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遺体の埋葬





 やはりあまり寝られなかった。しょうがないのでテントの中で正座しながらボケーと時間をつぶしていたら、田附隊員のテントからうめき声が聞こえてきた。あいつも寝られないのかと、少し安心した。7時30分、起床するもあまりの寒さに寝袋から出られないでいた。8時30分、太陽の光と共に冬眠から起きた熊のようにノソノソとテントから出た。平賀カメラマンも「寝られなかったです〜」と目を擦っていたが、やはり谷口隊員だけが「あ〜よく寝たぁ〜!」と元気。

 午後から前回に発見した遺体の掘り出し、そしてクレパスへの埋葬を行なった。体の大半が氷に埋まり、体の周辺から掘り出すのだが、硬い氷にピッケルがなかなか入らず、2時間以上かけながら少しずつ掘り続けた。その遺体はキャンプ3辺りから雪崩で流されたと思われ、損傷も激しかった。頭部がなく、雪崩に流された際に切断されたと思っていたのだが、周りの雪が掘られていくうちに体の様子が分かってきた。驚いたことに頭部は首から折れ、胴体部分に埋め込まれていたのだ。雪崩の威力に皆で唖然としながら、途中から会話もなくなり、黙々とピッケルで氷を削っていた。そして 遺体の匂いにむせながらの2時間に及ぶ掘り起こし。遺体の周辺から発見された酸素ボンベが1973年製造。そして首についていたラマ教のお守りやその衣服からシェルパの遺体だろうと想像された。そして彼の荷の近くから日本食品が発見された。調べてみたら1973年の秋に日本隊のシェルパが一名遭難死していた。名前はザンブーシェルパ。彼の遺体をクレパスに埋葬し、キャンプ2に戻ったら、ガクッと疲れがで、食欲も無くなっていた。清掃登山を始めてから毎年のように遺体と対面し、埋葬しているが、辛い行いだ。

 この夜もやはり寝られなかった。そして田附隊員のうめき声が再びキャンプ2に響いたのだった。

2003年5月11日
キャンプ2にて 野口健