像で何度も見てきた被災地の様子ですが、実際に現場に訪れてみると・・・言葉が見つからなかった。被災地を覆っていたのが腐敗臭。海から打ち上げられた魚の臭いもあるだろし、瓦礫の下に埋もれたままの被害者も含まれているのだろう。実際に我々が訪れた時も瓦礫の下から遺体が発見されていた。白黒写真で見てきた東京大空襲、原爆が投下された後の広島・長崎の光景と重なった。

 

映像で見るのと、現場に訪れ自分の目で見るのとでは世界がまるで違う。「陸前高田市・死亡916人・行方不明1400人・7~8割の世帯が水没・13千人が避難」。これはあくまでも数字の世界だ。いつでもそうですが現場の世界は、数字の世界では感じられない生々しさがある。リアルに残酷で、目を塞ぎたくてもそれが容赦なく現実であるという事実を突き付けられてしまう。そしてその現実からは逃れられなくなる。見るということは知ること、知るということは同時に背負うこと。それが現場の世界なのだろう。

 

多くの犠牲者を出した巨大津波ですが、あの壊滅的に破壊された陸前高田市の現場に立って感じたことは「これでよく助かった人がいたものだ」であった。

 陸前高田市の被災現場 - コピー


地震直後に高台へと避難した人々。それは日常的に津波に対する警戒感があったからなのだろう。津波から逃れようと道は避難する方々の車によって渋滞になっていたとも。その渋滞の列に容赦なく津波が襲ったと聞いた。完全に折れ曲がった車や破壊されたコンクリートの建物が津波の破壊力を物語っていた。これだけの巨大津波を一体誰が予想しただろうか。三陸地域は津波対策にあらゆる努力を行ってきた地域だ。決して無防備であったわけではない。

しかし時に自然は人間の想像力をいとも簡単に越えてしまうことがある。今回の震災はまさにそうだろう。今ここで誰を責めてみたところで意味はない。東京電力だってそうだろう。被災の現場で感じた事は誰の責任でもない。地震大国日本が抱えた運命なのかもしれないと。


避難所となった広田小学校に救援物資を運んだものの、勿論まだまだ足りていない事も分かっている。砂漠に一滴の水滴を垂らす様なものだろう。私の元には「広田小学校の避難所も着替えの下着もなく寒さに震えております。なんとか寝袋を届けていただきたい」「お願いします。福島県に、いわき市や相馬市にその寝袋を運んでください!!!避難所で凍死者や餓死者が出ているんです」といった現場からの悲鳴が連日届いている。

無力感に襲われメールを確認するのが怖くなることもある。それでも知らなかった地名から次から次へと寄せられるメールを目にする度に、何処にあるのかと地図とにらめっこ。故に私の枕元にも地図がある。しかし地図があっても道路状況までは分からない。届けることが出来るのか出来ないのか。分からない事だらけ。そしてまた途方に暮れる。

広田小学校に到着し救援物資を下す - コピー


しかし、ツイッターに寄せられる情報によって1つ1つ見えてこない部分が見え始める。そう、悩んでいる場合ではないのだ。被災者のおかれた状況を思えば我々が落ち込んでいる場合ではないのだ。悩んでいる時間があれば今すぐに出来ることを探したほうがいい。国も行政も含めみんながパンク状態。情報を待つよりも自分から探し出さないと、そしてアクションを起こさないといけないと、自身に言い聞かせながらの日々でした。


 P3230183 - コピー


被災現場で一人の男性を出会った。
70代の男性は写真を片手に「この辺りで母さん(奥さん)が流されたのか。自宅は20キロ先なんだけれど、母さんはヘルパーでここにいた。一人なら避難できたかもしれないけれど、年寄りが一緒だったから逃げられなかったんだろう。すぐ横に高台があったのに。ヘルパーだから一人では逃げられなかったんだろう。母さん探して歩いているんだ」と奥さんを探している男性は淡々と冷静に私たちに話すのだけれど、その姿が逆にとても辛かった。そして話している内に涙をポロポロと流しているのだけれど、それでも感情を押し殺したまま、最後まで表情は崩れなかった。

IMG_8059 - コピー 


怒りや悲しみの感情を爆発させない東北の方々。この姿に世界中のメディアが「日本人は我慢強い」「理性的だ」と報じていたけれど、感情を押し殺してしまえば、その苦しみや怒りが表に向かわずに、己に刃となって襲いかかってしまわないのかと、私はむしろその事の方が心配になった。

 

報道で家をなくした40代の女性の言葉が紹介されていた。

 

「私達は他人の幸せや喜びをねたむほど落ちぶれていない。皆さんどうぞ我慢せず楽しい時は笑い嬉しい時は喜んでください。私達も一日も早く皆さんに追いつきます」

 

私が彼女と同じ立場になった時に果たして同じ言葉が出るのだろうか。

P3230265 - コピー 

 

この5年間、戦没者の遺骨収集を行ってきたが、あの現場で感じる空気と共通点がある。東京に戻る車内の中でそれは何だろうと考えていましたが、それは失われた命であり、無理やり肉親から引き裂かれた命であり、また自分の元に取り戻したいと願う遺族の気持ちであり、命の切なさ、尊さなのかもしれない。

 

私が訪れた陸前高田市以外にも同じような被害を受けた街がいくつもあるのだ。元に戻るまでは果てしない道のりが待っている。5年や10年ではないはず。

 

もし一滴の希望があるとするのならば、今はその一滴の希望を大切に温め、少しずつ、少しずつ、膨らませていくことが何よりも大事なのだろう。確かに道のりは遥か彼方まで続くが諦めてしまったら終わる。

日本中のみんなが覚悟を決め、腹を括って一丸となって取り組めば何とかなる。

仮にもし日本中のみんなが覚悟を決められず、腹も括れず、そして何1つの取り組みも行われなければ、山陸地方含む東日本全体の真の復興はない。そしてそれは日本全国にも大きな影響を及ぼすだろう。我々は運命共同体なのだ。小さな事でもみんなが一歩一歩、コツコツと力を合わせれば,とてつもなく大きなエネルギーとなる。それこそ1億2000万人の底力だ。

 来週、再び被災地へと向かうことになりますが、それまでに何が出来るのか、今はやるしかない。


 

2011328日 野口健

2011年3月19日 東日本大震災~私たちに出来る事~被災地に寝袋を届ける

野口健・寝袋支援プロジェクト

野口健・寝袋支援プロジェクト

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東日本大震災の被災者の方々に救援物資として寝袋を送っております。多くの方々に、お問い合わせをいただいており、ありがとうございます。
現地の気温はかなり寒く、多くの方が寒さに震えています。

野口健ツイッターより
「どのような形で受取をするのか考えなければなりませんが、寝袋を寄附してくださる方々がいらっしゃればどうかお願いしたい。現地からも、もっと寝袋がほしいとの声が沢山寄せられました。全てに応えられないのが悔しい。」

「来週、再び現地に向かいます。予想以上に寒くて、寒くて、あれでは被災者の方々の体がもたない。もっともっと沢山の寝袋が必要。上海から800個、アメリカから500個が一日も早く届いてほしい。そして私も日本で一個でも多くの寝袋をかき集めたい。」

来週、野口が再度、現地に寝袋を届ける予定で、以下のように、寝袋のご寄付を集めております。皆さまのご協力、どうぞよろしくお願いいたいます。

募集している物資
寝袋(新品もしくはそれに同等もの、0℃対応のもの)
テントマット

送り先
長野県小諸市役所 総務部総務防災課
〒384-8501 長野県小諸市相生町3-3-3
電話 0267-22-1700

募集締め切り 2011年3月31日必着

送る際の注意事項
※寝袋とテントマット以外のものは、入れないで下さい。
※段ボールなどの箱に入れて送って下さい。
 他の支援品と区別するため、外箱にわかりやすく「野口健寝袋支援プロジェクト」と明記してください。


お問い合わせ先
長野県小諸市役所 総務部総務防災課
電話0267-22-1700 内線304

東日本大震災から一週間。バタバタと大慌てであっという間に過ぎた。311日に発生した大地震時、私は羽田空港にいた。12日に青森県で講演会が予定されていたのだ。空港内もユラユラとまるで船に乗っているかのような横揺れが続き、次にガタガタと建物が激しい音をたてた。これはいつもの地震とは違うと建物から室外に避難。駐車してあったバスが揺れに揺れている姿に「これはヤバイ」と初めて身の危険を感じた。

 
それでもその時点ではこの直後に発生した大津波の大惨事など知る由もなく再び空港内に戻りゲートへ。青森県に先に入っていた講演会フタッフに青森の状況を聞こうと携帯電話と取り出したが携帯は繋がらない。2時間ほど待機していたらフライトの欠便がアナンスされた。何かが起きている。そしてふと窓から表に視線を移したらなんとも形容しがたい空の色。一見美しい夕日のようでありながらその上部には分厚いグレーの雲がまるで渦を巻いているかのような、なんとも不気味な世界にゾクッと背筋に寒気が走った。これは大変な事が起きていると、再び携帯電話を試みるも不通。

 P3110040

しかし、ツイッターだけは繋がった。青森入りしているスタッフのツイッターに「市内が停電」「講演会は中止」と書き込まれてあり、帰宅しようと歩きはじめたら空港内のテレビに人垣が。テレビ画面を見たら横一直線の巨大津波が民家や車などをまるでマッチ箱のように次から次へと流している。最初、映像が強烈過ぎて今一つ意味が分からず「なに?」という感じであり、私含めその衝撃的な映像に足を止めてテレビを見ている人たちもポカンとしていた。それは9・11のあの映像を始めて見た時にショックのあまりにしばし思考が停止したのと同じであった。

 
あれから一週間。最初の数日間はテレビ画面に釘付け。被災地の映像に言葉を失い、ただただ画面を眺め続けていた。気がつけばガクッと気持ちが落ちている。そして無気力化していく。これはいけない。被災者ではない我々が落ち込んでいる場合じゃない。これだけの震災である。国や行政だけでは限界がある。またこんな時こそ日本人が一丸となって復興に向けて取り組まなければ、この国の未来はない。自分に何が出来るのか。テレビを見ながら必死に考えていた。我々が元気を失ってしまったらどうして応援できるのか。「しっかりせい!」と叱咤していた。

 
そこで一つ思いついたのが「寝袋」である。被災地の夜は寒い。多くの避難所では一枚の毛布しか配られていないとのこと。燃料不足から暖房も限られまた停電により夜は真っ暗闇。寒く暗い永い夜。これがどれだけ辛いことなのか、登山家としての経験上から少しは感覚的に理解できる。故郷が壊滅的に破壊され家族を失い、または安否の確認が出来ないという異常事態が続き、精神的に限界が続く中、寒さと不眠が追い打ちをかける。「精神」と「肉体」が壊れてしまえば絶望感ばかりが残される。



そこで「寝袋」を被災地に届けようとなったのだ。布団の場合は敷布団なりが必要となる。重たいだけでなく運ぶのにかさ張る。それに比べ寝袋はマット一枚敷けばいい。マットがなければ段ボールでもいける。また軽くギューと押し込めば小さくなるので持ち運びも便利であり、一台の車でも相当数の寝袋が運べる。そして何よりも寝袋のジッパーを閉めれば寝袋の中の空気が密閉され体温が籠り暖かい。

 

色々なご意見があるかもしれないが、私に出来る事の一つとして寝袋を被災地に届ける事だと決めた。何しろ時間との戦いでありノンビリしていられない。私のツイッターには本当に多くの意見が全国から寄せられ、何には「低体温症で多くの被災者が避難所で凍死している。早く寝袋を届けてください!」といった悲痛な叫びも。それから事務所を上げて寝袋探しが始まった。付き合いのあるアウトドア・メーカーに片っ端から連絡をいれるものの、この状況下では止むを得ないのだが在庫がない。「すみません、在庫がありません」との返事ばかり。

 
しかし、コールマンジャパンさんに連絡を入れ「救援物資として被災地に出来るだけ多くの寝袋を届けたいので注文できますか」とすがる様な気持でお願いしたら「すぐに確認します!」と返事を頂き30分もしないうちに「100個なら用意出来ます」との事に事務所内が湧いた。

 
同時に「どのようにして寝袋を被災地に届けるのか」を探らなければならなかった。ネットで調べたものの義援金の受付はあるものの、救援物資を受け付けている行政機関が見つからなかった。どのようにして届けるのか。

 

この時も役に立ったのがツイッター。私が環境大使を務めている長野県小諸市が私のつぶやきを見て「小諸市は被災地の相馬市と友好関係を結んでいるので救援物資を届けようとしていますが、一緒に寝袋を運びますよ」との連絡が入る。また環境観光大使を務めている岡山県総社市の片岡市長からも「総社市も被災地に救援物資を運びます」とご連絡を頂いた。

 


3
15日にコールマンジャパンさんに連絡を入れ寝袋100個の注 文。

316日の夕方に救援物資をトラックに詰め込み東京から小諸市へ。

317日に小諸市から福島県相馬市へ寝袋が届けられた。

317日の深夜、小諸市の職員の方から私のツイッターに「無事に寝袋を届けました」との連絡を入った時には涙が出そうになったが、まだまだこれからだと感慨にふけっている場合じゃないと言い聞かせた。

 

318日にはコールマンジャパンさんからさらに「200個の寝袋と寝袋の中に入れるインナーも100枚を用意できる」との連絡を頂き、またアウトドア・メーカーのスノーピークさんの寝袋も100個注文できた。そして友人からも約30個の寝袋が。

 

相馬市に続き今度はこの330個の寝袋をやはり津波で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市へ届ける事になった。

 

陸前高田市では避難所が足りずキャンプ場で被災者の方々がテント生活しているとの情報が入る。この寒さの中、また天候が崩れ、雪が降る陸前高田市。

 

323日に小諸市からこれらの救援物資をトラックに積み込み陸路で運ぶ事になった。私も小諸市の職員の方と一緒に現場入りする。

 

そして嬉しかったのが318日の朝に中国香港に滞在している私の兄貴に「中国で寝袋を調達できないものか」と相談したところ、その日の夕方に「1000個の寝袋が用意できそうだ。知り合いの中国人たちが集めてくれている」との事。これには心底驚いたが、喜んでいる間もなくその1000個の寝袋をどうやって至急国内に持ち込むのか。ここで役立ったのがまたもやツイッター。ツイッターで「1000個の寝袋をどうやって日本に」と呟いたら、翌19日の早朝に「知り合いにANAの人がいるので紹介します」と連絡が入り、ただいま、全日空さんが調べてくださっています。

 

一週間後には中国からの寝袋も被災地に届ける事が出来れば・・・。

 


私にとってもこの一週間はとてつもなく目まぐるしかった。現地からの映像に落胆しながらも、しかし同時に多くの方々からツイッターを通して沢山の情報を頂き、またアウトドア・メーカーや小諸市の職員、香港にいる兄貴や中国の方、そして
ANAの方々が一緒になって被災地に寝袋を届けようと動いてくださったのだ。人の繋がりの温かさにどれだけ救われた事か。

 

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)による現段階の被害状況は死者6911人。安否不明は19370人。避難は403975人。戦後最大の被害となり失ったものは果てしなく大きい。「復興」と一言で言ってもその道のりは果てしなく遠いだろう。しかし、諦めてしまっては終わる。一歩一歩コツコツと前へ前へと進んでいくしかない。

 

私には私に出来る事がある。みんなにもみんなに出来る事がある。日本中の人々が、それぞれ何か1つを背負っていけば、時間はかかるかもしれないが必ず立ち直ると私は信じている。

 


2011
319日  野口健

※※この呼びかけは、ソトコト「被災地の復興のために、わたしたちができること。節電努力。」に賛同し、同じタイトルで呼び掛けています。※※

私たち一人ひとりの節電努力が、
被災地が必要とするエネルギーを創り出します。

2011年3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震による甚大な損害は、私たちがこれまでに経験したことがない災害です。被災地域に暮らしている方々、救助活動や復興活動に尽力されている方々を支援するために、私たちができることのひとつが「節電」です。

 未曾有の大地震による、電力施設への被害発生により、私たちの日本は電力が不足しています。特に、被災地域においては、電力の確保は、救援活動や復興活動にとっては極めて重要な問題です。

 政府及び東京電力は、3月14日から「計画停電」の実施をアナウンスしています。計画停電は、電力需要が現状の電力供給能力を上回ってしまった場合に実施される手段であり、電力需要を抑制するためには、鉄道、工場、大型商業施設などの社会全体での節電努力、そして、一般家庭での節電努力が必要です。

 いま一番大切なことは、まず被災地が必要とするエネルギーを確保することです。そして、そのためには、私たち一人ひとりが「節電」を心掛け、続けていくことが重要です。

 電気は、水道やガスの供給にも必要とされるエネルギーであり、被災地での救援活動や復興活動に必要なライフラインの確保のためにも、私たち一人ひとりの節電努力が必要です。

私たちが生活の中でできる節電

・外出の際、あるいは、使っていない電気製品のプラグはコンセントから抜きましょう。機器によってはプラグを挿し込んでいるだけで、待機電力を消費してしまう場合があります。

•昼間は、なるべく必要最低限の照明で過ごしましょう。オフィスでは、昼休みの消灯や、通路のなどの照明の間引きも節電になります。

•暖房機器を必要とするこの季節は、朝の時間帯や18:00~19:00の時間帯が電力消費のピークタイムとなります。電子レンジ、洗濯機、炊飯器などの消費電力の高い機器は、ピークタイムをずらして使用しましょう。

•冷蔵庫にはものを詰め込み過ぎないようにしましょう。
また、電気炊飯器の保温時間を減らすのも節電に有効です。

•屋内では、温かい格好をして、カーテンを閉める(断熱効果があります)などして、
エアコンやストーブなどの暖房機器を使う時間を減らしましょう。

•テレビよりもラジオのほうが消費電力が小さくてすみます。


電気を大切に使うことで、被災地を励ますことができます。

 私たち一人ひとりの節電努力が、被災地が必要とするエネルギーを創り出します。物資援助やボランティアなどの人的支援も必要ですが、被災地側の受け入れ態勢も充分ではない今、私たちが、いまそれぞれの暮らしのなかでできるアクションが「節電」です。

 私たちが日々の暮らしのなかで、節電に努力し、続けていくことは、確実に、被災地のチカラになります。
 
 現在、節電が必要とされているのは、東日本エリア(東京電力、及び、東北電力,北海道電力の管轄内)です。東日本と西日本では、周波数が異なることから東日本に周波数を変換して送電できる容量に上限があります。このため、東京電力、東北電力、北海道電力の管轄外で節電しても被災地のためにという意味では効果は生まれません。

 それでも、電力以外にも燃料が足りないという状況もあり、日本全国で節電・節約していたくことはとても大事なことです。そして、「電力消費量を自分たちの意思で減らすことができる」ことを未来に向けて実証・伝えていくためには大きな役に立つと思います!

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