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「スイス・アルプス挑戦記録」

*2006年8月に野口健は重度障害者の方々とスイスアルプスを目指しました。これはその際の挑戦の日々を野口健が綴ったものです。


2006年 8月3日 スイス・アルプス新たな挑戦

昨年の秋、一通のお手紙が私の元へ届いた。内田清司さんという障害者の方からのお便りだった。お手紙には「交通事故に遭い下半身麻痺ですが、どうしてもヨーロッパ・アルプスの頂に立ちたい。一緒に登ってください」と書かれてあり、驚き、困ってしまった。なにしろ内田さんとも会ったこともなかった。ただ「障害者が挑戦することに回りが消極的」と書かれてあり、その言葉に反応していた。エベレストには毎年のように色々な障害者の方々が挑戦される。今年は両足義足の方がエベレストに挑戦し見事登頂!過去にも目の不自由な方や肺がんの患者さんなど障害者と健常者がチームを作り一緒に冒険している姿を何度も目にしてきた。2003年、同年代のアメリカ人登山家が癌を宣告され残りの人生を憧れのエベレストに賭けたいと挑戦した。片方しかない肺で苦しそうに高所で氷壁を登る姿から正直、登頂は厳しいだろうと感じていたが、彼はハンディーを乗り越え世界最高地点に立った。ベースキャンプで彼と再会したときは抱き合って喜び合った。
彼の名刺には「がん患者登山家」と書かれてあり驚いた。「こんな体でも絶えず挑戦することで同じような病気で苦しむ人たちに勇気を与えたい」との言葉に全身で感動した。内田さんからのお手紙を読むうちにエベレストでの出来事を思い出し、この登山を成功させれば日本でも障害者の方々が後に続けと色んな分野で活躍するきっかけになるかもしれないと隊長を引き受ける事にした。それからもう一人仲間が増えた。内田さんのお友達の井出今日我君。筋ジストロフィーを患う16歳の少年だ。井出君も一緒にヨーロッパ・アルプスのブライトホルン(4164m)を目指すことになった。それからスキー場で二人に橇に乗っていただき引っ張り上げるトレーニングを行ってきた。登山活動はいつでもリスクを背負うもの。健常者とてヒマラヤで命を落としている。リスクは障害者だけについてくるものではない。どうしても不利になる部分はトレーニングと仲間達のサポートで補っていけば冒険が出来ることを私は証明させたい。登頂予定日は8月6日です。


2006年08月04日登山隊現地入り

8月2日、障害者の方々とスイスにあるブライトホルン(4164m)に挑戦するため登山隊はマッターホルンの玄関口でもあるツェルマット入りした。18歳の時に初めて訪れてから2回目。とても懐かしい。

それにしても町があまりにも綺麗過ぎてゴミ清掃家?としてはなんだか活躍の場が見出せないなぁ〜 ちょっとした職業病かな。排気ガス対策として町には電気自動車しか走っていない。徹底的に規制されているわけで、ここまでやるかと思うほど綺麗に管理された町。 3日は地元ガイドの方々、ツェルマット観光協会の方々と打ち合わせ。

明日は高度順応と偵察を兼ねてブライトホルンの山頂まで登る予定。障害者である内田さん、井出くんとは天候が良ければ明後日、山頂を目指します。ただ、私はよく雨男と言われますが、私が現地入りした昨夜から天候が崩れ今日も朝から雨。明日はどうなるのだろう?それにしてもスイスの物価は驚くほど高くちょっと食事しても数万円がすぐに吹っ飛んでいく。日本人が物価が高いと感じるのだからよっぽどだ。 ツェルマットの気温は夕方になると長袖がないと寒い。明日、晴れますように。

東京の自宅と違いスイス入りしてからは本当によく寝られる。しっかり寝ることはなによりも大切。寝てさえいれば忙しくとも体が持つ。帰国すればまた寝られない日々が続くのだろうから、スイスで寝だめしておきます。おやすみなさい。


2006年08月05日スイス 吹雪のなかのトレーニング

今日は3800m地点で高所順応と橇を引っ張るトレーニングを行いましたが、猛吹雪。かなり寒かった。ブライトホルンに登る予定でしたが、現地ガイドが「この天気では無理」と判断し、今日の登頂は諦めました。温暖化の影響なのか、現地ガイドは「今年は氷河の状況が良くない。クレパスが多く、ブライトホルンに登山した人たちも何人もクレパスに落ちている。(ロープを付けているので皆助かっていますが)気をつけてほしい」と忠告を受けました。12時過ぎまでトレーニングを行いツェルマットに戻ってきました。今年のヨーロッパ・アルプスは荒れています。

午後5時からツェルマットで記者会見。地元のメディアも集まり記者会見は約2時間続きました。明日、障害者の内田さん、井出君とブライトホルンにアタックする予定ですが、今日のような天候では無理。明日、晴天ならアタック。天候が回復しなければ明後日に延期。どうか天候が回復しますように。それにしても、今日の吹雪の中でのトレーニングは寒かった。なかなか過酷な登山になりそうです。

それにしても筋ジストロフィーの井出君が記者会見で「最初は自分の夢の為に頑張ろうと思いましたが、今では自分達がやることによって同じ障害者に勇気をあたえたい」と発言した時の彼の凛とした姿に感動した。僕が16歳の時にそんな事は考えなかった。そんな彼らと一緒に冒険が出来ることを誇りに感じています。


2006年08月06日サウナで冒険!

残念ながら早朝から大雨。昨日より天候が悪い。私が参加せず来なければ天候が良かったのかもしれない・・・。ブライトホルン、アタックは明日(6日)に延期。今日はツェルマットの町を散歩したり、また午後からホテルのサウナでノンビリと過ごしました。

ただ、驚いたのがサウナ。なんと混浴スタイルであり、なおかつサウナ内では水着などの着用は禁じられており、スッポンポン。裸なのだ。カメラマンの淳君と前を隠しながら恐る恐るサウナに入っていると、ドイツ語を話す若い女性2名が堂々と何も隠さずに入ってくるではないですか!それも4人がやっと入れる小さなスティームサウナ。スイス入りしてからずっと雨に降られなんとも気持が落ち込んでいたのがこれで完全にスッキリと気持が晴れ渡り、僕も淳君もルンルン気分になれました。男とはこうも単純な生き物なのかと情けなくなりましたが、きっと健全で健康な証なのでしょう。やはり美しいものはいいですねぇ。よく北欧などでは男女が裸で一緒にサウナに入ると聞いていましたが、スイスもそうだったんですねぇ〜 でもあんな時は男よりも女性の方が平気なんですねぇ〜 全然、気にしていないんです。上も下もまったく隠さないんですから。逆に僕と淳君が出来るだけ端っこで息を殺しながらジッと小さく控えめになっている姿に笑われてしまいました。帰国までにもう一回、サウナに入れるチャンスがあるかな?(ちなみにこれはセクハラではなく、衝撃的な実体験を報告したまででありますので、お気を悪くなされないでください。あくまでも報告事項であります)

明日こそ、晴天の中、ブライトホルンの頂を目指したいと思います。それでは、遠い日本からアタック成功を祈っていてください。それではお休みなさい。それにしてもサウナでの景色が頭から離れない・・・。


2006年08月07日 一時撤退、明日再挑戦

午前5時30分、起床。晴天とは言えないものの所々からうっすらと空が見え、これはなんとかブライトホルン登山を開始できるだろうと出発。ロープウェーイの中からマッターホルンの姿が見えた時は歓声が上がったが、真夏であるのに雪がべっとり付いた白い峰にこの数日雪が沢山降った事を物語っていた。

しかし、7時過ぎから雲行きが怪しくなり筋雲にかさ雲が目立ち始め嫌だなぁ〜と思い始めたら、みるみると天候が悪化。10時過ぎには吹雪になり、アタック中止。12時には撤退。

明日(7日)が最終日。明日は多少悪天候でも可能な限り一歩でも山頂を目指して進みたい。無理はしたくないが、次のチャンスはなかなか実現しないでしょうから、登頂できる、出来ないというよりも、厳しい条件の中でも挑戦したんだと、内田さん、井出君に手ごたえを感じて欲しい。笑っても泣いても明日が最終日。冒険の世界にリスクはつきもの。そこには健常者も障害者もない。大切なことは最後まで諦めないこと。ベストを尽くすこと。日本の皆様、スイスの天候をお祈りください。宜しくお願いします。それでは、おやすみなさい。


2006年08月08日 ブライトホルン登頂ならず しかし大きな第一歩

午前7時30分、ブライトホルン登山口のクラインマッターホルン(ロープウェイ駅)に到着。8時過ぎに出発を予定していたが、内田さんを担ぐロボットスーツの準備・調整に時間がかかり、9時30分過ぎにアタック開始。井出君は橇。内田さんはロボットスーツでのスタート。同行の医師が絶えず2人の体温と血中酸素濃度を確認しながらの登山。11時過ぎに昨日同様に雲の中に入ってしまい、風も強くなり状況が厳しくなるぞ!と身構えたらスーと雲が流れ青空が現れた。

今まで見えなかったブライトホルンの全容が目に飛び込んできた。最後の最後で天候が見方した。それから必死に橇を引き、内田さんも途中からロボットから橇に乗り換えグングンと山頂を目指して進んだ。

そして午後12時、ついに時間切れ。4000m地点が我々の最高到達地点となった。予定通りに8時にアタック開始が出来ていればと悔いてみたが、ただこの高所でロボットスーツが人を担いで進んだこと自体が歴史的な出来事であり、内田さん達もスタートが遅れてしまった事には納得されていたのが救いだった。

確かに今回はブライトホルンの山頂には立てなかったが、それでも厳しい環境の中でさらに厳しい条件でよくあそこまで到達できたと思う。

井出君が「ここが僕の頂上。諦めないで頑張ってよかった!」と涙ながら語っている姿を見て隊長を引き受けて本当に良かったと感じていた。重度障害者との4000M峰登山は最初から相当のリスクは付き物だった。その中で精一杯、みんなでベストを尽くせた。

登頂は出来なかったが、それでも大きな意味があった。内田さんや井出君と一緒に冒険出来たことは僕にとっても素晴らしい経験だったし、なによりも彼らの決して諦めないという姿から学ぶべき事があまりにも多かった。障害者と健常者が1つになって冒険をした。そしてやれた。この冒険は間違いなく次に繋がる。

注目されていただけにプレッシャーも大きかったはず。そのアクションを起こした内田さん、井出君の勇気に僕は感動しました。本当にありがとう。ここに来るまで色々あった。なかなかコミュニケーションが取れなかったり、また登山に対する互いのイメージに大きな開きがあり、議論をしたり、時に感情的になり声を上げることもあった。隊長を辞退することを考えたこともあった。

ただ、こうして1つの夢が実現し色々あったことも今となっては全て良し。そしてまたやろう!と心に決め下山した。明後日、帰国します。これで肩の荷が下り、帰国したら少し休ませて頂きたい。今夜は気持ちよく眠れそうです。


2006年08月10日スイスから帰国

8月9日、スイス・ブライトホルン登山を終え帰国。僕がスイス入した日から天候が崩れスイスを出国する日はドッポーカン(晴天)。そして帰国してみたら成田で大雨。正真正銘の雨男。またやってしまいました。
 
昨日は戻ってきてから掃除に追われました。しばらく離れていた為か、いやはや、まるで富士山の樹海清掃のようでした。(樹海のように美しい?) 今日から3日間休み。明日から実家のある京都にでも里帰りしようかと思います。それにしても日本は暑いですね。あの寒かったツェルマットが嘘のようです。徹底的に管理され完璧に美しいツェルマットから戻ってみると、このまとまりのない無計画な東京にちょっとホッとしました。なんというか生活感なのかなぁ〜ツェルマットはデズニーランドの中に町があるような、確かに美しかったけれど、あの町に住んだら肩こりそう。

ただ、日本はヨーロッパの都市計画に学ぶべきものが多い。海外の素敵な町に行って感動するだけにで意味が無い。その経験から、じゃあ日本をどうするのかと、そこに繋げていかなければせっかくの海外経験も自分の中だけで終わってしまう。大切な事は自分の国をより素敵にするということ。 それもそうと、今日から3日間は難しい事を考えずただただボケーとしたいと思います。いつ以来の休みかなぁ〜。野口健事務所に労働組合があれば訴えてみたいものです。