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「龍さんとの再会」
クムジュン村〜タンボチェ村〜パンボチェ村
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 ナムチェバザール村、クムジュン村で二泊ずつゆっくりと休養したおかげでかなり復活。ヒマラヤの空気が体に合うのか体がみるみると元気になっていく。3月はツバルにセブ島と南国生活が続いたが、やはり暑いのは苦手。寒ければ着込めばいいが、暑いのは皮膚をひんむいても暑い。キーンと寒いヒマラヤの空気が実に気持ちいい。


 
 パンボチェ村に向かう途中、タンボチェ村にある龍さん(橋本龍太郎元首相)のお墓に立ち寄った。エベレストが見渡せるタンボチェ村の丘に龍さんのお墓がある。この一年間で3回目の訪問。私ひとりだとさすがに「またお前が来たのかぁ〜うるさい奴だ」と龍さんに言われてしまいそうなので、今回はゲストを連れてきた。龍さんを7年間支え、また龍さんの最後の秘書を務めた藤村健氏だ。今は私と一緒に仕事をしている。特に第1回アジア太平洋水サミットや次のG8環境大臣会合記念特別シンポジウムに向けて取り組んできたパートナーだ。龍さんが繋いでくれた縁。藤村氏はお墓に手を合わせながら7年間の出来事を1つ1つ思い出していたのか、悔しいかな、二人の間には私などとても入り込めない空気が漂っていた。

 龍さんが亡くなって約2年。あまりにも突然の出来事でしばらく胸にポカンと穴が空き隙間風がピューピューと音を立てながら通り過ぎていくような孤独感に襲われていた。それでも、どんな時でも人は生きていかなければならない。残された者は先人の遺志を引き継いで。

 生前の龍さんとエベレストや富士山の清掃活動や、今まさに活動を行っているヒマラヤの氷河の融解についてよく話し合っていた。政界を引退されこれから一緒に活動を行いたいと思っていた矢先の訃報。政治家でも学者でもない私が水サミットなどの運営委員を引き受けてヒマラヤ流域国の元首級と会談を行い、氷河の融解問題に取り組んでいこうと呼びかけたのは明らかに領域を超えていた。それでも活動を続けてきたのは龍さんの「君のようなしがらみのない現場の人間が現場から声を上げることに意味がある」とのお言葉があったから。それでも不安になると青山墓地にあるもう一つの龍さんのお墓に出かけては不安であると告白していた。そんな時でも龍さんは慰めてくれるわけでもなく「そんな弱気の君に何が出来るのかな?もう来なくていい!」と何度怒られたことか。その度に「なにくそ!」と自分に鞭を打ったものだった。ヒマラヤの氷河問題もアジア太平洋水サミットでなんとか取り上げ頂き、次の洞爺湖サミットにも引き継がれていくでしょう。

 短気な龍さんには「いつまで時間をかけているんだ!」となるかもしれませんが、我々は精いっぱい背伸びしながらも、またこうして氷河の現場を歩きながら訴えています。さほど知られていなかったヒマラヤ地域の氷河の融解問題もついに官邸にまで声が届きました。
龍さんとの出会いは私の人生を大きく変えた。色々な思いでがありますが、出会えて本当に良かった。

 別れ際「龍さん、また来ますね!」と、そうしたら「はい、はい、ご自由に」といかにも龍さんらしいお言葉が返ってきた。藤村氏もやっとヒマラヤの龍さんと会えたと晴れ晴れしていた。私も藤村氏も龍さんから与えられた課題はとてつもなく大きい。「お前たち!なにやっているんだ!」と怒られながらも前へ前へと進んでいきたい。

2008年4月11日 野口健