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いよいよキャンプ3へ





 体調を整えるのに時間がかかり、また自身の不注意からアイゼンの故障も重なりキャンプ3行きが遅れていた。夜中にはテントが吹き飛んでしまうほど強風が吹くものの朝にはすっかりとやんでいた。午前6時30分、キャンプ3を出発。しかし、キャンプ3への取り付きであるローツェフェース(氷壁)に登り始めた頃から急に風が吹き出し、あまりの寒さに指の感覚がなくなるほどだった。氷壁から見えるサウスコル(最終キャンプ)は雪煙が上がりとて人が近づける領域ではなかった。キャンプ3への氷壁を登りながら、口からは胃液を吐いていた。痛みを越えて頭がフラフラし、目をつぶると睡魔に襲われた。途中、もう戻るしかないのかと引き返すという嫌な予感が頭をよぎったが、しかし、隊長として最低限の責任を果たさなければならない。それがキャンプ3での清掃活動。最後のほうは谷口隊員や平賀カメラマンの背中を追うので精一杯だった。1時30分、キャンプ3(7300m)着。時間的にはけっして遅いペースではなかったが、これほどまでにキャンプ3を遠いと感じたのは初めてだった。98年や99年の頃と比較してはいけないんだろうけれど、思うように動かない体に戸惑いもした。しかし、焦ったところでなにも始まらない。

 キャンプ3についた頃には強風でまっすぐ歩けず、固定ロープに体を結びながら清掃活動を開始した。ガリンガリンに凍りついた氷壁のなかでの清掃活動は危険を伴いシェルパ達も表情を緊張させながら埋まっているテントの掘り出し作業を行なった。途中で何度か交代しながらの作業だが、息が切れるのと寒さで指の感覚がなくなり、本当に辛かった。テント1張り回収した段階でキャンプ3から下りることを決断。あまりの寒さにこれ以上活動を続けることが困難であった。テント1張りのためにここまで上がってきたのか・・・。もう少し続けたいと思ったが、無理ができないのがエベレスト清掃活動。判断を間違えて自分らがゴミになるわけにはいかない。

 キャンプ2に戻ってからは力が抜けたのかガクッとなった。それでも一睡もできないまま朝を迎えた。


2003年5月15日
キャンプ2にて 野口健