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エベレストで感じる心

4月10日に日本を出発し、一カ月と三日。震災の関係もあり、仲間から遅れてのヒマラヤ入り。カトマンズも一泊しかしないままキャラバンがスタートし、高所順応のためにロブチェピークに登り、エベレストもなんとかキャンプ3(7300M)まで到達。ベースキャンプ、キャンプ3での清掃活動も行い、振り返ってみれば一ヶ月間の内容としては極めて順調です。
 
しかし、問題はエベレストの天候。4月は雪が降り続け、5月に入ってからは風が吹き荒れている。いつどんな時でもヒマラヤは厳しいが、今年はまた一段と手荒い出迎え。特にキャンプ1〜キャンプ2間の雪崩遭遇は実に肝を冷やした。私だけでなくそこにいた平賀カメラマンやシェルパ達全員が明確に死を覚悟していた。特に平賀カメラマンは子どもが生まれたばかり。雪崩の後、ポツリと平賀カメラマンの独り言「まだ子どもに3回しか会っていない」が聞こえてきた時には、「心底助かって良かった」と胸を撫で下ろしていた。

  上部での高所順応、清掃活動を終え、休養のためにロブチェ村まで下った。二泊三日の短い休みだったが、久々のベッド。ここには雪崩がないと、久々に朝まで目を覚ますことなく熟睡。そしてなによりも酸素が濃いのが嬉しいというか、助かる。身体の隅々まで酸素が行き渡る快感。弱っていた身体が生き生きと蘇ってくる。身体は素直なものです。

  事前の天気予報で「5月17日は快晴無風」とあり、逆算し5月13日には再び上部キャンプへ向けて出発する事となっていたが、11日にロブチェ村で休養を終えベースキャンプに戻ってきたら天気予報に変更有。16〜17日にかけて風が強くなるとのことで予定を変更。12日は朝から曇り。昼には雪が降り始め一日中ドンヨリ。山頂を目指している登山隊が心配。13日は朝から晴天であったが、午後から再び気流が不安定となりベースキャンプでは風が強いので上部はなおさらだろう。

  今までの経験では、一ヶ月間もいればなんとなく天候の周期が見えてくる。例えば「3日晴れたら4日崩れる」だとか。そのシーズンによってのパターンがあるのだが、今春はそこが分かりにくい。晴れたと思ったら午後にはすぐに崩れてしまう。それがパターンといえばパターンですが。

  山頂を目指すとするのならば4〜5日後の天候を読みながらベースキャンプを出発しなければならない。また理想を言えば登頂日は夕方まで安定していてほしい。最終キャンプから山頂まで片道約12時間。山頂から最終キャンプまで下山を6時間とすれば合計約18時間。下山中に悪天候となれば遭難の確率が急激に上がる。

  また山岳地帯なのでやむを得ないが今年は天気予報も日々変わる。天気予報ばかりを眺めていたらいつまでたってもアタック開始ができない。最後は勘に頼るしかなくなってくる。どの遠征でもそうですが、いつ山頂にアタックするのか、これが難しい。一日判断を違えた事によって運命が大きく変わったりする。故に真剣になる。

  今日(13日)も一日、テントの中で待機。テントの中でジッとしているとついつい考え過ぎる。考える事も大切だが、過ぎると精神的によくない。そこでカメラを取り出す。ファインダーを覗けば晴天も悪天候もどちらも表現対象としては同じように成立する。特に「白黒」ならば悪天候の方が「動き」が表わしやすく夢中になる。どうであれ、悪天候ならば、それを楽しまないとイライラばかりしていたら肝心な時に判断を間違えてしまうかもしれない。その点、今回の遠征の1つのテーマである写真「人とエベレスト」にだいぶ救われているような気がする。

  話は変わるがテントの中で日本から持ち込んだ月刊誌を読んでいたら「PTG第二世代」という文字が目に入った。初めて目にした「PTG」。それは「外傷後成長」の略とのこと。「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」は心理的にその傷から抜け出せなくなる現象だが、

「PTG」とは子どものときに心理的に大きなストレスを経験するとその人の人格形成にプラスに働いて人間的に大きく成長させる現象とのこと。
  評論家の立花隆氏の言葉にハッとさせられた。「私の世代にとって引き揚げ体験も、その1つなら、私の世代にとっての、大空襲体験も、ヒロシマ・ナガサキ体験も、あるいはオキナワ体験もみなそうだろう。我々の世代は、みな訳がわからない理不尽な苦難体験、むごい大量死が周囲に起こるのを見聞きする体験、トラウマ体験をもって人生をはじめた。だが、そのトラウマ体験に押しひしがれるのではなく、むしろそれを糧に成長をとげる「PTG」世代として生きてきた。それが戦後日本の繁栄を導いたともいえる」。
 
  確かに私の父親含め子どもの時に敗戦を迎えた世代の方々は強いと感じる事が多い。石原慎太郎氏の国家論も敗戦を実体験として経験している所からはじまっているのだろう。「PTSD」の先に「PTG」があると思えば、人生全ての経験に意味があるのかもしれない。少なくとも私にはそう感じられる。その過酷な経験をプラスに出来るのか、それともマイナスのままいくのか、その人次第であり、また周りの環境も大きく影響していくのだろう。

  エベレスト遠征前、被災地での出来事。あれは確か気仙沼郊外だった。全国から応援に駆けつけた消防隊員が夜になり帰ろうと何台もの消防車が列をつくって走っている道路に一人の小学生が走っていくので何だろうと思ったら、この小学生が目の前を通過していく消防車に一台一台に対し背筋をピンと伸ばし敬礼を始めたのだ。消防隊員に最大限の敬意を表したのだろう。私は彼の後ろ姿を見ながら、彼が大人になり今度は人を助ける仕事に携わることになるのだろうと勝手に想像を膨らませていた。立花氏の語る「PTG世代」として。

  日本を離れヒマラヤの大自然の中で過ごしているものの、不思議なもので、今、日本はどうなっているのだろうかと、気持は絶えず日本にある。どこにいようが、祖国から離れる事ができない。祖国とはそういうものなのかもしれない。

  この大震災でよく「二度目の敗戦」という表現が使われていたが、私はそうは思わない。被災地で多くの方々との出会いがあったが、誰一人として負けていなかった。寒い中、列を作り、限られた救援物資を分け与え、極限状態の中でも人としての理性を失わず、そして何よりも諦めていなかった。確かに太平洋戦争では負けたかもしれないが、この震災では日本人は負けていない。我々の祖父、父親世代が一面焼け野原の日本から繁栄を築いてきたように、今度は我々世代が立ち上がる番だ。

  さて、エベレストに話を戻しますが、5月14日に登頂を予定し上部に上がっていた複数の登山隊がただ今、ぞくぞくとベースキャンプに向かって下山している最中。やはり天候が安定しないので一次撤退し、次のチャンスを狙ってまた登るのだ。「生き死に」が日々の細かな判断1つ1つによって大きく左右するエベレストでは、皆が神経を最大限に尖らせている。まるで昨年訪れたアフリカの野生動物のように。私もその一人だが、最大限に尖らせているその瞬間になぜ自分がここにいるのかが理解できる。時に犠牲もある。私も多くの先輩方や仲間たちを山で失ってきた。このエベレストも例外ではない。それでも山に登り続けている。登り続けることで先輩方の山への想いを確かに受け継ぎ、そして次の世代に繋げていく。それが私たちの役割であり、また山の魅力でもあるのだ。

2011年5月13日 エベレスト・ベースキャンプにて 野口健