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チョモランマからの電話メッセージ総集編

音声ファイル(mp3ファイル)[1.71MB]
昨日の決断は、「出発」でした。
天気はやはりあまり良くなく、ノースコルまでも風が強かったということです。
通常ノースコルまでは谷のような氷河帯なので、風の影響を受けるところではないのですが、そういったことは関係ないくらい昨日の風は野口達の行く手を拒んだもようです。
しかし、無事ノースコルに到着。その冷たく乾燥した空気を吸い込んだ野口は、右の肺が息をすると痛い。背中まで貫通するような痛みがあったとのこと。夜は酸素を吸って楽になったようです。
大蔵隊と安丸隊の2隊がチャレンジ中。
本日の出発時は昨日とは違い非常に良い天気。本日キャンプ2に向かう。
午前中の電話より。
2007年5月13日野口健事務所 田附(たづけ)
音声ファイル(mp3ファイル)[4.62MB]
本日キャンプ1を出発した野口達は無事キャンプ2に到着いたしました。
14時40分(ネパール時間)にキャンプ2(標高約7600m)
午前中は良かった天気だが、風が途中から強くなる。頂上に向かって右側からひたすら強い風を受ける。
10年前に比べると楽。頂上が近く綺麗に見れる。 エベレストの難しいところは先々の天気に恵まれなければならないこと。
昨日今日は悪かったが、明日、明後日の天気がよければ登れる可能性が高くなる。
だから、下のキャンプでは多少の天気が悪くとも、天候の回復を予想し、行動しなければならない。
キャンプ地に無事到着したのはいいが、テントが倒れてバリバリに凍っている。
そして、テントの中が雪がたまっている。まず、テントを建て直し、その中に吹きたまってしまった雪を書き出す作業をした。
靴も脱がずに入って休んでいる。カメラマンの平賀淳君も元気。
97年に野口隊のアドバイザーをしてくれた大蔵隊が野口隊の少し上にキャンプを構えている。大蔵隊も15日に登頂を狙う。
これも何かの縁。一緒に登れることを祈りたい。
2007年5月13日野口健事務所 田附(たづけ)
音声ファイル(mp3ファイル)[4.62MB]
本日キャンプ1を出発した野口達は無事キャンプ2に到着いたしました。
14時40分(ネパール時間)にキャンプ2(標高約7600m)
午前中は良かった天気だが、風が途中から強くなる。頂上に向かって右側からひたすら強い風を受ける。
10年前に比べると楽。頂上が近く綺麗に見れる。 エベレストの難しいところは先々の天気に恵まれなければならないこと。
昨日今日は悪かったが、明日、明後日の天気がよければ登れる可能性が高くなる。
だから、下のキャンプでは多少の天気が悪くとも、天候の回復を予想し、行動しなければならない。
キャンプ地に無事到着したのはいいが、テントが倒れてバリバリに凍っている。
そして、テントの中が雪がたまっている。まず、テントを建て直し、その中に吹きたまってしまった雪を書き出す作業をした。
靴も脱がずに入って休んでいる。カメラマンの平賀淳君も元気。
97年に野口隊のアドバイザーをしてくれた大蔵隊が野口隊の少し上にキャンプを構えている。大蔵隊も15日に登頂を狙う。
これも何かの縁。一緒に登れることを祈りたい。
2007年5月13日野口健事務所 田附(たづけ)
音声ファイル(mp3ファイル)[2.33MB]
今日は14日06:05(ネパール時間)キャンプ2の朝です。
昨晩はむちゃくちゃ寒く、氷、氷、氷つきました。
テントの表の外張りが裂けているせいもあるのでしょうか。
淳君とガタガタ震え上がりながら「寒いな〜寒いな〜」しゃべっていたら、
気づいたら淳君はいびきかいていたのでむかつきました!
体調は問題ない。
風はぴたっとやんでいる。
明日、これならばいける。
何とかあと一日天気が持って欲しい。
晴れてくれればアタックできる。
日本はあったかいんでしょうね。
だんだん日本が恋しくなってきました。
あと一日、あ、下山を入れてあと2日頑張りたいと思います。
もうそろそろしたら最終キャンプを目指して出発したいと思います。
以上、野口からの電話の内容です。
これからの予定ですが、
本日14日キャンプ3到達。
休憩
本日現地時間23時(日本時間15日2時15分)キャンプ3出発
15日現地時間5時〜7時(日本時間15日8時〜10時頃)登頂予定。
2007年5月14日
音声ファイル(mp3ファイル)[8.22MB]
ネパール時間の13時30分に8300mの最終キャンプ(キャンプ3)に到着しました。 残念ながら今、雪が降っている。午後になるといつも天気が崩れる。
この後天気が回復すれば、ネパール時間の本日21時か22時にはアタック開始をして、ネパール時間15日の早朝5時には登頂できると思う。
ここまで来たらじたばたしないで、天気が回復することを祈るばかり。
今朝、頭に血が上って血管が破裂しそうになっるくらい怒りが込み上げた。
昨日はくたばっていて気づかなかったが、荷揚げした酸素ボンベ7本が、他の隊に盗まれていた。
今朝判明した。
これは初挑戦の97年も酸素ボンベが盗まれた事件があった。あの時はロシア人が盗んだ。これは単なる泥棒でない。僕らは荷揚げをして、それを当てにして高所へ登ってくる。当てにした酸素がなければ酸素が吸えなくなる訳です。これは時に死ぬわけですね。実際にそれで死んだ人もいるわけです。高所で酸素を盗むと言うことは金品を盗むとかそういう容易いものじゃなくて、時に殺人行為なんですね。非常に許しがたいことだと僕は思っています。
(中略)
極めて許しがたい行為が残念ながらこのチョモランマでは毎年起きます。
残念ながらほんとの登山家で無い人もいっぱいくるんですね。
今は怒っている場合じゃないんです。明日登んなきゃいけないんでね。
(中略)
ただ、それくらいの怒りと言うわけですけど・・・。
ま、もう人間を相手にしている場合じゃないんで、明日は、人間に惑わされないで8848mの山頂を目指して、登りたいと思います。
もう後2日だから、歯を食いしばって、岩に爪を立ててでもこの10年間の思いを、晴らしたいと思います。
2007年5月15日
音声ファイル(mp3ファイル)[4.15MB]
音声ファイル(mp3ファイル)[1.72MB]
(現地時間)14日20時45分、見事な天気です。
おそらく日本の皆さんが、雪だるま、雪だるまじゃない、てるてる坊主に「チョモランマ」と書いてくれたおかげで完璧な※▲●□・・・。
今から準備してアタック開始。天気がこれだけ味方してくれたので、後は自分達の努力、失敗しないこと、あとは自分達に負けないこと。自分に負けず、失敗しなければ、チョモランマに登頂できる。これからアタックを開始したいと思います。
相棒の平賀に代わります。
(平賀)
ようやく朝を迎えました。
酸素がないと苦しいですが、この言葉をたよりに山頂まで行って着たいと思います。
2003年に健さんが6500m付近で、私が「素晴らしい景色だ」と言ったところ、「これは来た人の特権だ」と言う言葉を残してくれました。「この風景が見られるのは、ここまで来た奴の特権だ」という話をうけて、いたく感動したのを※▲●□・・・。
今回もその言葉を旨になんとか努力を重ねて、山頂に何とか、立ちたいなと思っております。健さんとシェルパ、そして日本の皆さんの、期待を胸に山頂に立ってきたいと思います。応援、宜しくお願いいたします。
(野口健)
ま、そんなことで、これからアタックを開始しますが、あとはできるだけスピーディーに登って、出来るだけ早く帰ってくる。ま、天気が変わりやすいので。いよいよ、まー、長かったです。ここまで来るまで。非常に辛いこともあったんですけど、ま、とにかく、岩にかじりついてでも、今回は登りたい!もう登りたい!最後まであきらめずに上がりたい!と、思っています。ではつぎ山頂からうまく更新が出来れば、山頂から更新します。
では行ってきます!
※追伸(野口健)
あとこれからアタックを開始するわけですけれど、一つ御願いがあって、昨日かみさんにも伝えましたけど、もし、万が一、万が一のことがあれば、南青山か、タンボチェの丘の、あの龍ちゃん(故橋本龍太郎元総理大臣)の墓の横に、僕の墓を建ててください。その墓に「永久に龍さんと語る」と。これ僕の最後のお願いですけども、なぜかって言うと、龍さんとね、よく議論すると、「もううるさい!」とか「帰れ!」とか怒るんです。結構逆切れされるんですよ。ま、いわゆる、「怒る、すねる」だからね、龍さんは。だからね。もう何かあったら隣に僕の墓を建ててね、そうしたら龍さん逃げれないわけでしょ、一生、議論してやろうと思ってね。これが最後、遺言ですけど。じゃ、まっ、淳くんと二人で気をつけて、パーフェクトな登山をしたいと思います。ではナマステ!
2007年5月15日
音声ファイル(mp3ファイル)[5.97MB]
現地時間午前8時、5月15日8時、クリシナタマン、ペンバドルジ、アンカジシェルパ
カイラス、そして平賀淳、そして野口健とただ今登頂しました。
ちょっと、ホントはもう2時間ぐらい早く登頂したかったんだけど、結構苦しんで
ね、最後。でもなんとかなったな。やればできるんだな、やればできるんもんだ。
まぁ、なかなかの景色ですよ。これで、ネパール側、チベット側と、やっと両側そ
ろってね、これでやっと、僕の中でのエベレストがやっと終わったね。
もう、エベレストはお腹いっぱい、完全にお腹いっぱいになった。ただ風が吹いてき
た、途中、第2ステップと言う岩稜帯があるんだけど、かなりやばい。
かなりやばいんで、まだやることやってないんで、とにかく、相当気をつけないと、
ちょっとスリップしたら落ちちゃうんで、
相当気をつけて、写真だけ撮って、おりたいとおもいます。
色々葛藤はあったけど、来て良かったよ。
淳君も一緒に登ってくれたし、事務所の皆も協力してくれたし、若村さんも大変なときに頑張ってくれたし、
でも、これで生きて帰って戻れたら、この10年間のエベレストの作品は100点満点だな、と思ってます。
ほんでこれから、淳君とシェルパと、とにかく生きて帰ること、生きてかえんないと
な意味ないんでね。
まあ、俺はそう簡単に死なないしな。まあ、そういうことで、皆さんほんとうにどう
もありがとう、
おかげで念願のチョモランマの頂上に立てました。とにかく、多くの人が、チョモラ
ンマと書いた、
てるてる坊主をあげてくれたことでしょう。
ほんとにありがとうございました。
これから下りたいと思います。
それではほんとにありがとう!
2007年5月15日
音声ファイル(mp3ファイル)[5.49MB]
先ほどアタック隊が僕と淳君、シェルパ達が、ネパール時間の17時くらいに戻ってきました。アタックにかけた時間と、下山にかけた時間がそんなに変わらないじゃないかな。
じつは大変なことがありました。とっても残念なお知らせがあります。
山頂から電話で交信しているときに真横に日本の公募隊から来ている60歳代の男性がいました。日本人男性です。
そしてその公募隊と言うのは、私の山の大先輩の大蔵さん率いる公募隊です。
一緒に下山しようと、頂上で一緒に写真を撮ったりしたわけで、その後、一緒に下山が始めた。
下山中、もう一人60歳代の日本人女性が上がってきたのですが、
理由が理由だったんで、「もう下りろ」と山頂直下だったんですが、
サングラスもつけていないし、完全にヘロヘロだったので、「もう下りろ!」と言うと、
彼女は「行く」っていうから、もう怒鳴って、「いいから下りるんだ!」ってとか、思いっきり怒鳴って、
彼女も大蔵隊のメンバーなんですが、その彼女と、男性とうちのシェルパと下山を始めたわけです。
山頂直下の本当の雪面の、急斜面なとこですけど、男性が痙攣を始めて、一分もたたなかった。
彼の脈を計ったら脈がない。山頂直下の氷壁で、まず男性が、ショック死か、過労死かわかりませませんけど、亡くなりました。大蔵さんはとっくに下山をしていたので、その場に大蔵隊の人間はいないんです。
大蔵隊のシェルパがいるだけで、大蔵隊のシェルパも困っちゃって「どうするんだ」、健が判断してくれ、良く知っているシェルパだったんで、大蔵さんさんにもなかなか繋がらない、もう一人の女性もかなり、かなり危ない状況だったので、
僕の判断で、生きている人間をまず優先しようと、ただ、亡くなった方は何しろ8800m付近で亡くなってる。
当然遺体は平地には持って下りれない。ただ、少しでも下ろしてあげようと思って、100mくらい引きずって下ろしたのですけど、
僕らの体力もどうしても限界だった。遺族の方には本当に申し訳ないと思ったのですけど、彼の荷物を全部持って下りる余力もなく、
彼のザックを開けてお守りと、可能な範囲で、僕のザックに詰めて途中からその女性の方をレスキューしながらおりてきたのですが、
山頂直下に2、3時間いた。もう、自分の身の危険を感じ、また途中で吹雪かれはじめた、酸欠の影響もあったし、同じ日本人として、
出来る範囲、出来る限りのことをやることはやった。
今日そういうことが、起こるとは思わなかった。大蔵さんに途中から無線で連絡が通じて、大蔵さんも疲れた体のなかで、鞭打って、
もう一回8500mまで登りだして、今その女性と今現在、最終キャンプに向かって、彼女のレスキューしている最中です。
そんなことがありました。
大蔵さんが山の大先輩ですからフォローをするわけではないのですが、
そもそも僕はエベレストのツアー自体に無理があるのかなと。
山の世界と言うのは自己責任の世界ですから。そこにツアーって言うのがありえるのかなと。
今日下山中、こんな大事件があって、下りてくるまでに時間がかかりました。
明日、ABCに戻ります。
2007年5月15日
音声ファイル(mp3ファイル)[4.23MB]
昨日、日本隊の二人をレスキューしながら下りたんですけど、一人の男性の方が、山頂直下で8800m付近で最後、意識をなくして、新しく酸素を吸わせたんですけど、意識回復せず、おそらくショックしか、過労死だと言うことだと思います。大蔵隊に無線連絡したんですけどなかなか連絡つかなかった。
大蔵隊のシェルパと話をして、とにかく、山頂直下ですから、遺体を下まで降ろすことは不可能なんで、そこで判断して、大蔵さんに連絡がちょっと遅れたんですけど、雪の斜面の山頂直下の雪の斜面に亡くなった男性の方の遺体をロープで、フィックスロープにくくりつけておいてきました。彼の荷物はすべて持って帰る、余裕がなかったので、ザックを開けて、お守りとか、彼の持ってた日の丸とか、可能な範囲、持って降りました。
女性はですね、山頂直下で、一生懸命、「上りたい上りたい」と、男性は登ってましたけど、女性は登ってなかったんで、後から登ってきた女性も「上りたい」と言うんで、「もうだめだ!」と怒鳴って無理やり下ろしました。第一ステップ越えた辺りで8500mくらいでしょうか、大蔵さんがレスキューに上がってくれてきたので、そこでバトンタッチをして、大蔵隊のシェルパと、大蔵さんでレスキュー。
遺体のおいてきたときに、僕の判断としては、これ、冷たい意見なんですけど、亡くなった方よりも女性も極めて歩ける状況ではなかったのですから、まず危ない状況の日本人女性をまず、生かして降りそうと判断して、うちのシェルパと、大蔵隊のシェルパに日本人男性をなくなた場所から頭を切り替えて、女性を下ろすことに優先しました。
その男性の方の遺族の方には申し訳ないのですが、それが僕に出来るせいいっぱいのことで、亡くなった場所から、100mくらい下ろすのが、精一杯でした。
ほんと、遺族の方には本当に申し訳ないと思っております。
申し訳ございません。自分達の力では100m下ろすのが精一杯でした。
2007年5月16日
音声ファイル(mp3ファイル)[4.23MB]
今、ネパール時間で19時14分です。
何とか、ABCに帰ってきました。
もう、死ぬかと思いました!
今日は一日、今日はというか最近ずっときつかったです。
特に昨日の8000mでのマスクの故障による酸欠ですか、昨日はちょっと呼吸困難を起こしていたので、そのダメージがかなりあった。
ほんとにABCは遠かったな〜。
とりあえず、安全地帯に下りてきました。ただ、今夜から谷口ケイちゃんとパサン・ラムちゃんがアタックをかけますので、まだまだ緊張が続きます。
谷口ケイちゃんとパサン・ラムちゃんが無事にABCに下りてきて、今回の活動は終了、ということです。
あと何時間もしないうちに、多分2、3時間したらケイちゃんがアタックをするわけですから、明日の朝の彼女の報告を聞くまでは、また、彼女が帰ってくるまでは緊張が続きます。
もういい加減に緊張から開放されたいんですけど、そういう世界ですから。
とりあえず、野口健と平賀と3人のシェルパはABCに戻ってきました。
ほんとに皆さんいろいろとご心配をおかけしまして、どうも申し訳ございません。
色々と心配されているメッセージを書き込まれたと言うことを聞いて、申し訳ないな〜と思っています。
しばらく高いとこ行くのやめます、もう低いとこに行きます。せっかくダイビングの免許も持ってるし、これからは、より低いことに下って行きたいと思ってます。その前に、日本帰ったらしばらくのんびりぼけーっと、休みたいと思います。ほんとに心配をおかけしてすみませんでした。
無事に戻りました!
2007年5月16日
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