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「アマラプチャ峠越え」
(写真はクリックしたら大きくなります)

 ローアバルン氷河湖を目指しまずはアマラプチャの峠を越えなければならない。25日、チュクン村から峠越えのベースキャンプにテントを張り、翌日の峠越えに備えるが、23日にメラピーク(6470M)登山を終え、アマラプチャ峠を越えようとしていたイタリア隊の隊員一名が峠の直下で遭難死していた。状況からして疲労凍死、または高度障害かと思われる。我々の目の前でポーターによって遺体が運び降ろされたが、改めて山の怖さを感じていた。また、ブルンツェ峰を目指していたスイス隊が反対側からアマラプチャ峠を越えて降りてきたが、キャンプ1付近でクレバスが大きく口を開き撤退を余儀なくされたとのこと。



荷を運ぶポーター



緊張の合間の休息

イタリア人の遺体が運ばれる

 我々のルートもまずはアマラプチャ峠を越え、次にブルンツェ峰のキャンプ1があるウェストコル(6143M)を越え、その次にシェルパニコル(6146M)を越え、マカルーBCを下ってローアバルンを目指すのだが、その二か所目の峠が通過できないとの情報に驚いた。複数の登山隊がブルンツェ峰に挑戦中とのことだから、明日以降さらに情報収集しようとシェルパ達と話し合って寝袋に入ったが落ち着かない夜を過ごした。

 アマラプチャ峠越えの日は幸いなことに晴天無風。順調に高度を稼ぎ核心部では岩と氷のミックスになったが、適度な緊張感に心地よかった。岩をつかむその感覚に脳幹が刺激され、またその冷え切っている岩肌にぞくっと精神が高ぶり体中の血流が勢いを増しているのを自覚しながら一手一手集中していた。



アマラプチャ峠を目指して



荷物の移動にひと苦労

もう少しで峠越え



アマラプチャ峠到着!右下にパンツポカリ(氷河湖)が見える

アマラプチャ峠の上部にて

 またアマラプチャ峠からの景色がなんとも素敵で平賀カメラマンのレンズが私の一言を狙っていたが言葉に表現できなかった。小一時間ほどこの絶景を眺め反対側へと下り始めたが、氷河の状況が安定してなくルートが不安定であった。日中に氷河が溶け、そして夜中に凍りついたためか表面が硬く、またパリッと割れやすかった。我々はいいが、苦戦したのが、ポーター達だ。重い荷を担ぎ上げたかと思えば、今度は氷柱を下るときには荷物をロープにくくり付けて下ろさなければならない。その繰り返しだ。

峠の核心部

峠を越えて反対側へ下る

懸垂下降で下る平賀カメラマン

アンドルジさん峠を下る

 パンツポカリ(ネパール語で五つの湖)まで下り湖畔にテントを張った。イギリス隊と遭遇し、その疲れ果てた様子に「なにかあったな」と尋ねてみたら、スイス隊と同じ場所で撤退したとのこと。至る所にクレバスが大きく開きまた氷河の状態はブルーアイスだとのこと。ガリンガリンに凍りつきポーターが歩くのは極めて危険だとのこと。そして残念な事に24日にブルンツェのキャンプ1付近で(ウェストコル)でスペイン隊のポーターが落石にやられ死亡したとのことであった。イギリス隊の彼は「ウェストコルは極めて危険。昨年の写真を見たがまったく違う山のようだ」と疲れ果てていた。

パンツポカリ(氷河湖)

美しいパンツポカリ(氷河湖)にうっとり

西日にて照らされるパンツポカリ

 我々が越える予定の3つの峠のうち二か所でこの数日間のうちに死者がでてしまった。場所が場所だけにさほど驚くことでもないが、我々にとって致命的な事はクレバスによってウェストコルが通過できないことだ。特に重たい荷を担ぐポーターにかかるリスクは計り知れない。断じて事故を起こすわけにはいかない。陸路でのローアバルン行きを諦め、5月10日以降にヘリによる空路で目指す事にする。

 したがってそれまでは95年に決壊したサバイ湖(氷河湖)の視察を行う。そして久々にメラピーク(6470M)の登頂を目指す事になった。さっそくカトマンズに連絡し入山許可書を申請することに。北京五輪の影響で中国隊(聖火隊)がエベレストに登頂するまでネパール側はヘリがチャータできなくなり予定が変更し、そして氷河の状況により再び予定変更。なかなか予定通りにはいきませんが、まあ〜そんなものです。ビスタリ、ビスタリ(ネパール語で「ゆっくり」の意味)の精神で。

2008年4月26日 ホングコーラにて 野口健