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「4370体のご遺骨祖国に戻る」

 
  日本ではほとんど報道されませんでしたが、フィリピンで足止めされていたご遺骨4370体が12月9日に空援隊の倉田宇山さんと共に帰国を果たした。これで2009年の空援隊(フィリピンにて遺骨収集を行っているNPO団体)によるご遺骨収集は合計8670体。近年、国家事業として行われてきたご遺骨収集は年平均すれば600〜800体であったわけですから空援隊による収集数がいかに多かったが分かる。

旧日本兵のご遺骨の焼骨式 フィリピンにて

 昨年までは我々のような民間団体には認められていなかったフィリピンでのご遺骨収集活動。今年になり厚生労働省からご遺骨収集の許可を頂きこれだけのご遺骨を収集してきましたが、
トラブルも多かった。

 1つにはご遺骨の焼骨を行うのだが、ホテルの許可を頂きながら敷地内で行ってきたのだが、後になって「聞いていなかった。遺骨の焼却行為が話題となり客のキャンセルが相次いだ。賠償してもらう」と訴訟にまで発展。しかし、私もその現場にいたが、ホテルの従業員も一緒に手伝ってくれ作業を行った。またホテルの経営者もその場にいたのを私は知っている。したがって後になって問題とされた事に理解できなかったが、実はホテルサイドから空援隊に対しホテルの買収話が持ち込まれ断った直後の訴訟問題。なるほど金目当てであったのかと発展途上国には在りがちな展開であった。
 
  そして今度はフィリピン政府から野外での遺骨の焼骨行為は違法行為と指摘されたが、これも事前にフィリピン政府サイドには伝えてあり把握していたはずであった。ご遺骨を焼骨してから日本に持ち帰る方法は戦後の日本政府による遺骨収集団から一貫して行ってきたわけです。それが突然問題とされたのは私たち空援隊だけでなく厚生省や日本大使館含め大変驚いた。

 裏で何かが動いているのではないかと思い始めた矢先に今度は11月に4370体のご遺骨を焼骨後、日本政府の正式な派遣団として日本に持ち帰ろうとしたらフィリピン政府から「ご遺骨の持ち出しは認められない」と止められてしまったのだ。

 
  その際に、「最近、日本からのODAが減っている。だから協力できない」と役人が伝えてきたとのこと。ODAへの取引材料としてご遺骨を人質扱いとするのならば極めて不謹慎であり日本政府はフィリピン政府に対し厳重に抗議するべきであると、本当に悲しくまた情けなかった。



  一言で4370体といってもピンとこないかもしれないが、よく考えてみてください。もの凄い人数です。フィリピン全土で遺骨調査を行いそして一か所に集め、バラバラになっているご遺骨を部位ごとにわけ何体分かを数えるのですが、これが永遠と続く作業であり、1つ1つの骨を手にし「これは肋骨」「これは鎖骨」といった具合に分ける。細かな作業であると同時に骨の1つ1つを手にすることで彼らの無念であった思いのようなものが体の中に流れてくるような額にはじっとりとした汗がにじみ出、全身が鉛のように重たくなる。この作業を行いながら、次にご遺骨の焼骨式が行われるのだが、薪の上にご遺骨を並べ焼骨するのだが、灰と混ざった細かな骨の1つ1つを袋に入れていく。

 灼熱地獄の中でこの作業は実に過酷でこまめに水分補給しないと脱水症状で倒れてしまう。私は今年2回参加したが、3月は417体、8月は1555体、その数だけでも数日間休む暇もなく永遠と過酷な作業が続くわけで、今回の4370体のご遺骨焼骨は限られた滞在日数との戦いで24時間休む事もなく夜中まで焼骨が続けられた。私は今回は参加していなかったが、今までの経験から空援隊のメンバーがどれほど過酷な状況の中、歯を食いしばって作業を行ってきたのかは分かるつもりです。

 しかも、逮捕されるかもしれないといった異常事態の中、一人の脱落者も出すことなく「一体でも多くのご遺骨を日本に戻したい」といった気持一つで自腹を切ってまで参加してくださったのだ。空援隊の理事としてそのようなメンバーに恵まれた事を誇りに感じる、また日本もまだまだ捨てたもんじゃないと微かな希望の光をそこに見た。

フィリピンのジャングルの洞窟で見つかった数百体のご遺骨

 フィリピンに飛び立つ前夜、倉田団長が「野口さん、明日からフィリピンに行ってきますよ。ご遺骨の奪還だ。必ず日本に一緒に帰ってきますよ」と話していたが、私は仕事の関係上一緒に現地に飛べなかったことがなんとももどかしく、無事にご遺骨が戻ってくる事を祈り続けるしかできない自分に腹正しかったが、倉田団長ならなんとかしてくれると信じていた。

 そして12月9日、フィリピン政府に止められた4370体のご遺骨が倉田団長と共に祖国日本に帰還。御遺骨を奪還したのだ。戦後60年以上もの間、放置され続けてきたが、こうしてやっと帰国を果たしたのだ。

 ご遺骨は国のために亡くなった方々です。国のために亡くなった人たちに対し最後まで国がきちんと責任を果たす。この当たり前の事があまりにも軽視され国民からもその存在自体すら忘れさられてしまっていた。

 

 ご遺骨が戻ってきたその日、私は自民党の国会議員が多く集まった勉強会で講演を行ってきましたが講演会の最後に

「遺骨収集に関して私は民主党政権に多くは期待していませんが、しかし、この問題は民主党ではなく、長年にわたって政権与党であった自民党の責任です。自民党がしっかりとこの問題に取り組んでこなかったから未だに115万体ものご遺骨が放置されています。保守政治を目指すとおっしゃるけれど、国のために亡くなった方々を放置しておいて保守などあるわけがない。自民党の責任としてこの問題を解決して頂きたい」

とお願いしてきました。自民党の議員さんやその関係者600人がシーンと静まり返りこれはひんしゅくだったかなぁ〜と思いもしたが、私は事実を話したわけですから、ただしっかりと伝わってくれればそれでいいと会場を後にしました。その一週間後、会場にいらした森元総理からお便りが届き「野口さんの講演を聞きました。英霊の声なき声をしっかりと受け止めなければならないと肝に銘じました」と書かれてあった。また衛藤晟一先生は「野口さん、私も空援隊のメンバーに加わります。そして一度フィリピンでの遺骨収集に参加します」と空援隊の顧問議員団に加わってくださった。ちゃんと伝わっていたのだ。

 私は度々、この遺骨収集活動にイデオロギーを持ち込みたくないと発言してきました。なかには「遺骨収集を行うとはお前はあの戦争を美化しているのか」などといった声を未だに耳にすることがありますが、そんな話ではない。あの洞窟の現場で散乱したご遺骨を目にして誰が戦争を美化するものかと、甚だ見当違いである。

 そんな事ではない。国のために亡くなった方々に対して冷たい国は、そんな国はいずれ必ず滅びていく。これから先の日本を思えばこそ、この活動はしっかりとやらなければならない。したがってこの活動に自民党も民主党もない。超党派での活動であり、また国会議員や官僚だけの役割ではなく全ての国民にも何らかの形で加わって頂きたい。また知って頂きたい。何故ならば私たちの国、日本のために亡くなってくださった方々なのですから。全ての日本人にとって無関係ではないということ。年が明けたら再び遺骨収集を開始。私は来年3月、再びフィリピンに向かいます。