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4月28日
■ベースキャンプへ戻る

4月29日
■各国隊に清掃活動を説明

ノースコルからさらに上部を目指すシェルパ
 4日ぶりに熟睡した。昨夜10時に寝袋に入りなんと次に起きたのは翌朝の7時だった。途中一度も起きなかった。久しぶりに気持ちのいい朝を迎えることが出来た。朝食もしっかり食べることができ、6400Mと5200Mとの差をまざまざと感じた。だが、朝からすごい強風で、ABCのテントが気になる。ここBCでもテントが傾き、砂埃がひどく目を開けているのもつらい。テントの中にまで砂が入り込み掃除が大変。ネパール側の情報が入ったが同じく強風により被害が出ているとのこと。

 今日、岡田さんがBCを出発しABCへと向かった。ただ、BC−ABC間に3カ所キャンプを作り4日間かけてABCへと向う。1泊2日でABC入りした我々とシェルパ達はみなABCで頭痛や吐き気に苦しみ、シェルパ数人もBCに降りていった。

 北海道隊のサーダー(シェルパ頭)のパラテンバー氏は「今年は寒さと強風のため多くの人が高度障害の影響が出ている」といっていた。パラテンバー氏はシェルパの中でもっとも優秀で有名なサーダーでエベレストの南西壁に初めて登った経歴を持つ。その彼が「今年は状況が厳しい」と言っているので気をつけなければならない。

 昨日ABCを後にする際、野口隊のサーダー、ラワタシに天候が安定しない関係で上部での活動はやめるよう念を押した。清掃活動で遭難者を出すわけにはいかない。それだけが私の心配事である。

 11時15分、ノースコルに上がったシェルパ達から無線連絡が入り「野口隊の19人のシェルパがノースコルへ着いたが、ノースコルは歩けないほどの強風だ」と言う。荷をノースコルに置いたら即ABCに降りるよう指示した。27日そして今日と2回の荷上げを行い、ノースコルへの荷上げは全て終了したとのこと。シェルパ達は数日ABCで休み、5月に入ってからゴミ下ろしを始める。我々もそれにあわせて5月初旬にABCへと向う。

 12時。BCのキッチンテントが強風で飛ばされそうになり慌ててロープと石で固定し直す。もう少し気が付くのが遅ければキッチンテントを失うところだった。BCに上げた日の丸も端が裂け始めている。「悪魔のダンス」と呼ばれた97年のチョモランマを思い起こす。BCから見えるチョモランマは噴煙を上げ、まるで「神の領域への侵入者」を拒絶しているかのようであった。

 ABC滞在中、各国キャンプをまわり我々の清掃活動の主旨を告げた。各国のゴミは責任を持って下ろしてほしいということと、荷上げの際にボンベなどに「2000」「2000年」という印をしてほしいとお願いをした。つまり使い古した酸素ボンベがごろごろ転がっている上部キャンプで、万が一荷上げをした他の隊の大切なボンベを使い古したものと勘違いをしてシェルパ達が下ろしてしまったら大変なことになる。従って識別するために「2000」などのサインを書いてほしいとお願いした訳なのだ。大半の隊は我々の清掃活動に対し理解があり、非常に協力的であった。また日本隊の中で、法政大隊は大学山岳隊規律を守られており、BCには小型の焼却炉を持ってきており隊のゴミの処理にも発展した考え方をもっていた。私が協力をお願いした際も法政大総隊長の増田さんはじめ大いに理解を示してくれた。

 今回の日本隊を改めてみると中高年から高年齢者による構成がほとんどで、私の父と同じくらいの方々だと思うと、凄いなあと驚くばかりだった。そしてもう一つ、今回私がとても嬉しかったのは、日本隊の中に法政大の現役大学生が二人参加していたことだった。21歳か22歳であろうか、私が初めて8000M級の山を挑戦したのも、ちょうど今の彼らと同じくらいの歳だった。先輩達とともに彼らのような若者がこれからどんどん挑戦していってほしいと思う。彼らはBCで高山病にかかり残念ながらネパール国境付近まで下りてしまったそうだが、私はこのチョモランマに2人の現役大学生が挑戦したことは、今後の日本隊に大きな役割を果たすと感じている。自己表現できない若者が多い今日、この2人の現役隊員が登山隊の中で埋もれてしまうのではなく若者として光り輝き力を発揮しおおいに活躍すれば若者への刺激にもなるだろう。だから私は彼らの挑戦は大きな意味があると感じている。