グルジア隊員、ギーアとの出会い
前回の「みんなにヤッホー」にも書いたが、エベレストのような厳しい環境で長期間に渡って生活を行うためには、食事の充実が欠かせない。今回も日本から大量の日本食を持ち込んだ。ベースキャンプ用の食料と上部キャンプ用の食料とを整理しなければならない。
日本を発つ直前に慌てて食料調達したため、ギュウギュウ詰に積み込まれた食料の仕分けは困難だ。最初は
「これはベースキャンプ用」
とか言いながら丁寧に袋やドラム缶に詰めていたが、途中から、かなりアバウトになってしまい、結局どこになにがあるのかわからなくなってしまった。
我々は日本食を用意し、韓国隊員はキムチを、そしてグルジア隊員はいつもなにも持ってこず、好きなときに好きな方をつまんでいる。
グルジア隊員のギーアはネパール側からのエベレスト登山は初めてであり、アイスフォールの状況がイメージできないのか、ノンキに同じくグルジア隊員でドクターのズーラと昼寝なんかしている。
「うらやましいな〜」
ギーアは毎シーズン決まってヒマラヤの山々に挑戦し続けていて、僕とは96年のチョーオユ(8201メートル)で出会った。山の縁とは不思議なもので、実は、ギーアは僕がロシアのエルブルースに挑戦した際にサポートしてくれたロシア人ガイド、ギーナの大親友でもあった。
僕らが打ち解けあうのにほとんど時間は必要なかった。
97年、ギーナと一緒にエベレストに挑戦する事になっていたが、96年の暮れになってもギーナと連絡が取れなくなっていた。連絡が取れないまま、僕はエベレスト挑戦のためにネパールに向かった。その先のカトマンズでギーアと偶然会い、
「ギーナと連絡が取れないんだ」
と尋ねたら、
「お前、あいつのこと聞いてないの?」
と悲しそうな顔をされた。僕はその瞬間にギーナの言葉を聞かなくてもギーアの身になにが起きたのかわかった。
冒険の世界に身を置けば、繰り返されていく仲間の死。ギーアの投げかけた
「あいつのこと、聞いてないの?」
は彼の死を意味していた。ギーナは96年秋にヒマラヤで雪崩に巻き込まれ行方不明のままになっていたのだった。
その場で、僕は思わず涙が出てしまった。その横でギーナも目を真っ赤にさせ、
「お互い、ギーアの分もがんばろう」
と親友の死を無駄にさせまいと互いに心に誓った。僕にとってギーアとパートナを組む事で、どこかでギーナとつながっているような気持ちになれた。
今年もそのギーアと共に清掃登山を行う。 登山家の絆は強い。ギーアや李さんは僕の本当の仲間なんだな〜。
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