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清掃活動終了 悔いはない





 夜は寝られなかったのか、それとも寝るのが勿体なかったのか朝までエベレストと格闘したこの7年間のことを思い出していた。99年のエベレスト登頂直前のキャンプ2の夜に登頂に成功したら来年から清掃登山を始めようと、その時の気持ちを忘れないように一生懸命、日記にメモしていたことを思い出しながら、あの時も今日と同じように寝られないキャンプ2を過ごしていたんだと、なんだかおかしかった。あ〜終わった。永かった清掃登山。特にこの2年間は不調が続き、途中で投げ出したいと思ったことも度々あった。登山家としての自分と、環境保護を伝えるというもう一つの役目とのバランスが難しかった。

 7大陸最高峰挑戦の時には自分の体を最優先にトレーニングを行い、また体を休めることに集中できた。しかし、エベレスト清掃活動が始まってからはそうはいかなかった。8000mまで登り清掃活動を行なうのに必要なトレーニングや体を休める時間を確保できないまま全国をエベレスト清掃活動の意味を伝えながら回った。そのつけがエベレストやシシャパンマで確実にやってきていた。自分を見失っていた時期でもあった。そんなこともあったなぁ〜と、今では懐かしい思い出だ。あのシシャパンマでの自滅から生活のリズムを変えた。体を壊してからエベレストまでは限られた時間の中でどこまで回復するかが最大の課題だった。回復させながらのトレーニングは困難だった。山でのトレーニングができる状況ではなく、仕方がないので慣れないジムにも通った。最初はマシーンの上で走ったり、立ち漕ぎしている時に「俺はハムスターじゃないぞ!」とイライラしたが、それでもどこかですがるように黙々と続けていたら少しずつ体が回復していくのが分かり、今度はジムでトレーニングしないと不安になったりもした。ジムで体調が悪くなりその場でひっくり返ったことも一度や二度ではない。それでも続けられたのだから、やっぱり必死だった。

 スポーツ栄養アドバイザーの石川三知さんのアドバイスも受けた。どれもこれも新しい試みだった。今までアスリートしての基礎がすっかり抜けていたことにも気がついた。勢いだけで突っ走ってきたが、もう限界だったのかもしれない。気持ちのもちようも同じで、どこかで自分を許すことも必要だとわかった。「まあ〜なんとかなるさ!」で自分を追いこまないようにノンビリする時間を作った。

 特にあのタンザニアの旅が良かった。野生動物や大草原の中にいたら、いかに自分が余裕のない生活をしていたものだと、自分でも呆れてしまった。色々と悩んでいたことも、なんだかちっぽけに感じ「そんなこと、どうでもいいや!」と、それよりももっと大切な事があるだろうと、心が自由になっていくのが分かった。女優の市毛良枝さんから入院中に「ポレポレ」と書かれた色紙を頂いた。スワヒリ語(アフリカの言葉)で「ゆっくり ゆっくり」という意味なのだが、アフリカでその意味がよく分かった。

 そんな環境のなかで始まった最後のエベレスト清掃登山。最終キャンプのサウスコルでの清掃活動が今まで自分の最大のテーマだったけれど、今回は途中で頭を切り替えキャンプ3が僕の最大の目標となった。自力でBCに戻れるだけの力を残し、あとは全てのエネルギーを出そうと決めたら気が楽になった。強風や安定しない体調の中で、なにが出来るのかそれだけを考えた一ヶ月間だった。それだけに、キャンプ3に到着した瞬間には今までになく力が入った。BCに戻った今、このエベレスト清掃活動を振り返ってみて悔いはない。やれるだけのことはやった。スーと肩の荷が下りていくのを感じながら、途中で諦めなくて良かったと、ここまで頑張れたのも周りの仲間に助けらたからだと、多くの仲間達に感謝していた。ゴミ回収も2.4トンを超えた。悪条件の中では堂々とした回収量だ。4年間共に闘ったシェルパ達にも今はゆっくり休んでほしい。一休みして、早く先の目標に向かって走り始めたい。僕には次の目標がはっきり見えている。そう前へ前へ、次の舞台は日本だ!


2003年5月16日
エベレストBCにて 野口健