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登山家としての私の自己責任
 
 事ある度に日本社会に足りないのが自己責任の精神だと発言してきた。
 以前、拙著にて植村直己氏のマッキンリーでの遭難を「自滅」と表現し、一部の山岳関係者から叱られたこともあった。しかし今でも私の考え方は変わらない。多くの人が指摘したように植村氏の遭難の背景には「マスコミやスポンサーによるプレッシャー」といった側面が確かにあっただろう。推測でしかないが、植村氏が追い詰められていた状況は想像できる。しかし最終的にはご本人の現場での決断であり、自己責任だと私は感じている。「広告代理店に殺された!」「マスコミに殺された!」との意見も耳にしたこともある。お気持ちは分からなくもないが、逆にそのような意見は植村氏に対して失礼だ。植村氏は世界に誇れる冒険家であり、私自身も植村氏の生き方に深く共感し、この世界に足を踏み入れた一人である。だからこそ植村氏のとった行動をセンチメントでとらえたくはない。センチメントは物事の本質をごまかすという側面がある。孤高の冒険家である植村氏はそれを望まないと私は思う。

 昨今、イラクにおける日本人の人質事件における自己責任論がかまびすしい。「救出費用の自己負担」の点から自己責任を問う声が多くの識者からあげられ、国会でも議論が噴出した。実は私も本稿の執筆前に自分のウェブサイト上で自己責任について持論を発表した。当初、私も登山の例をあげ、基本的に登山中に遭難した場合、救出費用は自己負担である、という点にも触れ、自己責任について論じていた。しかし、救出費用を負担しさえすればそれで自己責任を果たしたと言えるのか、という疑問が頭をもたげた。
 私は自己責任を全うするためには、まず第一に事故などを初めとする不足の事態が起こらないように十全の備え、つまり危機管理が必要だと思う。

 危機管理ということについて、私がこの四年間行ってきたエベレスト清掃登山の例をあげてみたい。地球のシンボルであるエベレストがゴミにまみれている姿を多くの方々に知って頂きたい、そして美しい姿に戻したいとの思いで清掃登山を決意した。周囲からは「ゴミ拾いに命賭けてどうするんだ!」「ゴミ拾いで死んだら笑いものだぞ!」などと言われたが、時にリスクを背負ってでもやらなければならないことがあると、腹を括って清掃登山はスタートした。
 それだけに危機管理は徹底した。まずエベレストでパートナーを組むシェルパ達の人選には神経を使った。八千メートルでの清掃活動は天候の急変など一歩間違えれば死の世界へと直結する。それだけに現場での素早い決断力が必要とされる。若手のシェルパは体力があり、多くのゴミを一気に下ろせるが、どうしても実績を残したいと時に無茶をする傾向がある。
 特に第一回目の清掃登山は冷静に、また客観的に事態を把握できるヒマラヤ経験の豊富なベテランのシェルパ達を集めた。ベースキャンプでは医師が二十四時間体制で待機した。この医師は従軍し、野戦病院での執刀経験もあり、またヒマラヤ登山に何度も同行したことのある現場型のグルジア人医師だ。万が一に備えてエベレスト清掃登山のためにわざわざグルジアから来ていただいた。

 そして遭難が起きた時に混乱せず、素早く対応できるように地元の登山協会や山岳会と綿密に連絡を取り合い、遭難時の連絡先も一元化していた。日本にも留守本部があり、事故対策のマニュアルを作成した。また無線機や衛星電話といった通信機器も最先端の装備を集め、故障もありうるので予備を準備し、現場で修理できるスタッフも用意した。
 中国、ネパール両政府とも連携できるよう中国大使館にも足を運び、ネパールでは総理大臣の政策担当顧問とも打合せを行った。事故が起きれば外務省の出先機関である日本大使館にもご迷惑がかかるので計画書などを持参し、大使館員に行動日程を始め、細かく説明し、スケジュールや活動場所を把握して頂いた。
現場では清掃活動中に隊員がはぐれてしまわない様にグループを作り、下山時には隊員が無事にそろっているか確認を徹底した。天気予報もBBCやNASA、さらに複数の情報源を元に参考にした。ここで全てを述べるときりがなくなるが、我々のエベレスト清掃活動の陰にはこのような作業が徹底して行われてきた。
 危険を百も承知であえて危険地帯に踏み込むのだから当然のことだと私は思う。危機管理は隊長である私の責任。この部分を怠り事故や事件が発生すれば私は責任を追及される。私はその部分においてエベレストの清掃活動も、イラクでの活動もなんら変わりないと考えている。どちらも危険極まりない活動だからだ。

 次に、たとえ危機管理を徹底しても、時に予測不可能なことが起こることもある。万が一、不測の事態が起こった場合は、それに対する説明が必要だ。「自分が好きでやっているからいいだろう」という態度では駄目だ。何故か。登山にせよ今回のイラクでの活動にせよ、不測の事態が起きた際には、様々な人間が絡むことになり、社会的な影響も強い。要するに自分一人だけで解決できる問題ではない。更には、その後に続いていく方々にとって、イメージダウンに繋がり、活動を妨げることになる。ボランティアにせよ、登山にせよ、後に続く人が迷惑を被ってしまうのだ。今年の二月、関西学院大学のワンダーフォーゲル部が雪山で遭難したが、救出された直後に、現役の学生らが記者会見を開いて、しっかりと自分の言葉で経緯を説明していた。これまで登山の世界では、このように説明責任が果たされないことがままあったこともあり、非常に感心した。

 イラクで人質となった彼らの志は理解できる。私も戦争は最大の環境破壊であり、今回の戦争は時代錯誤だと強く疑問を感じている。十八歳の彼がアメリカのウラン弾使用に怒り、いてもたってもいられず、現地に飛んでいきたくなる気持ちはよく分かる。世の中の出来事に無関心な人が多い中で彼の正義感と行動力は素晴らしいと思う。それだけに実行に移す前にやるべきことが多々あったのではないか。危険地帯での活動は、若さや正義感だけで通用するものではない。
 どことなく冒険の世界に足を踏み入れたときの自分とオーバーラップするのだが、私はあの十八歳の青年が再び立ち上がる姿が想像できるし、そうであって欲しいと心底感じる。巨大なものに挑むというのは、ときにつらく孤独なもの。失敗を極度に嫌うのも日本社会。多くの人がかしこく生きようと保身を貫き通す。それだけに彼には負けて欲しくない。正義を貫くためには、常にリアリストであり、戦略家でなければならない。

 昨今、「自己責任」という言葉が独り歩きしている。自己責任の名のもとに若者がチャレンジをためらうような空気を作ってはいけない。何をもって自己責任なのか。
 私は、自己責任とは、自身の決断と結果について、誰のせいにもしないということ。そして不測の事態が起こらないように徹底した危機管理を行うということであると思う。そしてそれでも万が一、不測の事態に陥った場合、それに対する説明責任を果たす必要があるということだ。換言すれば自己責任とは人としての尊厳ではなかろうか。これはアルピニストとして、また一人の人間として私が最も大切にしているものである。

6月2日 野口健