富士山から日本を変える
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富士山から日本を変える

「エベレストでゴミ問題を意識する」

 全国各地で講演活動やシンポジウムなどに参加するたびに、「環境を専門に活動されているアルピニストの野口健さん」なんて紹介される。それを聞くたびに、「ああ、大変なことになってきたな」と思う。確かにこれまでエベレストや富士山の清掃登山を行ったり、環境省ならびに東京都の委員を務め、エコツーリズムの推進に関わってきた。
 ただ、いわゆる環境に関する活動は、たかだかここ四年間のことに過ぎない。私は今年で登山を始めて十六年目だが、その内の十二年間は環境ということをまったく考えずにひたすら山頂を目指していた。正直に告白すると私自身、これまで山にゴミを置いてきている。缶や瓶などといった、明らかに残ってしまうゴミはあまり置いてきてはいないが、最も厄介なゴミを世界各地の山に残してきた。それが糞尿だ。当時、糞尿がゴミになるという認識はなかった。しかし糞尿こそが厄介なのだ。氷河上にはバクテリアが存在しないため、糞尿は分解されず、そのまま残ってしまう。そして水源地が汚染されてしまうのだ。

 ゴミの問題を初めて意識したのは一九九七年に初めてエベレストに挑戦したときだった。事前にビデオやテレビ番組、写真集などあらゆるエベレストに関する情報を頭に叩き込み、イメージトレーニングを重ねた。しかし私が降り立ったエベレストはそのイメージを覆すものだった。ベースキャンプの至るところにゴミが散乱しており、白銀の厳しい世界とばかり思っていた私は正直、面食らった。ただその驚きも長くは続かなかった。この年は遭難者が続出して、多くの方が命を落とした。私はただただ頂上を目指し、生きて帰ってくることに精一杯で、ゴミどころではなかった。

「七千メートルを超えた世界でゴミを拾う欧米人」

 しかしそのときに信じられない光景を目にし、自分も経験することになる。私はこのとき国際公募隊の一員として参加していた。故に欧米の登山家たちとパーティーを組んで登っていたのだが、七千メートルを超えて、明らかにつらいにも関わらず、彼らがゴミを拾い出したのだ。このときの驚きは筆舌しがたい。一キロでも荷物を軽くするためにあらゆる戦略を練るのが普通なのだが、彼らはゴミを回収している。
 「何でここまでやるんだ」と思い、正直、その行動の意味が理解できなかった。

 アタックに備え、ベースキャンプで五日間、身体を休めることになった。私はほっとしていた。しかし隊長のラッセル・ブライス氏が突然に「五日間あるから、ベースキャンプの周りを清掃しよう」などと言い出した。私は疲弊しきっており、「冗談じゃない」と思っていた。「ノー」といおうとしたが、他の隊員が「グッドアイデア!!」なんて盛り上がってしまい、「ケン、お前も来るか?」といわれ、思わず「イエス・オフコース」と言ってしまった。

 結局、そのときは嫌々参加した。そして韓国隊が残していったゴミを拾い始めた。その内にだんだん頭にきて「コリアンだからゴミを捨てるんだ。日本人はこんなことしないよ」と言ってしまった。本当は日本の山も汚いのだが、私もずるくて黙っていた。すると他の欧米人も「そうだよな、コリアンってマナー悪いよな」と盛り上がり始めた。大体、人の悪口を言うときは盛り上がってしまうものだ。

 しばらくすると長年付き合っていたシェルパ(案内人)が「ケン、こっちにこい」と強い口調で言った。彼らは普段、非常に穏やかだから、「何か変だな」と思いながらついていった。彼は岩陰まで私を連れて行ってくれたのだが、そこには韓国隊のゴミよりもはるかに多い、日本語が書かれたゴミがうずたかく積まれていた。

「日本は経済は一流だけど、文化、マナーは三流だ」

 それを見たヨーロッパの隊員が今度は打って変わって、日本の文句を言い始めた。日本隊が残していったゴミを指差し、「日本は経済は一流だけど、文化、マナーは三流だ」と言った。私は非常に憤慨した。このゴミは過去の日本隊が捨てたゴミであり、日本隊のマナーが悪いということであれば「ソーリー」ですんだのだが、一部の日本の登山家達が置いてきたゴミを指差して「これがお前ら日本だよ」と言われたことが承服できなかった。
 しかし私はゴミの山を前に返す言葉もなかった。ただ、だからといって謝る気も起こらなかった。昔からよく思っていたが、日本人は西洋人に何か言われるとすぐにペコペコ謝る悪い癖がある。私は高校時代をヨーロッパで過ごしたが、彼らの日本バッシングはある種の趣味だ。よく出てくるのがクジラの問題。クジラの数が減ったのは日本人のせいで「野蛮人」だと言う。しかし、歴史を振り返っても、このことは一九二〇年代に西洋人がランプのオイルのためだけにクジラを乱獲したことに起因している。
 ノルウェー人やイヌイット、そして日本人もクジラを採ったが、伝統的な食文化の中で、バランスを保ちながら、大事にクジラを採ってきたわけだ。しかし彼らは自らの歴史を省みずに責任転嫁する。私はことあるごとに彼らに反論してきた。こういうときに「ソーリー」などといってはいけない。

「一部の山岳関係者からの圧力」

 しかしエベレストの日本のゴミを前に、私は一切の反論ができなかった。結局、そのときは登頂も果たせずじまいだった。帰国後の記者会見の席で私は「登頂できなかったのはつらかったけど、エベレストには日本隊の捨てたゴミが随分あって、それで日本を否定されたのがもっとしんどかった」とコメントした。別にこのときゴミを回収しようとか思っていたわけではない。ただついついゴミの問題に触れてしまったに過ぎない。
 その後、エベレストのゴミのことがポツポツと記事になった。「エベレストに日本隊のゴミ 野口健報告」といった感じだった。すると、山岳界を中心に方々から圧力がかかり始めた。「過去の日本隊の栄光に泥を塗る気か」といった具合だ。要するに「黙れ」ということだった。

 私は黙らなかった。圧力に屈して目をつぶるのは簡単だ。英語ならどこの国の隊かわからない場合もあるが、日本語だと一目瞭然だ。そもそも仮に私が黙っていたとしても、エベレストには世界中から登山家、更には世界中のメディアも集まるわけで、そう遠くない将来に必ず日本が叩かれてしまう。私はそれを恐れた。

「自分でも驚いたエベレスト清掃登山宣言」

 それから二年後の一九九九年に念願のエベレスト登頂を果たした。就職の内定ももらっており、今後は山とは異なる人生を送ろうと思っていた。しかし記者会見の席に座ると記者さんから「次の冒険は何ですか?」といった質問が飛び出した。私としては「登頂しました」という報告だけのつもりだった。しかし「当然、何か発表があるんだろう」という期待ともいえる視線をひしひしと感じてしまい、「何か期待にこたえなければならない」などと感じてしまっていた。そして口から出た一言。
 「来年から四年連続でエベレストに行きます」
 これには私自身が一番驚いた。しかし記者さんからの飛び交う質問に「エベレストには過去、日本隊が残して言ったゴミがある。それを回収する。中国側とネパール側を二度ずつ四年かけて8千メートルまで行う」といったように考えながら答え、答えては考え、まるで何年も前からエベレストの清掃登山を計画しているようにたんたんと発表してしまったのだ。

 登頂までの三年間、私は「黙れ」と言った一部の山岳関係者にも、「日本は三流だ」と言ったヨーロッパの登山家にも怒りを感じていた。そのような気持ちがずっと私の根底に残っており、それに火がついたのだと思う。今思うと、エベレスト清掃登山は、日本を侮辱した西洋人に対する挑戦状であり、それを変に隠そうとした一部の山岳関係者に対する挑戦状でもあった。このような経緯でスタートしたのが、エベレスト清掃登山であった。


「ゴミを捨てるのは国民性」

 エベレストには分解して土に返る役割を果たすバクテリアがいない。そのため、生ゴミや糞尿も全てそのまま残ってしまう。エベレストでは全てがゴミになってしまうのだ。
 エベレストのゴミは、大きくわけると二種類あった。比較的標高の低いベースキャンプには、私達が普段暮らしている中で出るゴミと何ら変わらない。エベレストに挑戦する際には、徐々に高所に身体を慣らしていくため、二ヶ月ほど滞在する必要がある。つまり生活をエベレストに持ち込むわけだから、生ゴミ、プラスチック、ダンボール、瓶、缶といったように日常生活で出るゴミと何ら変わりはない。
 標高の高いところに行くと、テント、ロープ、酸素ボンベといった登山道具に変わっていく。標高の高いところではアタックをかけるため、一泊か二泊というように滞在日数が少ないから、日常生活で出るようなゴミは少ない。八千メートルの世界では、生命の危機に瀕する場合も多々ある。故に下山をする際に少しでも負担を軽くしようと荷物を置いてきてしまう。その気持ちはよくわかる。私自身、酸素ボンベを三本、山頂直下においてきたことがある。ただあの時はどうしてもおろせなかった。死んでまでゴミを持って来いとは思わない。その罪滅ぼしではないが、私はその後、酸素ボンベを五百本回収した。

 やむをえないゴミもあると思う。ただ標高の低いところは、その処理はどうにでもなる。ゴミを持って帰るには輸送費などのお金がかかるため、金銭的な負担を減らすために置いていくケースと、ゴミを捨てるということに何の疑問も抱かない人もいる。
中でも非常に印象的だったが、ゴミを捨てる隊と捨てない隊は国によって分かれるということだ。ちゃんとゴミを持って帰るのはドイツ、デンマーク、ノルウェー、スイスといった国で、ガバっとゴミを置いて帰るのは、日本、中国、韓国、インド、ロシアといった国々だ。
 環境教育が進んでいる国は国自体もきれいで、ゴミの問題にもしっかりと取り組んでいる。逆もしかりだ。私は当初、日本隊の捨てていったゴミを見て、日本の登山家のマナーが悪いと感じていたけど、そんなちっぽけな問題ではなく、結局は国民性の問題であり、その国の教育が問われているということに気づいた。

 四年間、エベレストの清掃登山を行ってきて、最も嬉しかったことがある。昨年、最後の清掃登山に行ったときのことだ。東京農業大学の山岳部のメンバーがエベレストに挑んでいたのだが、彼らは徹底的にゴミを持ち帰っただけではなく、ベースキャンプで食器を洗う際に、汚水を出さないために、フィルターをかけてから水を流し、トイレもしっかりと持ち帰っていた。更に彼らは登頂も成し遂げた。彼らは他の国々の登山家からも評価が非常に高かった。七年前には「日本は経済は一流だけど、文化、マナーは三流だ」と言われたことを考えるとこれが大きな前進だ。日本から環境を意識した登山隊が出てきたことが正直、ものすごく嬉しかった。彼らの姿はこれからまさしく日本が変わっていくんだということを象徴していたと思う。


「お前ら日本人は、ヒマラヤをマウントフジにするつもりか」

 一九九七年に初めてエベレストに挑戦したとき、実はもう一つ気になる言葉があった。「お前ら日本人は、ヒマラヤをマウントフジにするつもりか」というものだ。
私は当初、この言葉の意味がわからなかった。私達のような登山家は、大抵、冬の富士山に登る。冬の富士山は一面が氷河に覆われ、一面が銀世界。ゴミなどなかった。僕の知っている富士山はそういう世界だった。故に彼の言葉の意味がわからなかったのだ。
エベレストの登頂を終え、ふと九七年にヨーロッパの登山家が言っていた不思議な一言を思い出し、初めて夏の富士山に登った。そこには私がこれまで見てきた冬の富士とはまるで異なる姿があった。
 富士山に登る方の大半は五合目まで車で移動するのだが、まず驚いたのが、渋滞ができていること。私は渋滞があれだけ起こっている山を見たことがない。更に五合目にはまるで原宿の竹下通りにあるようなお店がたくさんある。疲れた登山者を乗せるための馬もいて、登山道は馬糞だらけ。山小屋も全部ではないが、まるでバラック小屋のような雰囲気で、ぎゅうぎゅうにお客を入れて、接待も悪い。
 そして山小屋の裏にはゴミが大量にある。トイレも垂れ流しの状態で岩肌にペーパーが絡みつき、カピカピに乾燥して岩肌の一部になってしまっている。富士山にはシーズンには三十万人から四十万人もの人が集まる。その人たちの糞尿がただただ垂れ流されているのである。考えただけでもぞっとする。
 中でも一番、驚いたのが山頂である。世界中の山を見てきたが、山頂に立った瞬間に自動販売機が、「パンパンパーン」と並んでいる光景を見るのは初めてだった。
ヨーロッパの登山家の言っていた一言の意味がよくわかった。

「富士山は日本のシンボル」

 私は父が外交官をしていたため、高校時代までの大半を海外で過ごした。大使館には日本を案内するためのパンフレットがあるのだが、そこには決まったように富士山の写真が出てくる。私はそれを見て育ってきたので、幼い頃から富士山は日本のシンボルだという認識があった。初めて夏の富士山に登って、日本のシンボルである富士山が本当にこんな状態でよいのかと強い疑念と憤りを感じた。故に私はエベレストの清掃登山を始めた年から富士山の清掃登山も始めたのである。

 毎日新聞、産経新聞、地元のNPO団体「富士山クラブ」などと連携してキャンペーンをしてきたが、徐々に意識の変化を生んでいると思う。実際に五合目から上のゴミが随分なくなった。
更に一般の登山者が片手にゴミ袋を持ちながら、ゴミを拾っている姿が散見できるようになった。年々、清掃登山への参加者も増えてきている。あるときは六百五十人も集まった。そもそもゴミを拾うために、お金をかけて全国から集まってくるということ自体、当初は考えられなかったことだ。それだけ見ても富士山というものがいかに日本のシンボルとしての存在かということが見えてくる。また五合目にある「佐藤小屋」のように自分達が負担をしてバイオトイレを設置するという動きも出てきている。登山者も山小屋も変わりつつある。

「おぞましき樹海の実態」

 しかし問題はまだある。一つは樹海だ。県道沿いから様々なゴミが捨てられている。たとえばドラム缶、廃材、タイヤ、車、生活用品、家電製品、トラックなどだ。以前、地元のNPO団体である「富士山クラブ」がドラム缶を二百数十本回収した。ドラム缶の中には硫酸ピッチが入っていたが、その大半が、流れ出してしまっていたという。
 実際に私達も樹海の清掃をした際に、土壌がヘドロのような臭いで、ひどく汚染されていたことに衝撃を受けた。周辺のゴミは全て回収したものの、土壌までは救えなかったのである。どのように土壌の汚染を食い止め、改善していくか。私には正直、その方法がわからない。私は樹海への取り組みを様々な方に相談してきた。だが多くの人が「樹海には手をつけるな」と忠告をしてきた。
「不法投棄を行う輩には様々な方がいる。できればそこに触れない方がいい。そんなことよりもイメージとしての環境問題をしていた方が利口だよ」といった具合だ。

 私は富士山の再生は樹海を含めて行わないと何ら意味を持たないと思う。五合目以上よりも樹海の方が明らかに被害が甚大だ。樹海は人目にあたらない。だからこそゴミが捨てたれる。故にそこにフォーカスをあて、問題提起していかない限り再生はありえない。
 これまで嫌がらせも多かった。正直、身の危険を感じたこともある。やめようと思った時期もあった。ただやめてしまうと彼らの思うツボだ。時にリスクを抱えてもやらなければならないことがある。大事なことは続けることで、いずれこれが国民運動につながっていけば、嫌がらせもなくなるだろう。私は諦めない。


「ゴミがなくても世界遺産にはならない」

 またこれが一番の問題なのだが、富士山の管理体制の変革が必要だ。コマーシャルでも取り上げられていたように巷間「富士山はゴミがあるから世界遺産にならない」と言われている。しかし仮に全てのゴミがなくなっても富士山が世界遺産になるのは到底無理な話だと私は思う。富士山へ向かう県道にはあちらこちらにラブホテルの看板が立ち並び、登山道にも外灯があふれている。山頂には自動販売機だけでなく、電話ボックスもあるように人工物が多すぎる。トイレも垂れ流しだ。
 国立公園の監督官庁である環境省は何もしていないに等しい。富士山は山梨県と静岡県にまたがっており、更に林野庁も絡み、ぐちゃぐちゃで管理の一元化ができていない。富士山では一部のボランティア団体が、バイオトイレを設置するなど、環境保全活動を繰り広げているが、そもそも国民の財産である国立公園は行政サイドでしっかりと管理すべきものだ。

 私は特段、富士山が好きで好きでたまらないから富士山の清掃活動をしているわけではない。富士山で起きている状況というのは、日本全国で起きている。富士山の縮図がどこにでもある。だからこそ日本のシンボルである富士山を変えることにより、環境維新ともいうべき良き流れが日本全国に広がることを期待しているのである。今後も富士山の樹海も含めた清掃、そして管理体制の改善に全力を尽くしたい。日本のシンボルである富士山が変われば日本も変わるに違いない。

4月16日 野口健