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野口健・隠岐島を訪れる




「新しい観光を模索する島根県・隠岐島」

 島根県の北東、約50キロメートルの日本海上に隠岐諸島という島々がある。知夫里島、西ノ島、中ノ島の3つの島から成る島前(どうぜん)と、西郷町、布施村、五箇村、都万村の一町三村で成る島後(どうご)と180余りの小島で成り立っている。

 隠岐諸島は、1963年(昭和38年)4月に、島根半島、三瓶山とともに大山(だいせん)隠岐国立公園に指定された。変化に富んだ海岸線と、島を取り囲む断崖絶壁の外壁が雄大な景色を展開し、島全体は豊穣な緑に恵まれている。古くは遣唐副使としての乗船を拒否した小野篁(たかむら)や、鎌倉幕府から朝廷へ権力を取り戻すべく挙兵した後鳥羽上皇が流された「遠流の地」としての歴史を持つ。

 2003年9月22日から24日まで野口は隠岐島の島後地域を訪れている。野口がこの地に招待されたのは一言で言えば「観光産業の活性化」のための助力を求められてである。

 これまで隠岐島後地区の産業は、公共事業に大きく依存してきた。しかし周知の通り、近年全国的に公共事業は削減が続いている。隠岐島後地域も例外ではなかった。

 公共事業に代わる経済の第2の柱である観光産業も1999年(平成9年)をピークに減少を続けており、島の経済は先行きは不安に満ちている。自然を生かした観光というものが脚光を浴び始めていることもあり、隠岐島後では、修学旅行や合宿、林間・臨海学校といった、全国的且つ継続的に行われる「集団宿泊的学校行事」に焦点を絞り、安定的な観光客の誘致に乗り出す方向で事業を進めていた。そこで世界各地を見てきた野口に助言を求めるという動きが起こったのである。

 初日のスケジュールは、ダイビングであった。今月の初旬に白神山地で石原都知事が野口に「ダイビングの世界三大スポットは、パラオ共和国、小笠原、あと隠岐島だな」と言っていたこともあり、野口はこの日のダイビングを非常に楽しみにしていた。しかし前日の台風15号の影響で海は激しく時化ており、ダイビングは残念ながらおあずけとなった。その日は、島内を一周し、稲作の風景や隠岐の郷土資料館などを見て回った。

 翌日は、ガイドと島民と共に「隠岐自然回帰の森」のエコツアーに参加。乳房杉(ちちすぎ)という乳房の形をした下垂根を持つ樹齢800年の古杉の説明を受けた後、隠岐諸島の中で最高峰の大満寺山(608メートル)に登頂。島々を見渡した後、隠岐固有の野鳥、哺乳類、両生類、昆虫類の説明を受けながら、更に森の奥へと入っていく。

 タンザニア、ガラパコス、小笠原、白神山地と様々な場所でエコツアーを体験した野口だが、今回特に反応を示していたのは「昆虫」の話であった。

 ガイドの説明によると、昆虫は、2〜3万年で亜種化、別種化(固有化)するという学説があるという。これは昆虫の進化のサイクルが2〜3万年で行われるということと同義である。隠岐諸島は本土から離れ島になった、つまり現在の島の形となったのが約2万年前であるため、この学説が本当だとすると、隠岐諸島はまさに進化の過程を見れる島ということになる。その話を聞いた瞬間に野口が「虫かあ、これだな。」と言っていたのが印象的であった。

 最終日は、「隠岐体験旅行企画提案審査委員会」に委員の一人として参加し意見を述べた。これは全国の小中高校生から「隠岐の島後を舞台にどのような旅行または楽しみ方があるのか」というものを募集するという一種のコンペであり、その企画について意見を伺うというのがこの日の主旨であった。ほとんど誰も発言しない中、野口は、果敢に改善点、新たな提案を行った。

 野口は来年の2月にコンペの審査委員として再び隠岐を訪れる。2泊3日という短いスケジュールであったが、野口にとって隠岐はどのように映ったのだろうか。

「個々の素材に関しては、ダイビングは悪天候で出来なかったからコメントはできないけど、見た感じはすごく良さそうだね。島だから海というのは相当大きな要素になると思う。今、隠岐島の島後には四箇所のダイビング施設があるそうだけど、ダイビングだけではなくシーカヤックとかもっと海でのアクティビティを増やしても良いと思う。

 山に関しては、固有の動植物も興味深いけど、今回、新鮮だったのは『昆虫』だね。一説によると隠岐は進化している過程の虫がいるという。更にまだ研究がそれほどなされてなくて未知なる部分が多く、土の中の虫なんてまだほとんどわかってないらしい。これは虫好きにたまらないと思う。だから虫の博物館を作って、学芸員や研究者といった専門家を呼び込んで、『虫の島』として一つの柱にするのも手だと思う。

 全体としては、公共事業が削減され、その中で環境に配慮した観光を新たに打ち出していくという動きが島の中から起こってきたということはすごく良いと思う。更に修学旅行生を呼び込む、という視点は非常に良い視点だと思った。可能性があるなと思ったのは、例えば隠岐は小笠原よりも広く、修学旅行生が大量に来ても受け入れられるということ。アクセスもフェリーだけでなく飛行機もある。海ならダイビング、山ならエコツアーといったようにガイドさえいれば、それなりに多くの修学旅行生を呼べると思う。

 あとこれは委員会でも言ったけど、ガイドは専門家に任せて、島の案内は島の子供がやるべきだと思う。隠岐の子供が修学旅行生に『俺の島ってこんなにすごい』ということを隠岐の子供が全国から来る子供に案内できたら両方にとって非常に良い。大人が子供に伝えるというのは、当たり前すぎて子供も飽き飽きしている。結果、一番楽しかったのは、夜の枕投げということになりかねない。島の子供が堂々とその島の魅力を伝えるというのは、修学旅行で来た生徒もカルチャーショックを受けると思う。

 屋久島もそうだけど、島の子供というのは驚くほど自分の島のことについて知らないことが多い。だから隠岐の子供たちとも自然学校という形で一緒に島について学んでいきたい。それによって将来のガイドが養成され、修学旅行生の誘致にうまく役立てば非常に良いサイクルができる。

 あと隠岐島はバブル期に乱開発されず、ゴルフ場もなければ、変なリゾートも立っていない。結果、素材そのものの良さが生き残っていて、すごく優しく穏やかな雰囲気がある。色々な島に出掛けたけど、『素朴な島』という印象を持ったのは初めてだった。

 熱海なんかはバブルの頃に乱開発されて、センスのない箱物を沢山作った。明らかに求められる観光というのは代わってきているのに、一時の成功体験を忘れられず、その後、努力しないで、ほったらかしにしてきた。結果、バブル崩壊後は客足が遠のいて、町なんか廃墟みたいになって、今は閑古鳥が鳴いている状態。

 前に熱海に行った時に、地元の人と話したんだけど、ずっと『不景気でね。おかげでお客さんが全然こなくなっちゃったよ。小泉さんでも駄目だね』なんて言っている。僕は頭にきて『いやそれは違うと思いますよ。不景気のせいにするのは簡単だけど、この町は正直言って魅力ないですもん』といったら怒って黙っていたけど。大体、あの街が国立公園に指定されているというのが信じがたい。熱海は日本で最も嫌いな街だよ。もう二度とああいう街を作ってはいけない。『NO MORE 熱海』だよ。

 隠岐は刺身と同じで素材で勝負できる島だと思う。環境に配慮した観光という動きが島内から自然発生的に生じてきたこともすごく大事だと思うし、僕にできることなら協力したい。それはいつも言っていることだけど、特段、隠岐島を贔屓しているということではなく、一つ一つの変化が日本全体に良い方向で連鎖を生みたいということ。それは今まさに叫ばれている環境保護と観光振興の両立の確立に繋がる。僕は今までどおりのホテルやリゾートを作ったりするという熱海的な観光はもう終りだということを証明したい。」





「政治で自然を犠牲にしてはいけない」

「あと隠岐の港に『帰れ! 竹島』って書いてある看板が気になった。竹島は、隠岐島から北西に約157キロの日本海に位置する島だけど、日本の領土にも関わらず、戦後、韓国に実効支配されている。隠岐同様に絶対にあそこには固有種を始め、貴重な自然があると思うけど、それもどうなっているのかわからない。

 『帰れ! 竹島』という看板を見た時に、思い出したんだけど、竹島と同様に領土問題としてよく取り上げられる尖閣諸島という島々がある。新聞報道によると、尖閣諸島にはセンカクモグラやセンカクオトギリといった固有の動植物がいるらしい。でも1978年(昭和53年)に都内の政治団体が持ち込んだ2頭のヤギが25年間で500頭に増えて、生態系の破壊が進んでいる。外交的な関係で保護になかなか乗り出せず、中国、台湾の反応を恐れ、それによって日本の自然が死にかけている。はたしてそれでいいのか。固有種というのは失ってしまったら二度と取り戻せないものだから、そうなる前に、ちゃんとケアーする必要があると思う。竹島は韓国に実効支配され、北方領土も事実上、旧ソ連に取られてしまった。でも尖閣諸島はずっと海上保安庁の船が周りを巡回して、実行支配している。ならば少なくとも尖閣諸島の自然は守らないといけないと僕は思う。領土問題という極めて難しい問題があるとしても、やっぱり政治によって自然が殺されてはいけない。」


審査委員の役割以外に隠岐でどのような活動ができるのか。現在、野口は模索中である。野口は次から次へ様々な着想を繰り広げる。次はどのようなことが待っているのか。想像もつかない。


2003年10月18日
文責:小林元喜