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「北京オリンピック〜チョモランマの悲鳴〜 」

 私がネパールなどで行っているトレッキングなどの山旅は「エコツアー」と呼ばれることが多くなった。自然に触れてさえいれば、なんでもエコツアーだと勘違いしてしまいそうだが、実はしっかりとした意味がある。日本エコツーリズム協会は、エコツアーを「旅行者に魅力的な地域資とのふれあいの機会が永続的に提供され、地域の暮らしが安定し、資源が守られていくことを目的とする」と語る。
現代の観光名所は、このエコツアーの考えを基準に、開発が進められている。
国内においても、白神山地、京都、原爆ドーム、屋久島などの世界産地を中心に、現地の自然と文化を尊重した、ルール作りが進められている。

 だが、それとはまったく逆行する流れで、チベットの観光化が進んでいる。2006年7月、北京とラサをつなぐ青蔵鉄道が開通した。全長1956kmに及ぶその路線が開通する前、チベットへは、空路か未舗装道路を使って入るかしかなかった。この鉄道建設により、2007年春シーズンから観光客は急増。
2007年中に、チベット高原を訪れた観光客は36万5千人。2006年の21万500人を大きく上回った。観光収入は1億3529万ドルにのぼり、前年比で122%の増加だという。
  一見して、チベット人は経済力をつけたかのようにも見える。しかし、そう簡単な話ではない。
私は1996年にはじめてチベットを訪れたが、すでにその時、町の宿やレストランは、漢民族によって経営されていた。そして、今、北京から鉄道を使って中国資本が次々と流入してきている。もともと経済的に弱い立場にいるチベット人達は、漢民族にまったく対抗できていないのではないだろうか。

 経済だけではなく、チベット人の文化や人権さえも危機的な状況にあるのだと思う。2006年9月30日。それを象徴するような出来事が、中国、ネパール国境のナンパ・ラ峠でおきている。雪の峠を越えようとするチベット難民の列に対して、中国警備兵が発砲。近くの山にいたヨーロッパの登山家達が、たまたまそれを目撃。ルーマニア人セルゲイ・マテイの収めたビデオ映像が、ネットで世界中に流されることになる。

  広大な雪原をチベット人たちが、列を成して歩いている。静寂な空気を切り裂くように発砲音が響いた後、先頭の者が倒れる。続く発砲で、もうひとりが射殺された。
  不思議なのは、仲間が撃たれても、チベット人たちが、淡々と歩き続けているように見える点だ。極度の緊張状態では、人は逃げることもできないのだろうか。その後のカットでは、中国兵が、何事もなかったかのように、タバコを吸いながら画面にあらわれる。

 当初、中国当局は、「銃撃事件は承知していない」とコメントしていた。しかし、ネット上に映像が流れてしまったためか、「自衛のために発砲した」と説明を翻した。 しかし映像では、無防備な状態で銃撃されているようにしか見えない。73人いた亡命者のうち、ネパールにたどりついたのは43人だったという。映像の中で銃撃されたのは、わずか17歳の尼僧ケルサン・ナムツォと23歳の男性だった。若い彼らでも順応できない過酷な社会に、チベットはなってしまっているのだろうか。現在、世界中に約13万4千人の亡命チベット人がいるといわれている。このような事件後も、リスクを承知で国外へ逃げるチベット人は、後をたたないようだ。

 そして独特のチベット高原の自然美さえも、そこから失われつつある。北京オリンピックでは、エベレスト山頂への聖火リレーがおこなわれるそうだ(オリンピックの運営者は、死の地帯とも呼ばれる標高8000m以上の山のリスクを本当に理解しているのだろか)。そのためになんと、エベレストのベースキャンプまで、舗装道路の建設を着工しているようだ。新華社通信によると「波形のガードレールで柵を巡らしたアスファルト舗装の高速道路」になる模様だ。さらに、ベースキャンプ周辺は、すでに多くのプレハブが建てられ、宿泊施設やお土産物売り場の建設をはじめているとの情報もある。

 自然をありのままに残そうという姿勢が、まったく感じられない観光開発。チベット登山組合は、「この計画は地域の発展と住民にとって良いことだ。地域に魅了される観光客や登山家が増えるであろうから」と語っているが、少なくとも私の山仲間でこの道路建築に賛成している人はいない。「第3の極地」とも言われるエベレストは、人の手の届かない隔絶された極限の山で、そこにあえて挑戦することに魅力があったからだ。観光バスで乗り付けられるようになれば、エベレストの神秘性は無残にも消えることになるだろう。もっとも、そのような登山家の叙情よりも、問題は環境保護だ。舗装路やベースキャンプの観光開発は、破壊的なインパクトを高地の自然に与えるだろう。そうなってしまえば、私が行ってきたエベレスト清掃登山も元の木阿弥。

 開発のフォローとして、中国政府がチベット周辺でどんな環境保護政策をしているのか調べてみて、唖然となった。チベットの遊牧民を、草原から街や村落へ移住させることが、「環境対策」なのだそうだ。新華社通信によれば、中国北東部青海省地域には中国の主要河川の水源があるが、この地域の環境を保護するためにチベット人たちを移住させるという。草原は、過放牧、砂漠化、気候変動などが原因でやせ衰えているとのこと。2007末までに約6万人の人々が移住を終え、2010年までにさらに4万人の移住を完了させるようだ……。そうなれば、チベット人の遊牧文化は消滅してしまう。現地の生活をまったく尊重しない、エコツーリズムとは対極の概念が、ここにはあるのだと思った。
 
  エベレストで行われる聖火リレーの模様は、テレビで中継される。この聖火を、チベット人はどのような思いで見るのだろうか。そしてこの聖火が、チベット高原にどのような環境変化を及ぼしたのだろうか。オリンピックの盛大なパフォーマンスに沸きあがる前に、私たちには考えるべきことが山ほどある。