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「野口健とマタギの工藤光治氏の対談」

*青森県弘前市にてマタギの工藤光治さんと野口の対談「NHK地球大好き環境キャンペーン マタギに学ぶ森の文化 〜野口健・工藤光治対談〜」が行われました。野口と工藤さんは2000年に地元民放局の番組撮影で初めてお会いし、それから毎年交流を続けています。

野口

工藤さんと初めてお会いしたのは2000年の夏でしたよね(8月14日2泊3日)テレビの仕事でしたよね。あの収録は大変で戻ってきたらディレクターから連絡があり、最初に撮影した機材がつぶれていたらしく、映像がないと…。結局、取り直しになったんですが…。あの時は、はじめて工藤さんの家に行った緊張感を再度再現するのは大変でした。

初めて私が工藤さんの家に行ったのは、工藤さんが生まれた時の家ですよね?

工藤

酒を飲んだりした家は、5年前に新たなダムが出来るという話の時、でしたかね…。

野口

初めてお会いした時の印象は、びくびくでしたよ。(マタギのイメージがつかないので)。マタギってヒゲ面でイカツイ、怖い熊みたいな人だと思っていたので。初めてお会いした瞬間、あれ?

ヒマラヤに住んでいるシェルパの人たちと工藤さんがよく似ている(同じ目をしている)ぞ?と思いました。びくびくしていましたが、すごい津軽弁で、コミュニケーションが最初全く取れなくて苦労しました。時間が経つにつれて津軽弁がだいぶ弱くなってきたので、安心しましたが…(笑)それから年に一回、二回白神でお会いをさせて頂いていますね。

私は富士山の清掃などもしており、環境系の人間が周りに多い。本にも工藤さんとの話を書かせて頂いたりしましたが、それを読んだ環境団体関係者から、マタギ=熊を打つ人間、熊がかわいそうという連絡が入ることもありました。

工藤さんとかかわってから、人間は動物を食べて生きている。町と、現場では意味が違う事を工藤さんと初めて会って、教えられました。

工藤

私も野口さんの事を、何日か前にヒマラヤから帰って来たと聞いたので、すごい、ごっつい人だと想像していたので、負けてはいけないと思い、津軽弁で必死に話をしたことを覚えています。

私が18歳の頃、熊を手に取った写真がありますが、ある人に日本人か?モンゴル人みたいだと言われたことがありました。最近は、顔が丸くなったが、昔は目つきも見た目も違ったと思います。野口さんにシェルパに似ていると言われた事の意味もわかります。

野口

シェルパも、山に入るときはお香をたいて、山に入っていく。マタギの習慣とよく似ていますね。

私は今まで、白神に6・7回来ましたが、白神の革新部には道がない。マタギ道(沢)、を歩いて、尾根を越え、また沢に入る。工藤さんがいないと、どこを歩いているのか全く分からない。一人で行けと言われても行く事が出来ない。白神はそれだけ難しい山なんですよね。

工藤さんは地図を持って行かない。どこで下ろされてもわかると言うのを聞いてびっくりしました。

工藤

山で暮らす人間は目的に応じて歩く山の道が違います。野口さんは、その山の道が危なければルートを変えていきますよね。我々は危険な場所がどこなのか?をまず、先輩に教えてもらっていました。体で覚えているということです。春は熊狩り、初夏は山菜狩やぜんまいを取る。夏は岩魚を取る。白神の山々を縦横に歩くことで、白神の地形が勝手に身についてくるのです。


野口

工藤さんがマタギになったのが15歳ですよね。マタギには修行の期間なんかがあるのでしょうか?

工藤

特に期間があるわけではないですね。

野口

では、試験があるわけでもないんですよね??

工藤

ハイ…

野口

マタギが多い時期は、集団で山に入っていたんですよね?

工藤

南側の秋田県の藤崎町、八森町には、集団で入る人たちが多かった。

野口

マタギは職業名なんですか?マタギ業ですよね?職業欄にはなんて書かれるんですか?

工藤

マタギには時期があって、2月マタギ(旧暦だから今の3月から4月頃)、冬眠から目覚めるとき、犬を使って熊の穴を探した。今の時期はカモシカ猟をしる師走マタギと言っていた。

野口

職業欄はなんて書くの?マタギって書くの?自営業と書くの?

工藤

悩むね?農家と言ってるかな…。
狩猟だけじゃなく、炭焼きや焼き畑、大根とか味噌は全て自家製で作っているので、農家みたいな感じですかね。

野口

一人前って言うのは、今、あげられた炭焼きや農作業等、すべて出来る人がマタギなんですかね??

工藤

一般の山の人でも…。山からは生きて帰らなければならない。
マタギは、山深く入り良い物を収穫できる技術がある。私はマタギを15歳の春から初めました。熊狩りを始める前の晩に父親から、光治「おれたちは動物が憎いから、殺すのではない。生きて行くために仕方なしに殺すんだ。我々は命をもらわなければ生きていけない。そのためなら情け無用で一息に殺してしまえ。鬼のような心になれと言われました。
動物を殺すたびに鬼になる。また、鬼になる。(又鬼)だからマタギと言われている。

野口

また鬼になる、だからマタギなんですよね。
以前、工藤さんから米をとぐ時に工藤さんのお父さんの時代?米のとぎ汁を川から離れた場所で、流すとお聞きしました。最初は何のことかよく分かりませんでしたが、最近、米のとぎ汁をそのまま流してはいけないと言われているのを聞いて、工藤さんの話を思い出し、昔からある事なんだなあと、感心したことがありました。

私が白神に行っていて感じたのは、工藤さん達、マタギは必要な分だけしか、物をとらない。と言う事を学んだ。

工藤

マタギの人間は、山里に暮らす人間よりは強いが、熊よりも弱い。熊は白神の地域でドングリやクマノミが豊作な場所を知っている。我々は何をしても熊たちに太刀打ちできない。
例えば、熊狩りには何回も歩いた沢がある。その場所は熊狩りの時期(残雪がある時期)だけしか行かないので、夏場に降りることはなかった。9月に訪れた際、普段は残雪もあり、備え付けのロープを使って沢へ降りられる場所なのですが、残雪が全くなく、ロープなども届かなかったので沢に降りられないで困ったことがあった。しばらく、周りを見渡していたとき、ふと見たら熊が山菜を食べた跡があった。友人が熊のルートがあるはずだと言い、探しに出かけた。30分ぐらいして戻ってきて、熊の(マキウチ)ルートを見つけ、我々はその道を使って沢へ降りることが出来た。

このような、頭の良い熊だが、たった一発の銃で倒れる。だからこそ、一発で仕留めないといけない。死体を見たら、今でも涙が出る。「次は自分だから・・・」と何時も思いながら死体と向き合う。

野口

年間で何匹ぐらいうつのですか?

工藤

今は、鳥獣保護区(平成16年制定で平成25年までの時限立法)で3匹までと決められている。
昔は、神様の機嫌でうっていた。小さい熊も困るが、あまりにも大きな熊も困る(大きすぎると持って帰るのに大変だから)と祈ったことがあった。
神に祈りをささげるのには理由がある。
以前、狩りをする前に湧水を飲んだ事があった。そしたら、5分も歩かないうちに、目の前に熊が横切った。湧水で水を飲んでいなければ、熊に出くわすことはなかった。このような偶然が重なるので、「神様の気分しだい」と言われる所以である。

野口

熊でも何歳だと打たないとか、あるんですよね?

工藤

小熊をおとりにする。オスが子連れの熊を狙う事があるからだ。
熊は2年に一度しか子どもを生まない。母親は2年間、子を育てる。

だから、母親は5・6歳でないと子どもを産まない。母親は子どもを連れてイチゴ等を食べにいく。ある時期になったら、やがて食事に夢中になって子が自然と離れしていく。これが乳離れだ。

オスの熊は、メスをものにする為に周りにいなければならない。ただ、食糧事情が悪くなったり、怪我をした熊が共食いをしたりもする。
(乳離れしてすぐの熊をうったら笑い物だ)

野口

工藤さんにとって白神山地が世界遺産になって自然保護が注目をあびることをどのように思われますか?
例えば、白神が世界遺産になって民放が企画を持ってきたから、私は工藤さんと出会えた。
私は、白神山地を守ってきたマタギがいたからこそ、白神は世界遺産になったんだと思う。マタギ流の環境保護と一般の環境保護の違いはなんでしょう?

工藤

一番の違いは、限られた資源を持続可能な限りつづけるために生きてきたことだと思う。我々は常に自己管理、自己犠牲をして山に入っていました。

後から来た環境保護団体(県や国等環境省、その他の団体等)は、我々もひっくるめて、現地の人々が手を加えられないように(法整備など)してしまった。我々は山の信仰を信じ「今日も山に入ります。無事に帰してください」と祈って山に入る。何時も山の神様に見守られているということ。逆に言うと「山の神に監視されているということだ」。悪いことをすれば罰が当たる、命を取られる。そこには山に恥じない精神がある。

また、彼らから白神は8000年の歴史があるから、なにもするなと言われるが・・・そうじゃない。例えば、山菜が少ない処に山菜を植えたり、根を残して上だけを摘んだり、湧水が良い場所にワサビを植えたりしていた。なにも食べられない時には、米さえあれば、このワサビを削ってご飯の上にかけるだけでもいい。岩魚にわさびを塗って食べるのもうまい。あとから来た人たちは、我々が山の為にしてきた事を全く知らず、すべてを否定した。

野口

世界遺産になって、良い例と悪い例があるかと思います。
以前、アメリカの国立公園を回ったことがありました。現地の自然保護官の長官に案内してもらったら、長官から「日本の国立公園と違い完全に管理されてるでしょう。ここではゴミを捨てたりしたら捕まる」と自慢げに話をされていました。確かに、すべて管理されていました。しかし彼らは、先住民族であるインディアンを強制的にその公園内から移動させた。もしインディアンが自然破壊をしていたら、その場所は国立公園になっていないはずなのに…。

こんな例もありました。10年ぐらい前にNZのトンガリロ国立公園に行ったことがありました。トンガリロ国立公園にあるナウルホエ山と富士山は姉妹山提携をしている場所なんです。

このトンギバリ国立公園はNZの先住民族であるマオリ族の文化を提案して国立公園へ、そして世界自然遺産へと登録されました。その後、マオリ族と自然とのかかわりが重要視され、文化遺産にまでなった複合遺産なんです。
原住民と、自然の両方を守っていこうという共存共生ですね。NZとアメリカの違いを感じました。

白神もそのような感じで複合遺産になればと思いましたが?如何でしょうか?

工藤

白神の世界遺産のきっかけは青秋林道の反対など色々あった。白神山地の入山問題など、まだ、決まっていない事も沢山ある。マタギ文化はないとの意見もあったが、行政の中には難しい事は無い方がいいと思われたのかもしれない。

白神は2004年から環境省から鳥獣保護区に指定され、一切発砲を禁止された。
これではマタギの文化は廃れていく。何をもっての自然保護なのか?使い方を間違えると、取り返しのつかないことになる。要はバランスが大事だと思う。

今日は、皆様に面白い物を持ってきた。自然保護とはどういうことか?と言う事を見て頂きたい。これは、テンの毛皮だが、近年、買う人がいなくなった。買う人がいなくなると作り手の職人もいなくなる。テンが増えると野ウサギや野鼠が減る。野ウサギや野鼠を餌としていた希少動物のフクロウなどが必然的に減る。
私の生まれた西目谷村にはアナグマがつがいでいた。最近、車にひかれて死んだ。我々が捕獲しなければ、車にひかれてしまうんだ(冗談交じりに(笑))

野口

マタギが熊を打つと残酷だと言われる。同時に最近、熊が人里に降りてきて打たれると聞いている。前は5000頭もの熊が撃たれた。その前も2004年にも1700頭の熊が駆除された。
こちらの方が問題では?森と人がすむ緩衝地帯が無くなったり、いろいろな問題があるのではないかと思うが?

工藤

おっしゃる通り。1700〜2000頭が全国で駆除された。その中で狩猟は500頭ぐらい。作物を荒らす熊は有害鳥獣駆除で殺す。最近では、クマ牧場や動物園など受け入れ施設がないので、殺して埋めてしまいます。

下北半島でも900頭、駆除された。しかし白神山地ではほとんど駆除されなかった。マタギが熊の数を調整をしてきたことと、山には豊富な実等の食べ物があるからだ。だから分散して里に下りてくることがない。

世界遺産は白神地方の13万ヘクタールのてっぺん部分だけ。それ以外の周りのブナは全て開発されてしまった。山里にだんだん熊が出やすいような状態になった。現在の自然保護の結果だ。これはブナの森を消滅させた人間の責任だ。

野口

今のお話は、アフリカの像の話とよく似ていますね。
像を保護する話です。像は毎日100リットルの水を飲み、200〜300kgの草を食べます。最近では像が大量に増えている為に、周辺の草が無くなり砂漠化になっている。今はいいが、像の草がなくなると砂漠化が更に広がり、像もいなくなる。現地レンジャーも懸念していた。クジラもそうだが、アジやサバが減少している。動物愛護は感情的になってしまう。イギリスでは馬。
0か100かの議論ではいけない。

ここが厄介な部分だ。工藤さんは生態系の維持の中で生きてきた。命に感謝して、とったもの全てを使う。表面的な環境保護ではなく、人が生きていくために犠牲になるものがある事を人には知ってほしいと思い、工藤さんにもお願をして白神で環境学校をやった。

環境学校の生徒たちは命をもらうことのありがたさを学んで帰った。後日、私のもとに届いた手紙には、食べ物を残さなくなった等の手紙が多かった。工藤さんと出会ったからだ。ヒントが白神そして工藤さんにはある。
環境保護には理屈が多い。原点が白神にはある。自然との共存のあり方を考え直すべきだ。

工藤

環境保護は一番難しい。限りある資源を共存して使用する。自分の為だけではなく、我々世代だけの為ではなく持続可能な限りある資源であるとおもう。太陽がなくなれば、すべてがなくなる。限られた資源をいかに共存して生きてきたか。これは一般社会に通じるのではないかと思い、エコツアーを始めた。都会では高速道路、高いビル…。これらを再生する資源が今後の日本にあるのだろうか?と考えさせられる。
それと同時に、どこの山に行っても白神のような豊富な山はない。白神にないのは米と塩だけ。生活をしている人たちに、ももう一度考え直してほしい。
現代社会は、健康食品と健康機材がほとんどだ。ただ単に運動不足なだけ。自己管理、自己犠牲が大事だと言う事を忘れないでほしい。

野口

昔、学生のころの話ですが、スーパーでバイトしていた事があった。賞味期限が近くなると回収をして、裏で表示を張り替えていた。これはごく普通にしていたことだ。たぶん今も張り替えているとおもう。(笑)

工藤さんが娘さんの家に行った時?かな??食卓に上がった肉が臭くて臭くて食べられないとおっしゃられていましたよね。これは面白い話だと思った。人間が作った動物は臭くて臭くて食べられないと言うのは、我々と反対の感覚。我々にはない。野生動物の肉は臭く感じますよね。

工藤

うちの熊の鍋は?臭かった?

野口

初めは、油っこいというイメージだったが工藤さんいわくブナの実を食べているので、臭くないとの事。その通りだった。極めてあっさりしていた。

工藤

ヒグマは魚臭い。冬眠前の熊は臭みもあり脂肪も多い。11月に冬眠し4月に出てくる。ひもじい熊かと思われるが、そうではない。冬眠に入る前に、だんだん熊の胃袋は小さくなり、食べ物を受け付けなくなる。そして冬眠に入る。冬眠中は体温と呼吸数が落ちている。冬眠から覚めてもほとんど痩せていない。手の裏の皮がむけている。これを「あれか」という。これが十分残っている熊は、冬眠から開けたばかりの熊だと分かる。実にうまい。(倒した後に手の裏を見て初めて「あれか」かどうかわかる。)

野口

世界遺産のメリットデメリットは?

工藤

メリットは白神の山々が開発されないようになったこと。世界遺産で、お客が多くなった。うちの村でも、産業はたいしてなかったが、環境産業の雇用は増えた。100人ぐらい。

デメリットは白神山地の岩魚の成長は早い(年間7センチぐらいになる)ので、密漁が後を絶たない。遭難も多い。遭難されると、救助などの捜索で大事な税金が沢山使われる。山に入るには生きて帰ることが必要なんだ。コンパス、地図等をもって自己管理が大切ですね。

野口

マタギの後継者は?いるんですか?

工藤

たぶん今、残っているのは、3名だけだと思う。私の下に小池さんという人がいる。今日も会場に来ていると思う。猟をする時、熊を追いたてるのに声を上げるのだが、最初の頃、小池さんが叫んだら、全く違うところに熊が逃げていき、狩りにならなかった。昨年小池さんが凄い声で叫んだら正規のところに熊が出てきて、やっと半人前になったといった感じだ。白神は既に私がマタギになった50年前のようなブナ林ではないので、後継者になるのは難しいかもしれないが、農家や炭焼きなど伝統的な生活を許してくれるなら、マタギとしての生活が出来る。

野口

鳥獣保護区は10年の時限立法。また、見直しの時期に是非、何とか出来るのではないでしょうか?

工藤

私は白神に50年いる。変わったと思うのは雪の量が少なくなったこと。6・700M以下のブナ林で、10年ぐらい鳥獣保護をしたからと言ってそう簡単に鳥獣の変化は見られないと思います。10年保護区にしたら、次の10年は元に戻してみる等の考えがほしい。

野口

環境保護を一つの物差しで測る事は出来ない。屋久島と白神では文化が違う。
白神には白神。屋久島には屋久島の。そして知床には知床の文化がある。そこが問題だと思う。白神はレンジャーが3名。今、レンジャーは全国で270人弱います。
レンジャーは役人ですから2・3年で働き場所が変わってしまう。これではその地での本当の専門家が出てこない。白神山地での核となるのは、やっぱりマタギだと思う。

NZのトンガリロ国立公園にはレンジャーの中にマオリ族も入っている。
鳥獣保護区は時限立法ですよね。切れるまで確かあと6年ですよね?それとマタギにも定年制があるんですよね。(笑)60歳?既に5年オーバーしていますが、あと6年後の鳥獣保護区見直しの時に、もう一度旗を振るのが工藤さんの役目だと思います。

工藤

野口さんこそ、環境省のアクティブレンジャー・東京都のレンジャーの発起人。これからも、責任をもて頑張ってほしい。