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「シミガオン村の人々に癒された夜」

ロルパ氷河湖での視察を終え帰路は徒歩で。エベレスト街道と大きく異なりロールワリング地方は外国人トレッカーなどの姿はない。年を通してもほんの一握りの外国人トレッカーが訪れるのみ。したがってエベレスト街道のように豪華なロッジからパン屋さんにバーにイタリアレストランはない。そのかわりシェルパ達の本当の?姿がここではみられる。ヤクの放牧の様子であったり、また畑仕事であったり、そして外国人慣れしていない村人は英会話こそできないが、目が合うと皆ニコニコと笑ってくる。そして我々一行が珍しいのか村人が集まってくる。片言のネパール語で話しかけると「キャーハハハ」と大笑い。みなとても人懐っこい。

久々の緑に目をうばわれる野口

村の食道を出る野口、ご馳走様でした!

おっかない粗末な橋にビビりながら渡る野口

そしてベティン村から約8時間下ってやっとシミガオン村へ。二件ある山小屋が二件とも冬季とあって営業していなかった。すでに夕暮れになっており、さて困ったぞ!とダワタシ・シェルパが知り合いの家に泊めてほしいと交渉。そしてすぐに宿泊先が決定。村人はみなやさしい。民家にお邪魔することとなり、荷物を降ろして囲炉裏の横に腰を下ろしたら、家の主の娘がすぐにミルクティーを振る舞ってくれた。目が合うとニコッと、その健気でまたシャイな笑顔にハッと吸い込まれそうになってしまった。彼女の名前はカンディキ。不意打ちをくらったように、また鳩が豆鉄砲くらったように、おそらく僕は無意識のまま、茫然とその彼女を見つめ続けていたに違いない。そんな露骨な視線に彼女は少し戸惑っていたのか、僕から目線を逸らしては、またこちらにチラッと目を合わせ、そしてまた目を逸らす。その繰り返しがしばらく続いた。

シミガオン村でお世話になった民家

カンディキさんのお父さんはガイドとして多くの登山家を山に案内してきたベテランガイド。僕があまりにも娘ばかりを凝視していたので心配したのか、しきりにロルパ氷河湖はどうだったか?などと質問を繰り返してきたがなにを質問されても上の空。

平賀カメラマンも彼は彼でカンディキさんの妹のパリさんばかりに気を取られ、二人して冷静さを失っていたようだ。約一ヵ月間に及んだヒマラヤの氷河を巡る旅にもうじき幕を閉じようとしてふと気が緩んだのか、彼女達がマキにフウーフウーと息をかけ、火を起こし、ミルクティーを湧かしてくれている姿にどれだけ癒されたことか。昼間のマオイスト達とは天と地獄の差があった。ベティン村に到着するまでは疲れていたのか平賀カメラマンと「もうしばらく山はいいよ!」と愚痴っていたのが嘘のように二人してハイテンションになってしまった。やはり女性は神様でしたぁ。

民泊した家の美女に囲まれてハッピーな平賀カメラマン!

夕食後、村人の歓迎を受け、そしてそのまま野外でのダンスパーティーがスタート。

シミガオンの村人から歓迎を受ける

よくリズムが分からない現地の歌に合わせて、それでももうリズムなどお構いなし、好き勝手に盆踊りを披露。たらふく飲まされたチャン(地元のドブログ・地酒)に酔いに酔い、実に気持ちの良いダンスだった。ダンス後、カンディキさんが「私は村の診療所でナース(看護婦)をやっています。咳は大丈夫ですか?」と高所で肺を痛め咳き込んでいる私を気遣ってくれまたまた感動!次回の野口隊には担当医としてカンディキさんが同行する事になりました!これでヒマラヤでの健康管理もバッチリです。

シミガオン村でのダンスパーティに参加



カンディキちゃんとさらに盛り上がるダンスパーティー

ミシガオン村のナース白衣の美女・カンディキちゃんと

そしてシミガオン村では2001年のエベレスト清掃活動の時に同行したドルジ・シェルパとも再会できた。彼は1980年の植村直己さんが隊長を務めたエベレスト冬季登山隊(日本山岳会による登山隊)にクライミング・シェルパとして参加。日本隊員の一人が7300M付近で亡くなり、その時のレスキュー中に手の指の大半を凍傷にやられ失ってしまった。それでも不屈の精神でその後も第一線でヒマラヤ登山を続けてきたシェルパだ。エベレスト清掃活動でもベテラン・シェルパとしてリーダーシップを発揮してくれた私の大切な仲間だ。

1980年の冬季エベレスト登山隊に参加し凍傷を負ったドルジ・シェルパさん

彼はよく短くなった指を擦りながら「植村さんは優しかったと言った。私を含め3人のシェルパが凍傷で指を失った。その内の一人は指を切断する時の麻酔が原因で死んでしまった。それから植村さんは私たちを支援し続けてくれたんだよ。日本からお金を送ってくれたし、ネパールに来た時も必ず私たちに声をかけてくれた。本当に優しいボラサーブ(隊長・旦那さま)でした。だから指を無くしても日本人を恨んではいないよ。本当に優しかったんだから。それにほら、確かに指は短くなったけれど力は全然衰えてないよ」と僕の手を力強く握ってくれながら、植村直己さんのお話をしてくれる。その手はとても温かい。僕はそんなドルジさんの手が大好きだ。

翌朝、カンディキさんや家族たち、そしてドルジさん、また多くの村人に別れを告げカトマンズへ向けシンガティー村へ下ることとなりました。あ〜せめてあともう一日だけでも、このシミガオン村で過ごしたかった。別れ際、バイバイと手を振りながら目頭が熱くなっている自分に「俺もまだまだ若いなぁ〜 そう!この感覚!そう、これが大切なんだよ!これが!」と声を掛けまた自身を慰めていました。また、会えるさ! ナマステ!

左から野口、ドルジさん、ダワタシさんと!

2008年 1月19日 カトマンズに戻る 野口健